鏡の国のアリス

  「いのちとは 夢 でなくてどうする」

ルイス・キャロル 著
矢川澄子 訳、金子國義 絵
新潮文庫
ISBN: 4102401024
鏡の国のアリス


アリスが体験する二つの冒険物語には、たくさんの魅力的なキャラクターが出てくる。アリスに進むべき道を説き、王様に対しても卑下しないチェシャネコ、まだ起こっていないことを思い出したり、あり得ないことだって六つぐらいまでなら軽く信じられると豪語する白の女王、稽古は十分に積んだはずなのに馬から振り落とされてばかりいる白の騎士などもかなりキレとコクがあるのだが、そんな中でも抜群にクールなのがハンプティ・ダンプティだ(ムーミンでいうと、スナフキンみたいな存在だ)。
 ハンプティ・ダンプティとはマザーグースに出てくるなぞかけ唄を起源に持ち、卵を擬人化したものであるが、卵である以上、落とせば割れるし、割れると元には戻らない。そしてあの楕円形は、見ようによっては結構ふてぶてしい。そんなハンプティ・ダンプティは王様にもらったネクタイを自慢したり、ネクタイをベルトと間違われて憤ったり、非常に人間的な一面を見せたかと思うと、「ぼくがことばを使う時、そのことばはぴったりぼくのいいたかったことを意味することになる、それ以上でもそれ以下でもないんだ」と含蓄のあることを言ったりする。さらにその時の問題は、誰が主導権を握るかということだ、とまで指摘している。天才的なスポーツ選手が自分のイメージを言語化できず、凡人がその世界についていけないということがあるように、ことばに思い通りの意味を持たせて相手に伝えるのは至難の業だ。それを逆手に取れば、暴挙にもつながる。それをこんな洒落たことばで言い切るハンプティ・ダンプティは、なかなかにハードボイルドだ(負けじとカッコいいスナフキンもやはり、「誰かをあんまり崇拝しすぎると、本当の自由は得られないんだよ」という名言を持つ)。
 その他にも、アリスが迷い込んだ国ではケーキは配ってから分けたり、王様の使者は行き用と帰り用の二人がいないといけなかったり、ことばの上だけで成立する概念の世界が繰り広げられる。言語学でも取り上げられたりするようなテーマだと思うけど、もっと身近なところでいえば、小さい子供は結構そういう考え方をしている。ぼくも小学校の低学年の頃、もしも自分がお兄ちゃんで、お兄ちゃんが自分だったら……と考えて、そこから先に思考が進まずに悶絶しそうになった経験が何度もある。ことばでは何とでも言いようがある(例えば「赤い緑色」などという表現も、「赤い」という形容詞が「緑色」という名詞を修飾しているという点では、それぞれ品詞としての役割をきっちりと果たし、文法的には正しい一文である)が、それがどういうことなのか、だったらどうなのか、と突き詰めて考えていくことは、十歳にも満たない少年には荷が重すぎた。たぶん兄弟ゲンカをしたか何かで、敦ちゃんはぼくのことどう思てるんやろう? とか、どうしょう? とか、思っていることをきちんと考えてみたかったんだと思うけど、幼い思考は自分で設定した前提に自分で訳が分からなくなりすぎて、脳ミソがぷるんっ!とよじれそうになるだけだった。ハンプティ・ダンプティは七歳と六ヶ月になるアリスに、「相談に来てくれたら、七つでやめときなさい、って忠告してあげたのに」と言っている。当時のぼくは十歳には満たなかったと思うけど、七つは過ぎていたはずだ。いずれにしても、不思議の国や鏡の国で起きているあり得ないことの連続も、子供なら案外すんなりと受け入れられるのかもしれない。大人になってから読めば、だれだって目に涙を浮かべるか、そうでなければ涙を浮かべないかのどちらかだろう。
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