| 自転車泥棒 |
| 「生きてさえいれば、何とかなるさ」 |
| 1948年 伊 監督・制作:V.デ・シーカ 出演:L.マジョラーニ、E.スタヨーラ |
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| どすんと胸に響き、ずっしりと重く、しばらく放心させられる。生き方を模索できることがどれだけ幸せなことか、呑気に過ごせてしまうことがどれだけ贅沢なことか。ぼくは戦争を知らず、貧困を知らず、食べることに困ったこともない。だから、この父子の気持ちの百分の一も分かっていないと思う。それでも生活のために必死な父のぎらつくような目の輝き、そんな父の後をついて歩く息子の健気な目を見れば、自分の目がどれだけどんよりと曇ってしまっているかということに気づき、恥ずかしくなる。生きるということは本来こんなにも凄絶で、こんなにもシンプルだということを教えられる。 人間は一人でいようが何人集まろうが、過ちは犯してしまうものなのかもしれない。そう思わせられるような出来事が、いつの時代も町やTVのニュースには溢れかえっている。でもそこから何かを学び、明日に活かそうと努めることによって、個人や社会の成長、成熟といったことにつなげていくこともまた可能だと思う。『自転車泥棒』は戦後の混乱、貧困を伝えるに十分なドキュメンタリー的要素を持っている。明日の食料をどう調達しようかと路頭に迷う人がいる一方で、景気のいいところもあれば、悪いことをする人や自分だけ楽をしようとする人、悪いことをもみ消そうとする人もいる。調子に乗る人がいて、便乗する人がいる。でもいい人もいて、助け合う仲間もいて、理解を示してくれる人もいる。物質的な豊かさ、貧しさという違いを除けば、ぼくたちが生きる社会の有り様と何も変わらない。ぼくたちは色んなことをTVの中の出来事、遠い異国の事情としてしまわずに、そこに学ばないといけないんだと思う。何かを学べる限り、出来事や事件はまだ救われる。 やっとの思いで質屋から自転車を請け出し、これで職にありつけると喜んで二人乗りをして帰る夫婦の笑顔、混雑するバスを尻目に自転車で学校に送ってもらう息子の得意気な表情、初出勤の日を迎えて職場に向かう父親の晴れやかな表情、そんな無垢で本質的な喜びを忘れたくない。前の晩、質屋に入れていた間に傷をつけられたといって本気で憤慨しながらも、息子は一生懸命に自転車を磨いていた。彼のように、ものを大切にする心を失いたくない。何もかもがうまく行くわけではなく、ふとした拍子に夫婦はいがみ合ってしまいそうになるし、父が思わず息子に手を上げてしまうシーンもある。だけど、警察や神様が頼りにならない時でも最後まで支えあえるのが家族だということを、忘れたくない。 父は生きることに必死だった。妻や幼い子らを養うために。ラストのシーン、父の目はなんとか焦点を定めようと虚ろに宙を舞う。そんな父の横をちょこちょこと歩く息子の目からは、拭っても拭ってもとめどなく涙が溢れてくる。明日からどう過ごせばいいのか、父にも息子にも分からない。だけど、つないだ手と手の温もりを通じて、息子の胸には父の生き様がしっかりと焼きついているだろう。決して立派とはいえないが家族のために必死だった父の生き様が。父も、めったに食べさせてあげられないチーズのはさみ揚げをおいしそうにぴよ〜んと食べる息子の笑顔は忘れないだろう。 ぼくたちは、浮き足立っている場合じゃない。 |
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