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| 2005年5月31日(火) |
| 絶好調! じゃないフリ。 |
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今日は朝から絶好調だった。天気もよく、翻訳も気持ちよく進む。ここしばらくなかった感覚だ。特に五月に入ってからは新入社員でもあるまいし五月病みたいな状態が続いていたので、五月の最終日をこんな晴れやかな気分で迎えられてホッとした。夕方には開け放った窓からの風を受け、『エンドレス・サマー』のビデオを観るともなしに見ながら、実家から届いた甘夏を食べた。そうなんだ、調子のいい時はこういう贅沢な時間を30分も過ごせば、集中力がぐいぐいと復活する。そしてこんな日は、気持ちも前向きになれる。なんだ、この絶好調ぶりは? 波というかうねりというか、リズムというかビートというか、たぎる血潮というか怒涛の黒潮魂というか、何かが沸々と湧いてくる。グツグツグツグツ煮えている。いてもたってもいられなくなって走りに出かけた。いつものコースを、膝も痛くならずに50分ぐらいで帰ってきた。こんなペースで走れたのは5年ぶりぐらいだ。きっともうすぐ梅雨入りして天気予報じゃ雨マークがずらりと並んだりするんだろうけど、ぼくは少しでも長くこの絶好調を維持したい。あんまり意識するとどうにか微妙にバランスを崩してしまいかねないので、知らんぷりをしよう。そうすると絶好調の方でぼくにかまってもらいたくていつまでもそばにいるだろうから。駆け引きの下手なぼくは、時々こうやって自分を相手に幼稚な駆け引きを試みたりする。
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| 2005年5月30日(月) |
| さっ! |
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今日は目が覚めても、体が泥のようにべったりと重く、ベッドと一体化してしまったみたいで、寝返りを打とうとすると体の節々が痛くて大変だった。バンドマンたちは大変だと思った。54歳のGODを見習わないと。昼から梅田に出たついでに、JEUGIA(ジュージヤ)ハービスENT店でやっている清志郎の35周年記念展をのぞいてきた。衣装やポスターが飾ってあって、先日あった35周年記念のイベントの様子をビデオで流していた。CDを一枚買ってステッカーをもらって上機嫌で店を後にした。
コーヒーショップに入って、街行く人々を眺めた。別にどんどんお洒落になっていく西梅田の街に触発されたわけではないけれど、「もっと大人っぽくなりたい」と最近思っていて、そのためには服装から、とまたしても幼稚な発想を実行に移したのだ、が、梅田の街を夕方の5時ぐらいに歩く男性はことごとくスーツ姿で、まるで話にならんかった。
一昨日は山北さんにお会いして、昨日は清志郎のライブに行き、古い友達からもメールをもらったり、そして今日はその余韻に浸るように一日を過ごし、どうかすると単調になりがちだった生活(というか後ろ向きになりがちだった自分の気持ち)を見直すとても良い機会になった。つくづく生かされている自分を感じる。毎日に精一杯を尽くすことが今のぼくにできる唯一にして最も必要なことだと改めて思った。早く次の段階、そしてまた次の段階を具体的に目指せるように頑張らないと。
中学の時、授業が始まると気持ちを切り替えるためか生徒の注目を促すためか、必ず「さっ、」と言う数学の先生がいた。そんな感じだ。さっ、気分転換はここまでにして、翻訳、翻訳。
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| 2005年5月29日(日) |
| 今夜も愛が溢れている。 |
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京都会館ベイベー! イェ〜イ! 盆地ベイベー! 愛し合ってるか〜い! イェ〜イ! 京都で行われた忌野清志郎 & Nice Middle
with New Blue Day Horns のコンサートに行ってきました。京都会館の第2ホールは収容人数が1000人足らずで二階席からもステージが近く、照明が落ちる前からテンションは上がりっぱなしでした。ステージから清志郎の大きさや優しさが胸にどしどしと分厚く響いてきて、ギターだけでなくハーモニカやフルート、ほら貝まで演奏し、理屈ぬきで壮大な愛と平和のロックンロール・ショーでした。「辛い辛いその涙も/いつか力に変わるだろう……/歯をくいしばり乗り越えた/君の笑顔を見せてくれ(『春の嵐』)」、「本当の君を/僕は知っている/誰も知らない/本当の君を(『君を信じてる』)」なんて、涙なしじゃ聴けません。一番新しいアルバムは『GOD』というタイトルなんだけど、自らGODを名乗らざるを得ない最近の世界情勢を憂い、デビュー35周年を迎えて「愛してるってぼくは/まだまだ言い足りないんだ」と歌う清志郎には、本当にどこまでも優しくて深い愛が感じられます。後ろのメンバーを見ている余裕などまるでなく、最初から最後まで清志郎の一挙手一投足に目は釘付けでした。54歳になってあの伸びやかな声と衰えないステージパフォーマンスにこちらも応えたいと思い、汗だくになり、声を嗄らし、とても楽しい夕べでした。この二ヶ月ぐらいはずっとこの日を楽しみにしてきたのに、終わってしまったことがとても残念です。でも楽しかったぁ!
Rock Me Baby
ブン・ブン・ブン
愛と平和
Remember You
ママもうやめて
宝くじは買わない
ぼくの好きな先生
春の嵐
サイクリング・ブルース
It' Alright (三宅伸治)
ブルーズンロール (三宅伸治)
GOD
わからず屋総本家
仕草
君を信じてる
トランジスタ・ラジオ
ドカドカうるさいR&Rバンド
キモちE
Baby何もかも
雨あがりの夜空に
(アンコール)
Wanted
上を向いて歩こう
Jump
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| 2005年5月28日(土) |
| 優しいエネルギー。 |
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今日は、関学の時にお世話になった山北先輩と10年ぶりぐらいでお会いした。すきやきをご馳走になりながら、10年の空白を埋めた。あっという間に埋まった。とても楽しかった。とてもとても嬉しかった。気をつけていないと知らないうちにニヤニヤしていたり、泣いていたりしそうなぐらい嬉しかった。飾らずにさり気なく優しい人っているもんだ。声を大にして言いたい。優しさと山北さんは同義語だ。そっと背中を押されたようで、明日からは昨日までとは違う自分を発揮できそうで、何だかいい気分だ。ぼくもそんなエネルギーの受け渡し方ができる人間になりたいと思う。山北さん、ありがとうございました。
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| 2005年5月27日(金) |
| 今は昔、とか言ってる場合じゃない。 |
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便所の神様はやっぱり存在したようだ。この間の新聞に、広島に住む56歳の主婦の方が投書していた(と母親がその切り抜きをわざわざ送ってきてくれた)。便所の改修工事の際、工事の担当者が便槽の周りに塩を盛ってカップ酒を注いだ後、合掌していたらしい。おそらくその工事担当者も年配の人なんだろうなぁ。今じゃそんなのは流行らないような気がする。流行るとか流行らないとかは個人的にはどうでもいいんだけど、そうも言っていられないのが世の中だ。都会のワンルームの小洒落たユニットバスに神様なんていそうにないし、シャワーを浴びるには裸になるんだからトイレの部分もそりゃ裸で通るさ。「裸でごめんなさい」も何もあったもんじゃない。それにそもそもあれはバスルームであって便所じゃない。便所の神様は、ぼくのイメージでは絶対にスタイリッシュじゃない。利用者の幸せだけをひたすらに願って、自分のことなど省みず、だからみすぼらしい格好をして、ただただそこに存在しているような存在のはずだ。着飾った神様なんて信用できない。利益を追求する神様なんて以ての外だ。そんなことを思うにつけ、つくづくぼくはもう少し昔に生まれたかったと思う。なんとなく色んなことがシンプルで、隣の人との距離が心地よくて。でもそんなのは妄想だ。今の時代が便利なようでいて実は裏には色んな策略や戦争や偏見や悪意や格差があるように、昔の時代は平和なようでいて今とは違った形かもしれないけれど何も変わらない理不尽さもたくさんあったはずだ。そんなことはきっといつの時代も同じだ。それにもう少し昔に生まれていれば、ぼくが今までに出会った人たちとの出会いが違った形になってしまう。あるい出会えなかったことになってしまう。出会えなかった出会いに出会えるかもしれないが、SFじゃあるまいし、そんなことを考えたところでしょうがない。昔に憧れる気持ちはどうしてか昔から強いのだけど、言ってもしょうがないことを言うのは、もうええにしとこか。
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| 2005年5月26日(木) |
| バラバラ。 |
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全体像をイメージし、少しずつ積み重ねて形を作っていく。だんだん全体のイメージがより具体的になり、細部も明確になってくる。そして積み重ねた部分と想定している完成形との差異を少なくし、失くしていく。仕上げまでにかかる時間が長くなるとスケジュールの見直しなんかも途中で必要になってくる。そんな時に、出来上がっている仕事と残っている仕事のどちらに意識の比重が傾いても良くないような気がする。取り掛かっている仕事ばかり気にして残りの道程を考えないでいるといつまで経っても終わらないし、後に控えている仕事にばかり気をとられていると終わらせることが目的になってしまいかねない。いい仕事をするためにもその辺をバランスよく保っていたいんだけど、どうにも集中しきれない時にはそれがかえってアンバランスさを生む。アンバランスになってしまっているから集中できないのかもしれない。いずれにしても悪循環だ。何にもいいことがない。何を今さら……。そんな当たり前のことが当たり前にできなくなるのはそもそもバランスが崩れている証拠だ。そして今日もまた、草木も眠る丑三つ時になってもコーヒーを飲みながら机に向かい、あぁ、だんだん明るくなってきた……。
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| 2005年5月25日(水) |
| ランニングのススメ。 |
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ウォークマンで周囲の音をシャットアウトして、西宮ヨットハーバーを目指して歩いた。走らずに歩いた。いつかTVで見たことを思い出し、「わきの下から全部が足」のつもりで歩いた。そうすると自然といつもより歩幅が大きくなり、腰が回転してダイエット効果があるらしい。ぼくは別にダイエットしたかったわけではないけれど、とにかくそんな感じで歩いた。自転車に追い越され、犬を連れて歩くおじいさんには追いつけず、ジョギングするおばさんに追い抜かれた。風にも追い越された。それとも風は、ぼくを後押ししてくれていたのかもしれない。 唯一、ダンゴムシだけはぼくが追い抜いた。歩くことに集中していたつもりなのに、今思い出してみると、色んなものが見えていた。ダンゴムシは歩道を歩いていた。歩道を右の植え込みから左の植え込みに渡っているのではなく、歩道に沿って歩いていた(というか這っていた)。このままどこに行き着くのだろうと少し心配にはなったが、ぼくもそれどころではなかったので、追い越してそのまま歩き続けた。音楽の助けを借りて自分の世界に没頭し、一歩ずつため息を搾り落とし、ため息とともに雑念を振り落としてきた。ヨットハーバーでは、白地に灰色でトラみたいな模様の犬がいた。びっくりして二度見した。トラじゃないことを確認してから先に進んだ。並んだヨットを前にボードウォークに座っていると、また小さな犬になつかれた。ここは犬の天国だ。芝生は広いし、犬を介して飼い主たちも楽しそうだ。神戸の山に沈む夕陽がぼくの長い影を落として、ぼくは一人で影絵みたいなことをして遊んだ。
ランニングは体力トレーニングとしてだけでなく、他にすることがないから集中して色んなことを考えることができ、とても有意義に時間を過ごせる。同じコースでもう少し時間が必要な時は、もう少し時間のかかるウォーキングにするといい。何をグズグズ言ったところで結局は前を向くのなら、前を向くまでのグズグズ言っている時間を有効に過ごそうと思って、歩いてみた。心地よく疲れることができて、今日はぐっすり眠れそうだ。作戦成功。
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| 2005年5月24日(火) |
| カブトムシと発電所。 |
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夕方からの雨も上がり、夜になって駅までの道を歩いていると、市役所の生垣からだろうか、湿っぽい匂いが漂ってきた。芦屋川からは少し離れた道を歩いていて、周りには消防署があったり国道43号線が走ってたり、それほど緑が多かったり自然が残っていたりするところではないんだけど、その湿っぽい匂いでカブトムシを思い出した。本宮にいた頃、カブトムシやクワガタを飼っていた。学校の友達と採りに行ったこともあるけれど、思い出したのは父さんに連れて行ってもらった近くの発電所だった。近くとは言っても歩いて行けるところではなくて、夜になってから車で連れて行ってもらうんだけど、川沿いの山の中にあって、カブトムシは発電所のブンブン唸るような音や白銀灯の明るさに吸い寄せられるように、コンクリートの壁にペタペタとくっついていた。そこに、時々家族で行っていた。図画の時間にその時の絵を描いたりするぐらい、ぼくには楽しい時間だった。だからカブトムシと発電所はぼくにとってセットになっている。
そして発電所と言えば、全部の家の屋根にソーラーパネルを付ければ必要な電力はまかなえるんじゃないのかなと最近よくふと考える。そうすれば原子力とか要らないし、要らなくなればソーラーパネルをつける費用ぐらいなら出してもらえそうだし、地球にもヒトにも優しいと思うんだけど、何か問題があるのかなぁ。こういうことはもうちょっと勉強してから発言しよう。
とにかく今日は、芦屋市役所の前を歩きながらそんなことを考えていた。そういえば月もとても明るかった。
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| 2005年5月23日(月) |
| 色んな学問。 |
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衣環境学、という学問があるらしい。色んな分野があるんだなぁ。
そういえば高校までは授業で受ける科目の種類や数にそれほど大きな変化はなかったけど、大学に入ると学部・学科とコースが細分化され、授業の種類も数もそれこそ数え切れないぐらい豊富になった。同じ学部の友達と同じ授業を受けるとも限らず、授業ごとに友達ができたり、そういう点では楽しくもあったけど、あの授業数や、授業ごとにかばんを抱えて教室間を(時には大学構内の道路を車に気をつけたりしながら渡ってまで)移動するシステムが、実は大変ショックだった。みんなもっと驚いたり戸惑ったりしていいはずなのに、なにを慣れたふうを装っているんだろうとしばらく思っていた。中学までは学校でパンやガムを食べるだけで怒られていたのに高校に入って食堂や売店があった時も驚いたけど、大学での衝撃はそんなレベルではなかった(二年先に高校生になった兄から休憩時間にパンやジュースを買っていいと聞いてもなかなか信じられず、「え? ウソ? パンとか食べてもええん? ジュースも?」と何度も聞き返したことを覚えている)。
でもまぁ、それぐらいの変化はショックというには少々大げさすぎるけど、フランス語を「フラ語」と短縮したりキリスト教学を「キリ教」と言ったりすることにはショックを受けると共に極度の抵抗を覚え、結局四年間、ぼくは真面目に「フランス語」、「キリスト教学」と言っていた(多分ぼくは、数ある流行り言葉の中でも短縮するという方法に一番抵抗を感じる)。キリスト教徒ではないけれど、全世界であまねく敬意を表されているキリスト教のことを「キリ教」と呼んでしまう度胸は、ぼくにはなかった。
いずれにしても、カリキュラムが充実していること、思いもよらない分野の学問があること、その全ての分野で学生に教授できる教授がそれぞれ存在すること、などに驚きつつ、それでもそれほど積極的な興味は持てず、だけどこれをライフワークにしている方たちがいるぐらなのだからどこかに興味深い点はあるのだろうと生意気極まりない理由を自分に言い聞かせながら、授業を聞いていた。
因みに衣環境学では、気温と長袖・半袖、省エネとの関係なんかも勉強するみたいで、今日の新聞に「気温が30度以上になっても長袖の上着を着て街を歩く男性が多く、暑苦しくても厚着する男性社会に合わせるから女性は過剰冷房で寒さに震え、男性が夏に軽装すれば女性のためにも省エネのためにもなる。無理してでも長袖を着る社会規範が男性にはあるようだが、25度を超して長袖上着を着ていると不快感が増し、作業効率も落ちる」という、ある衣環境学の教授のコメントが紹介されていた。う〜ん……、色んな学問があるもんだ。
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| 2005年5月22日(日) |
| とりあえず。 |
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昨日の日記で、「(キャンドルの)控えめなところがなかなかに憎らしい」と書いたけど、実は「控えめなところ」という表現に落ち着くまでに一波乱あった。初めは「控えめさ」と書いていた。形容詞の語幹などにつけてその程度・状態を表す名詞をつくる接尾語の「さ」を使っているつもりだったんだけど、どこかしっくりこなかった。正しい日本語じゃないような気がした。それで何がそう思わせるのか改めて考えていて、「控えめな」というのが形容詞じゃなくて形容動詞だからかなということで納得しかけていたんだけど、でもよくよく考えてみると「見事な」という形容動詞を活用させて「見事さ」という名詞を作ることもできるし、そう考えるとやっぱり「控えめさ」がしっくりこないのはゲシュタルトの崩壊的現象に過ぎず、文法的には正しい日本語でいいのかな???
もう何がなんだか分からなくなってきた。とにかく自分の危うい日本語にぞっとする。
最近は、未然、連用、終止……、と考えることが多い(最近、ぼくが「最近」と言う時の幅がおそらく広すぎることに気がついている。下手をすると、関学に行っていた頃のことでも「最近」の出来事のように思ってしまっている。おじさんみたいだ。おじさんか。いや、まだ……、違うよね??? ……そんな話をしているのではない)。とにかく、日本語の正しさって一体どこに基準を求めればいいんだろうかと思う。少なくとも文法ではなく、だけど流通している日本語の体系的な説明としてもちろん大いに尊重しているつもりだし、もう少しきちんと日本語の文法を勉強し直さないといけないとは日頃から思っている。それでも絶対的な基準にはならない。言葉は正しく使うためのものではなくて、何かを正しく伝えるためのものだ、という開き直りもイヤだ。諦めてしまっている自分を正当化するための理屈のように聞こえる。「控えめさ」に自信が持てなければ「控えめなところ」と逃げることもできるけど、それは胸のうちでは実は許しがたい解決策でしかない。だいたい言葉が乱れていく時というのは、自分でそのことに気がついていないことが多いような気がする。きっと「答え」というよりは、自分なりのルールを持つことが大切なんだと思う、みたいなところで今日は終わりにしときます。
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| 2005年5月21日(土) |
| ココナッツなんとかキャンドルの男気。 |
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昨日は明け方近くまで起きていて、ベッドに入る頃にはすっかり朝日が昇っていた。そして、寝ようするとふとした瞬間に、消したはずのココナッツなんとかの匂いがする。あれ? と思ってクンクンと嗅ぎまわっても特にどこに匂いが残っているというのは分からず、諦めて歯を磨いてベッドに入ると、いよいよぼくはその懐かしい匂いに覚醒してしまった。ホノルルを思い出してしまっては大人しく眠ることもできず、ベッドの上で上体を起こして脇に置いている小さいライトだけ点け、ボリュームを落としてクラプトンなど聴きながら、すでに明け方ということで窓の外からは鳥のさえずりが聞こえてくる。ホノルルでは朝の五時にマラソンがスタートし、やがてカピオラニ公園にさしかかると眠っていたはずの鳥たちが3万人を越えるランナーたちの足音や奇声に驚いて一斉に飛び立つ。そんなシーンまで思い出した。昨日は心の支えだったはずのキャンドルのことをあんなふうに言ってしまったけれど、忘れた頃にさりげなく鼻先をかすめていくなんて、その控えめなところがなかなかに憎らしい。何と言われようが自信があるからでしゃばってわざわざ自分の存在を誇示したりしないココナッツなんとかキャンドルを見習おう。そんなことを思いながら、いつの間にかぐうぐう寝ていた。
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| 2005年5月20日(金) |
| キャンドルでリラックス。 |
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以前は引っ越すたびに、まずバスルームの照明をブルーに変えていた。風呂好きのぼくとしては、できる限り落ち着ける場所にしたかったからだ(でもその分暗くなって掃除がしにくいので、今はもうやめている)。当時は同じようなノリで、アロマキャンドルなんかも使っていた。匂いはどちらかというと苦手なんだけど、一つだけ大丈夫なのがあって、確かココナッツなんとかという名前だったと思うけど、一気にホノルルを思い出していい気分になれる。スノーボードやサーフィンなんかで使うワックスやサンオイルにもよく使われているようで、たとえばスポタカに行くとマリン関連のものを置いたフロアで同じ匂いがする。ホノルルを思い出すココナッツなんとかキャンドルで、気分は落ち着くのか高揚するのか、いずれにしても集中できる。でも、そのことをここ数ヶ月忘れていた。さっき本棚の奥に見つけて思い出した。
キャンドルにしても何にしても、外から自分にプラスに作用するものが見つかるというのは、ものすごく低い確率だと思う。ありがたいことだ。ぼくはキャンドルなんかに興味はなかったし、そもそも匂いが苦手で、それなのにこういうものを見つけて、しかもとても積極的に気に入った。キャンドルが心の支えだなんていうと大げさだけど、どうにも胸がざわつく時にちょっとこれで気持ちを落ち着けて、なんていう心強いパートナーにはなり得る。……と思って実はさっきからココナッツなんとかキャンドルを灯しているんだけど、別にどうっていうことがない。おかしいな……。前は仄かに漂うココナッツ・フレグランスにホッと一息つけるひと時を過ごしていて、記憶としても強烈に残っていたんだけど、こうして久しぶりに取り出してきても、まぁちょっと炎の揺らめきがきれいだな、ぐらいでしかない。匂いにはそれほど揺さぶられることも静められることもない。記憶の中でインパクトが大きくなりすぎていたんだ、きっと。でもまぁ、『一切れのパン』みたいなものと思えばいいか。
『一切れのパン』は小さい頃に父さんが寝る前に話して聞かせてくれた。どういう状況だったか、主人公の男性はどこか遠いところまでひたすら逃げないといけなくて、だけど頼る人も何もなく、そんな時にどういう関係の人だったか、確か老人がパンを一切れだけ包んでいるというハンカチを持たせてくれたのだ。でも一切れだけしかないから、もう本当にダメだというときまで包みを開いちゃダメだと忠告される。そして逃亡の途中でお腹が空いてもこの最後の一切れのパンがあるということを頼りに我慢して、我慢して、そしてどこだったか目指していた村にようやくどうにか辿りつき、包みを開けると入っていたのはパンではなく木切れだったという話だ(なんて曖昧な記憶なんだろう。でもぼくにはこれで十分だ)。
そうなんだ、実際にはなくても支えになるもの、という概念が存在するはずだ。キャンドルのことはまぁいいとして、ぼくにはそういう無形の貴重な財産がたくさんある(もうちょっと有形の財産も欲しいけど)。目に見えない大切なものを信じたり、大切にしたりすることって、大切だ。
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| 2005年5月19日(木) |
| 亜種の活字中毒? |
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自分が、一種の活字中毒だと気がついた……、と書きながら、「活字中毒」の定義ってどういうことになるんだろう? と疑問が湧いてきた。いつでもどこでも何か読むものを求めてしまう的な意味合いかな。ぼくの場合は、たとえば今日もそうだったんだけど、今日すぐに読むつもりとかではなくて次に電車に乗る時や寝る前に読む本がなくなったので買っておこうと思ってぶらりと本屋さんに立ち寄って買った本を、今日すぐに読んでしまうということです。とりあえず面白そうだと思って買った本だから帰ってきて最初の数ページを読むのはありだとしても、一旦切り上げて翻訳を始めてからも続きが気になって気になってしょうがなくなる。短編集なんかだと、とりあえず最初の一篇だけにしておくつもりで読み始め、キリのいいところで終わりにして翻訳に取り掛かり、取り掛かっては次の一篇が気になり、気になったからには次の一篇、そして翻訳に戻ろうと思いつつさらに次の一篇、そしてもう一篇……、といった感じで結局どっちつかずな感じで最後まで読んでしまう。本当は本なんか読んでいる時間があるなら他にしないといけないことがあるというのに、気が散ってしょうがない。こうなったらもうキリがいいとか悪いの問題ではなく、読むところが残っている限り次に進みたくなる病だ。
そしてたとえば、本屋さんで雑誌なんかを手にとっていても、手に取った雑誌じゃなくて棚に並んでいる次に手に取ろうと思っていた雑誌が気になって、一番目の雑誌を手に取ったまま二番目の雑誌の表紙を眺めていたりする。新聞でも、こっちのページに掲載されている記事を読みながら心は隣りのページの記事にあったりする。もしかしたらこれは亜種だろうが新種だろうが活字中毒ではなく、ただ落ち着きがないだけなんだろうかとも思ってみるが、ぼくは自分で言うのもなんだけど、どちらかというと落ち着きがない方ではないと思う、自分で言うのもなんだけど。小さい時も近所の散髪屋さんで「お兄ちゃんより大人しく座っていてくれるからやりやすいよ」と言ってもらった記憶がある。
だからやっぱり活字中毒の一種だということにして、何か対策を考えようと思った。たとえばアルコール中毒の人がいる。ストーンズのロニーもお酒が止められないらしい。この5年間で4回禁酒に失敗していて、今はリハビリ施設に入院しているという。ツアー中はどっぷりと音楽に浸っていられるからお酒がなくても我慢できるそうだけど、ツアーが途切れるとどうにも飲みたくなるらしい。他にも、高校三年の時に友達の家に遊びに行くと、ガムテープを貼ってマジックで「封印!」と書いたダンボールが机の下に置いてあったことがある。中に何が入っているのかと訊くとゲームだという。受験を控え、大好きなゲームを封印したのだと言いながら、ガムテープが何度か破られた後があった。いずれにしても、最初は意識的に、あるいは強制的に我慢しないといけないけれど、ツアーが始まったり受験が本格化すれば、どうにか止められるもののようだ。中毒とはそういうものだ、とぼくは理解した。さて、ぼくはどうしよう???
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| 2005年5月18日(水) |
| 翻訳マシーン。 |
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昨夜はちょっと昼寝でも、という感じで電気をつけたまま寝てやった。そして二時間ぐらいで起きて、おしゃれな気分でシャワーなど浴びてみた。すでに外は白み始めていて、気分もすっきりしたところで久しぶりに充実した朝を過ごした。そして昼過ぎにはもう眠くなっていたのだけど、ここで寝てしまえば何の意味もないので、ちょっと集中が切れてきたと思った時にはすぐに中断して30分ぐらいずつ休憩したりしながら一日を乗り切った。今日は最初から翻訳マシーンと化してみるつもりで、結局実働で15時間以上翻訳してやった。最近はなんだかペースを掴みきれずにいたのだけど、意外と今日一日でふっ切れたような気もする。明日からはもう少し積極的に休憩を取り入れたりしながら、この調子で一気に頑張りたい。
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| 2005年5月17日(火) |
| でん! |
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一日の生活が24時間内に収まらなくなってきた。以前はもっと凝縮した形で一日に24時間、あるいは30時間ぐらいを過ごしていたけれど、この頃は間延びしているというか、時計に俺の生活は支配させないぜ的なハテンコーな感じではなく、なんとなくダメっぷりを発揮してしまっている。睡眠(惰眠?)時間が増えているのもその理由の一つだと分かっているのだけど、どうにも起きられなくなってきた。そのクセ夜は眠れない。去年の今頃もこんな状態で、思い切って実家に帰ってカヌー三昧の日々を過ごした。そうすると治った。たぶんバランスの問題だ。翻訳がいよいよ大詰めを迎えていて、今まで以上に集中したいんだけど今までもそれなりに集中してきているので今まで以上に集中することができず、だからといって気分転換をする余裕もなく、ジレンマに陥っている。こういう生活をするようになって長いけど、毎日が違うパターンで過ぎていくのでなかなか自分のペースをつかめない。もっとでん!と構えていたい。
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| 2005年5月16日(月) |
| 夏の日の象徴。 |
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今日こそ夏の日の思い出を、ということで、もうすぐ34回目の夏を迎えるんだけどその前に、これまでに過ごした33回の夏の中から割りにしつこく印象に残っているエピソードを一つ。小学校最後の二年間のほとんどを費やした少年野球でのことで、当時のぼくの一面を象徴しているような、していないような。
ぼくたちはよく和歌山市に遠征に出かけた。父兄の乗用車やマイクロバスで国道42号線を北上し、市内にあるビジネス旅館ミツヤに泊まるのがお決まりだった。その時は監督さんからコーチから父兄から全員で食事をするのだけど、当然好き嫌いなど許されるはずもなく、きちんと食べ終わるまで席を立たせてもらえなかった。そしてぼくは、当時から好き嫌いが多かった。狂おしいぐらいに多かった。そして和歌山だからか、それとも大人たちと一緒だからか、刺身だったりシジミの味噌汁だったり、なんせ魚介類が多かったような気がする。こっちは激しい運動の後でお腹が空いているんだし、しかもちびっ子なんだからハンバーグでも出してくれたらいいのに、うわぁ、また刺身やん……、菊とか添えてくれたところで、なぁ……、という夜が待っているのだった。。遠征は楽しいんだけど、食事を思うと行く前からユウウツになったりしていた。そして食事の時間になるとぼくは試合中とは打って変わって大人しくなり、だいたい一番遅くまでかかって食べていた。食べ終わったみんなは部屋に戻ってしまって、最後には監督さんの目が光る中、ぼく一人が取り残されるなんてこともしょっちゅうだった。そして泣きながらイカの刺身を飲み込むように食べたりするのだった。
だけどそういう遠征も何度目かになると、ぼくはある技を思いつくようになり、そしてとうとう完成させた。「シート」と呼んでいたんだけど、まだ他のメンバーたちも食べているうちに、つまり監督さんの注意が大勢に分散している間に、嫌いな食べ物の上に仕切りに使う緑色のビニール製の葉っぱみたいなやつを被せて隠したり、焼き魚の皮や細かい骨をまとめた中に隠したり、割り箸の袋の中に詰め込んだり、シートを被せるイメージでどんどんどんどん片付けていったのだ。そして後は悠々と食べて、元気にごちそうさまぁっ! ってな感じで夜の素振りに出かけるのだった。黒いサングラスの奥に光る監督さんの目には、食べ物を粗末にすることへの疚(やま)しさ以上の威圧感があったのだ。
しかしそれで疚しさが消えてなくなるわけではなく、ぼくは次の作戦を思いついた。普段の練習では水やジュースで水分を補給するのではなく、うちのチームではトマトが配られることが多かった。そしてトマトの嫌いなメンバーが多かった。ぼくは大好きだった。それで普段、トマトが嫌いな子の分まで食べてあげていたので、遠征でぼくの苦手なものが出た時には、代わりに食べてもらうことにしたのだ。契約である。これはなかなかいいアイデアで、もちろん監督さんの目を盗まないといけないことには変わりないのだけど、疚しさレベルはぐんと下がった。そうやってぼくは少年野球時代の夏を過ごし、好き嫌いを克服することなく大人になってしまったのだ。
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| 2005年5月15日(日) |
| 夏の日の印象。 |
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昨日の続きのような感じで、もう一つ印象として確実に残っていることがある。それは遠い遠い幼稚園での生活にまでさかのぼる。2歳とか3歳の時の記憶だ。ぼくは入園して初めの頃こそ、二つ上の兄と一緒の教室じゃないとイヤだとか言って泣き喚いたりもしたらしいけど、それ以降は土の団子も上手に作れたし、すべり台の順番も行儀よく守れたし、通園バッグをきちんと斜めにかけて、ハンカチをきれいに畳んだ上に名札をつけて胸にピンで留めてもらって、元気に挨拶のできる優良模範園児だったと記憶している。そんなぼくが、初年度の学年末(とは言わないか……、とにかく年度末)に、留年(?)が決まったのだ。あなたは留年です、と言われたわけではなく、言われたとしてもその部分は記憶になく、ただ、みんなが白組に進級していく中、ぼくと確か大登君と他にあと何人かだけ、またしても緑組だったのだ。え〜っ、何でぼくらだけまた緑組なん!? と文句を言うにはおそらく幼すぎ、だからといって二年目の緑組をすんなりと受けれるにはそれなりの社会生活を経験していたぼくは(といっても3歳なんだけど、3歳なりの)違和感を感じつつ、緑組のベテランとして複雑な心境で春を迎えたのだった(……また夏の日の出来事じゃないな、これも)。だけどそんな違和感はいつの間にかなくなって、たくさんの友達ができ、次の年こそぼくも大登君も他の友達たちと一緒に白組に進級し、そして青組を経て無事卒園したのだった。おそらく入園するのが何ヶ月か早かったんだと思う。だから一番下の緑組にとりあえず入れてもらっていたのだろう。
そんなこんなで、友達に置いていかれるような、友達と引き離されるような不安を感じたことは確かなんだけど、その不安はほんの一瞬でしかなかった。もしかしたら二、三日は愚図ついていたかもしれないけれど、いずれにして短期間でしかなく、すぐにけろっとしていたはずだ。なのに、今でもその瞬間、あるいはその二、三日の間に感じていた不安のことを、はっきりと覚えている。ぼくは自分の記憶をつかさどる器官がどこにあってどういう仕組みになっているのか詳しくないけれど、どういう基準で取捨選択をしているのか興味がある。仲良くなれたら訊いてみたいものだ。いずれにしても、切なさと懐かしさが入り混じったその時の記憶は、ぼくにとっての夏のイメージとダブるようだ。たとえそのエピソードが春の出来事だとしても、思い出すのはなぜか夏の日だったりする。
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| 2005年5月14日(土) |
| 夏の日のワンシーン。 |
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今日みたいな日は、疲れ目を癒そうと目をつぶっていると、じりじりと汗をかきながら空に溶けていきそうな遠い日の記憶が甦ってくる。夏の日の夕暮れ時ほど、特に一人で過ごしていて現実の時間軸からはみ出してしまいそうな、圧倒的な洪水のように時間の流れが過去から現在へと逆行してくるような錯覚に陥る時間帯はない。ふと気づけば、蝉の鳴く古座川や、野球の練習を終えてみんなで自転車で帰ったことや、和歌山市まで遠征した時にマイクロバスの中から見た真っ赤な夕日なんかを、ぼんやりと思い出している。
そんな中で、平凡すぎるぐらい何気ないある一日のことを思い出すことが度々ある。高校生の頃で、ぼくは何に全力を尽くすでもなく、のらりくらりと過ごしていた、今思い出して一番反省を要する時期のことだけど、その日も学校から帰ってくると二階の自分の部屋に入って学生服を脱ぎ、そのまま寝てしまった。そして目を覚まし、時計を見ると6時半ぐらいで、ぼくは朝ごはんを食べるつもりで学生服に着替えて下に下りていった。そして母さんに、「どしたん?」と言われて初めて朝と夕方を間違えていることに気がついたのだった。そして夕ご飯を食べる前にまた二階に上がって着替え直したということは言うまでもない。昼寝をした後に朝なのか夕方なのかが一瞬分からないことはよくあるけれど(あるよね?)、その時のぼくは一瞬も迷うことなくテキパキと学生服に着替えて下に下りていった。そんな、どうして忘れてしまわないのかが不思議なぐらいどうでもいいことを、思い出したりするのがぼくにとっての夏の日のワンシーンだ。ただ、思い出したその日に着ていた学生服は冬服だったので、思い出すのは夏の日であっても、思い出したのは夏じゃない。それに、今日はまだそれほど夏じゃない。
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| 2005年5月13日(金) |
| 健康第一。 |
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昨日は一日外に出なかった。ご飯もあるもので済ませ、一歩も外に出なかった。さすがにこれじゃダメだと思って、今日は自転車を漕いで大好きな西宮のヨットハーバーに行ってきた。大橋の坂がけっこうしんどくて、いい運動にはなるんだけど、すっかり運動不足になってしまったぼくにはちょっと大変過ぎて、帰りはこのあいだ見つけた坂を越えずに海を渡る道をすいすいと帰ってきた。これでもダメなんだけど、しんどい時はムリをせず徐々に、ということで。
そして平日なのでほとんど人のいないヨットハーバーでは、ポータブルCDプレーヤー(として使っているお風呂場用CDプレーヤー)で『Purple Haze』なんかを聴きながら、ブルースマンが書いた『一枚のレコードから』というエッセイ集を読んだり、フリスビーをしたり、遠くの方に見えた大きな黒い犬にびびったり、ヨットになんか乗ったこともないのにセンターハウス内にあるマリンショップをのぞいていて「ヨットですか?」と言われて恐縮したり、穏やかな一日をのんびり過ごした。
最近は部屋にこもってPCの前で一日の大半を過ごし、目にも体にもよくない生活が続いていたので、たまには(?)こんな一日も必要だと思い、そんな余裕などないはずの状況ではあるのだけど、そんな中でもちょっと綽綽(しゃくしゃく)としたところを見せてやろうと思って、呑気な一日を過ごしてみた。でもその分また明日から大変だ。みなさんもどうぞ適度な運動を普段から日課に取り入れて、健康的な毎日をお過ごしください。
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| 2005年5月12日(木) |
| TV。 |
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『世界の車窓から』を見た。というか、TVをつけたままぼうっとしていたらやっていた。車窓を流れる風景がきれいだし、列車に乗っている人たちの素朴な表情もステキだし、テーマ曲も爽やかで昔から好きな番組なんだけど、ぼくはTVを見る習慣があまりなく、どの局で何時からどの番組をやっているのかということも全く知らないから、好きな番組でも余裕で見逃す。そもそも毎週見ようと張り切ったりすることがない。そんなわけで、『世界の車窓から』があんなに短い番組だということも初めて知った。
それでも最近、毎週頑張った番組がある。先月終わった『未来少年コナン』の再放送だ。以前レンタルビデオで見始めたまま途中で終わっていたのだけど、昨年の終わり頃からTVで再放送があるということを第1回目が始まる15分ぐらい前に知って、慌てて近くのコンビニに走り、ビデオテープを買い、そしてそれから先月まで26週かけて全26回全ての放送を録画した。毎週木曜日の19時25分からだったんだけど、その曜日その時間を忘れてしまわないように携帯のアラームをセットし、その時間に外出する予定がある場合は予約録画をセットしてから出かけ、なんせぼくにとっては初めての種類の頑張りを見せた。それでもそれだけの甲斐はあり、コナンがラナやジムシーを想う温かい気持ちや、コナンをどこまでも信じるラナの幼い恋心、コナンとは固い友情で結ばれた野生児ジムシーの優しさ、彼らを見守る「おじい」やラオ博士の大きな心、それに何があっても絶対に諦めないコナンの強い心など、見所は1話ごとに満載で、本当に面白い作品だった。もちろんビデオの爪は確実に折った。宮崎駿監督の第1回監督作品だそうです。小さいお子さんから大の大人まで、自信を持ってオススメします!
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| 2005年5月11日(水) |
| 熊の鼓動。 |
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熊野古道、と書こうとしたら「熊の鼓動」と変換された……。おかしいね。
それはさておき、昨年七月に世界遺産に登録された熊野古道だけど、三重県尾鷲市にある八鬼山(やきやま)の峠沿いの木や岩への落書きが急増しているらしい。悪質ないたずらというわけではなく、その山の地権者の方たちが世界遺産登録への反対を訴え続けながらも聞き入れられなかったことに反発してやっているのだという。文化財保護法で保全が定められたのは石畳など古道の部分だけで、木の伐採を禁止するものではないらしいけど、運び出す途中に石畳を傷つければ何か罰則があるようで、そうなると伐採したところで運ぶことが難しくなり、ずっと林業で生計を立ててきた方たちにすれば、財産権が侵害されたと考えるのも無理はないのかもしれない。そして落書きは十分な説明もせずに世界遺産登録の申請に踏み切った行政への不満に留まらず、古道客を案内する語り部の方たち、そして古道客への非難にまで及び、かなりの範囲に渡って赤やピンクの派手なスプレーで書かれていた。その異様な雰囲気は忘れかけていた白装束集団を思い出させ、かなりイヤな気分にさせられるものだった。
ぼくは地元でもある熊野古道を歩きたいとずっと思っていたけど、こういう問題があるなんて知らなかった。紀州は木の国とも言われて昔から林業が盛んなところだし、世界遺産に登録されると今まで通りの生活はできなくなってしまう人がいるということにも気がついて良さそうなものなのに、ぼくはむしろお国自慢的な考え方しかしていなかった。恥ずかしいです。でもそれと同時に、対立というより行き違いだとは思うけど、落書きという方法に訴えてしまったことに関してはやっぱり哀しいことだと思う。落書きはメッセージとしてよりは、自分たちの権利が侵されるのならいっそのこと破壊してしまえ、みたいな印象を受けてしまう。でもそれも、登録申請前の反対の声を行政側が無視してきたからだという。最近始まった争いではなく、もう何年も続いているらしい。歩み寄れる余地があるのかどうか分からないけれど、うまく解決してくれるといいと心から願う。そして県内外の色んな人に熊野地方の素晴らしい自然を見ていただきたい。
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| 2005年5月10日(火) |
| 見失ってしまうもの。 |
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だんだん日が長くなってきた。まだ夕方のつもりでいるといつの間にか八時になっていたり、最近は集中しているのかそれとも浮き足立っているだけなのか、ただでさえ時間の感覚を見失いそうなのに、この外の明るさにはどうにも惑わされてしょうがない。その上だんだん暖かくなってきた。まさか予想外に早く暖かくなってきたために余ってしまった灯油をどうにか使い切ろうとクリーニングに出す前の冬物の服を着こんで我慢大会を開こうなんて考えている人はいないだろうけど、ほんの数週間前までのあの寒さが信じられない。町に出ても上着をはおっている人など見かけない。みんなすっかり夏の装いだ。そしてぼくもセーターを脱ぎ、ジャケットなんか着ずに一応礼儀で手には持ち、靴下も短くなり、そのうち近所のコンビニぐらいまでならショートパンツで出かけるようになり、サンダルが靴に取って代わるようになり、これでベースボール・キャップでもかぶれば立派なカツオの出来上がりだ。お〜い、磯野ぉ〜。
というわけで、夕飯の時間も忘れていつまでも外で遊んでいて怒られる季節の到来だ。みんな、そうやって夢中で遊んでいた頃の気持ちを忘れていないかい? 初めのうちは靴を濡らしたら怒られるからといって川原でもじもじしていたのに、そのうち楽しさに我を忘れて靴どころかズボンも服もびしょびしょにしながらじゃぶじゃぶと川に入っていってフナを追いかけた頃の気持ちを忘れていないかい?
怒られる……、と思いながらとぼとぼと家路に着き、漂ってきた夕餉の匂いにそんな反省もすっかり忘れて「ただいまぁっ!」と靴を脱ぎ散らかした遠い日のことを、みんな忘れてしまっていないかい? 友達とバイバイした時の満足感は覚えてるかい?
あの日のように無邪気な笑顔を今でも浮かべられるかい? 偉い人の顔色ばっかり窺ってないかい? 偉い人とばっかり付き合って安心してないかい? 偉い人は偉くなかった頃の気持ちを忘れていないかい? 偉くない人をバカにしてるんじゃないのかい? お前は本当に偉いのかい?
お前のその人を見下したような無神経なヘラヘラ笑いが独りで立ち向かおうとする者のピュアな心をどれだけ傷つけているかなんて、ちょっとでも考えたことはあるのかい? 夜に朝専用の缶コーヒーを飲むぐらいの勇気は持ってるんだろうな?
金のためだとかなんとか言って自分を騙してるんじゃないのかい? あの頃の夢はどこへ行ったんだい?
諦めちまったのかい? 何か大切なものを見失っていないかい? 愛し合ってるかい?
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| 2005年5月9日(月) |
| 薄い膜を剥ぎ取っていく。 |
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一昨日の日記で、「無関心と言うわけじゃないけどそっとしておいていいことというのがあってもいい」と書いた。それとは少しニュアンスが違うんだけど、よく似た感覚は昔からあった。自分の感情を、あれこれと分析したくなかった。それよりは、その瞬間の感情に身を任せていたいと思っていた。結局は自分の表現力に自信がなかったということなんだけど、言葉で表現してしまうと、感情に一定の枠を与えてしまうことになって、それ以上の広がりの可能性がその時点でなくなってしまうように感じていた。そして、そういう中途半端な表現なら、ということでそもそも自分を表現することを諦めていたようなところがある。だからぼくは、一時期極端に無口だった。ぶすっとしていた。それでもいつの頃からか、何がきっかけだったか、ぼくは外に向かって自分を表現することを諦めちゃダメだと思うに至った。語彙の少なさに行き詰まったり、ぐるぐると堂々巡りを繰り返すばかりでどこにも行き着けないように感じたりすることの方が多いけど、ごくごく稀に、イメージした言葉の持つ思いがけない別のイメージに助けられて、自分を覆っていた薄い膜がぷちっと破れて、その中でモヤモヤしていた感情がぷるんっと弾けて、一歩先に進めたような、目の前がちょっとだけ明るくなったような感じになることも、やはりある。それを地道に繰り返していくことで、少しでも今とは違う風景が見えるようになってくるのかなぁ、なんて思ったりする。もちろん、その時々の感情に浸っていた方がよっぽど楽で心地いいんだけど。
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| 2005年5月8日(日) |
| 多神教。 |
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小さい頃、風呂に入る前にトイレに行きたくなって、だけど風呂に入るつもりだったのですっぽんぽんのままでトイレに入ろうとすると、母さんに「『便所の神様、裸でご免なさい』ってちゃんと言うてから行くんやで」と言われた。そしてぼくはそう言いながらトイレに駆け込んでいた(最近はなかなかそういうシチュエーションにならないので便所の神様を思い出したことがなかったけれど、今日は「そろそろカヌーに行かんとなぁ……」と思っていると、風が吹けば桶屋が儲かる式に便所の神様に行き着いた)。
母さんがどういうつもりでそんなことを言っていたのか知らないけれど、先方さんに対して「どうも、失礼します」という謙虚な姿勢を持つことにつながっていたような気はする。便所の神様以外にたとえばお風呂の神様とか階段の神様とか縁側の神様とかは聞いたことがないけれど、便所の神様という考え方は、(どちらかと言えば、そして無理があるかもしれないけれど)多神教的でアニミズム的だと思う。遥か太古の昔から自然に神々が宿ると言われている熊野の地では、岩や瀧、川などがそれぞれ崇拝の対象となってきた。とすると、トイレにもやはり神様はいらっしゃるのかもしれない。そして子供の教育に一役買ってきたんだ。そうか、そういうことだったのか。なるほど。
ちなみに勝浦では「風呂に入(はい)る」ことを「風呂に行く/入(い)る」と言うので、一人暮らしをするようになってから留守電にメッセージを残してくれていた友達に電話をかけなおして「あ、ごめんごめん、風呂行/入(い)っとったんよ」と言うと、「あれ、伊達んとこ風呂なかったっけ?」なんて言われることも何度かあった。
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| 2005年5月7日(土) |
| 週間天気予報。 |
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天候に左右されるような生活なんかしていないくせに週間天気予報を見たり、雨が嫌いなわけでもないくせに傘マークを見つけてユウウツになったり、晴れても雨が降っても特に何も困らないくせに次の日にまた週間天気予報を見て昨日と予報の内容が変わっていたら文句を言ったりする。晴れたら気持ちがいいし、雨が降っても傘がある。姪っ子とブランコに乗ると、靴を飛ばして遊ぶ。力みすぎて後ろに飛んだり、くるくる回るばっかりで全然前に飛ばなかったり、かなり楽しい。靴がひっくり返る確率も、明日雨が降る確率も、ぼくにとってはおんなじようなもんだ。どっちに転んだって大したことじゃない。それなのに毎日のように週間天気予報を見て、ぼくは一体なにをしているんだろう?
知らないでもいいこととか、知ろうとしない方がいいこととか、無関心というわけじゃないけどそっとしておいていいことというのがあってもいいなと思う。
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| 2005年5月6日(金) |
| GW。 |
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連休が終わった(日曜日まで連続して休みの方もいらっしゃるかもしれないけれど)。連休だったという意識もなく、コンピュータから印刷して机の上に吊り下げたカレンダーを見ながら、赤で表示された数字がもう昨日以前になってしまったという意味で、連休が終わった。
祝日を休日という観点でしか捉えられなくなってしまっていることが、ちょっと後ろめたい。こどもの健やかな成長を願い、こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかる気持ちを年に一度しか持たないわけでは決してないけれど、子を持たないぼくにとっては毎日毎日意識していることも難しい。それなら一年に一度でもそういうことを考えさせてくれる日があるのはいいことだと思う。ぼくには今のところ、自分が子供として迎えたこどもの日の記憶しかない。それでも柱に傷をつけた思い出や柏餅の記憶が家族の中での自分を考えるきっかけとなり、姪っ子たちがその傷と自分たちの背丈を比べているところを見ては流れた歳月を思い、自分のこどもではなくとも周りにいるこどもたちのことを考えたり、今のところは考えるだけしかできなくても、少なくとも考えてはいられる存在でいられる。
そんなことを考えていると、ぼくが長年、自分の成長や成熟を一番に考えてきてしまったのも、それはそうすることが一番の恩返しになると思っていたからかなぁという、極めて自己肯定的な考えに改めて至ってしまった。ホントにぼくは、どこまでも勝手なもんだ。
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| 2005年5月5日(木) |
| 覚めやらぬ。 |
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「よかったぁ……、昨日めっちゃよかったぁ、」と今日は何回呟いたことだろう。それにしてもよかった、めっちゃよかった。
昨日のステージでは甲本ヒロトが清志郎に向かって「リスペクト!」と挨拶していた。すると清志郎は「ミー、トゥー!」と返していた。これにはヒロトも照れくさそうだった。ロックンロールの合間に和やかな空気が流れた瞬間だった。10歳以上も年の離れた後輩のことを「リスペクト」しているとはなかなか思えるものではないし、言えるものではない。でも音楽の世界では時代の変遷とともに色んな形のミュージックが出てきて、年が離れていようがジャンルが違っていようが、自分に衝撃を与えてくれる存在となるミュージシャンは出てくるのだろう。だから音楽という輪の中で自分を表現しようと活躍する人間のことは(生っちょろい意味合いではなくて)仲間と思えるのかなぁと思う。そしてもちろんそれは、音楽の世界に限ったことではない。あらゆる人間関係においてそうあるべきだと思う。
清志郎が雑誌のインタビューに答えて、「勢いのある後輩をつぶそうなんて了見の狭い考えは持っていないし、つぶされてつぶれていくような奴はつぶそうとしなくても勝手に消えていく」と言っていたのを読んだことがある。言葉の真意が伝わったり、言葉が真摯な気持ちで受け止められたりするのは、言っている本人の行動が伴っているからだと思う。レコード会社に干されかけても、アルバムが発売中止の憂き目に会っても、メンバーが脱退していっても、辛い気持ちも哀しい気持ちも全てを自分のフィールドである音楽で、誰のためでもなく自分のために表現し、キヨシローはそれを35年も続けてきたんだ。誰かがきっと、どこかで見ていてくれるものなんだ。
自分の行動が周りから注目されるようになるには時間がかかるし、注目されなければ行動が伴っているかどうかを問わず言葉だけが独り歩きしていく可能性もあるし、それは危険なことかもしれないし、だけど色んな人から注目されていようがいまいが、そういう優しい視点で見ていたいと思える友を持ちたいと思う。そして、有り難いことにぼくにはそういう友がいる。もちろん全ての人に対してなんていうのは不可能だけど、自分が信じる人に対してだけは「ぼくがきみのことを知っているよ」といつまでもどんな時でも言ってあげられる人間でありたいと思う。
チャボが自分のステージが終わる時に「この後にはぼくの古い友達も出る予定だから、盛り上がっていってね〜」と言っていたのも、だから嬉しかった。RCは活動を休止して15年になる。それでも彼らは、盟友と呼ばれるに相応しい関係なんだと思う。そんなことを今日になってもまだ考えていた。だからみんなもぼくのことをよろしく。
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| 2005年5月4日(水) |
| R & R Tonight. |
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大阪城ホールで行われたロック・フェスティバル、"Fly the Flag" に行ってきました。もちろん目当ては麗蘭と忌野清志郎で、今日のプログラムではその間にハイロウズのステージがありました。ハイロウズはあまり知らないのだけど、高校の時にブルーハーツをよく聴いていたので楽しみでした。とにかく昨日から何も手につかないぐらい楽しみで楽しみで、とても楽しみでした。
麗蘭はRCサクセションでギターを弾いていたチャボとスライダーズでギターを弾いていた土屋公平さんのユニットで、キュインキュインとツイン・ギターが炸裂していました。たどたどしいMCは愛嬌で、RCの頃には我が道を往くといった感じの強かったチャボがバンドを率い、まとめ、イニシアチブをとり、観客に向かって一生懸命に話しかけている姿を目の当たりにして、昔のあれだけの栄光もあっさりと昔のこととして、今はまた新しく、といっても麗蘭も結成して14年目だそうですが……、新しい自分に挑戦しているということが素敵でした(ちなみに昨年出たアルバム『SOSが鳴ってる』は13年ぶりにして2枚目です)。リバプールやアメリカ南部へのリスペクトに満ちた曲の数々、そして最後に歌った「R & R
Tonight」には思わず涙が溢れ、こぼれ、伝いました。「今夜ちょっといい気分さ、だってR&Rがこんなに溢れてる……」。チャボさん、それを言うならぼくたちは今夜サイコーの気分でしたよ、だってこんな素敵な麗蘭のR&Rが鳴ってたのだから!
そして会場中にウェーブを起こし、アリーナは床が抜けるんじゃないかと思うぐらいパワフルなハイロウズの後、いよいよチャボの「古い友達」の登場です。まずはバンドのメンバーが登場し、演奏が始まり、キヨシローがステージに姿を現すと会場の盛り上がりはハイロウズにも決して負けず、むしろハイロウズが残していった熱気をさらに一段階高みに持っていくぐらいにヒートアップしました。ワーワーキャーキャーと悲鳴にも似た歓声が止まず、それを凌駕するキヨシローのソウルフルなラブソングが10曲、35周年を記念する新しいアルバムからのナンバーも、RC時代の懐かしいナンバーも、雨上がりの夜空に輝くナンバーも、気持ちEナンバーも、日本の有名なロックンロールもあり、ハイロウズで出番を終えたばかりの甲本ヒロトも、朝の一番に出番を終えたはずの奥田民生も、キヨシローの後に出番を控えていた東京スカパラダイスオーケストラのメンバーも出てきて、みんなでイェ〜って言って、TVでしか見たことのなかったキヨシローが確かにそこにいて、夢を見ているような一夜でした。良かった! サイコー! うぉ〜! 行ってよかった〜!
(麗蘭)
I Feel Beat
SOSが鳴ってる
あこがれのSouthern Man
Get Back
R & R Tonight
(忌野清志郎 & Nice Middle with New Blue Day Horns)
Rock Me Baby
GOD
トランジスタラジオ
宝くじは買わない
仕草
Jump
Remember You
気持ちE
上を向いて歩こう
雨上がりの夜空に
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| 2005年5月3日(火) |
| ちょっと思ったこと。 |
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音楽を聴いたり本を読んだりしていて、心に沁みたり胸に熱いものが込み上げてきたりすることがあるけれど、それはきっと、作者が本当の正直な気持ちを表現しているからだ。格好をつけたり自分を誤魔化したり、言葉を飾ったりしていないからだ。単純なようだけど、難しいことだと思う。スタイリッシュなものを見てカッコいいなぁと思うことがあるから、カッコいいなぁと思ってもらいたくてスタイリッシュなものを目指したりするのは簡単だけど、スタイリッシュなものに共感することは少ないように思う。「共感する」ということは、ぼくたちの生活においてけっこう大切な要素のような気がする(「共感する」というのは、「同情する」でも「スゴイと思う」でもなく、「賛成する」とも違う。同じレベルで共鳴するというのがポイントだ)。共感するには見た目のカッコよさとかじゃなく、もっと根っこの部分で響きあうものが必要になってくる。なのに想いを言葉にしようとすると、こんなことを言ったら恥ずかしいかなとか、悪く思われるかなとか、他人を気にして色んな雑念がどうしても入る。そして自分の根っこの部分を結果として隠してしまう。
見栄を張って生きることは(カッコよくはないけど)人生のある段階においてはある程度、本心と向き合うためにも必要だとぼくは思う。でも主客を顛倒させてしまえば自分の立ち位置を見失ってしまう。自分のどんな部分をどう表現するかということとはまた別の問題だけど、全く別の問題というわけでもないと思う、みたいなことを今日ちょっと思った。
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| 2005年5月2日(月) |
| 夏も近づく。 |
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今日は立春から数えて八十八日目らしい。明々後日まで待てば立夏というまぁまぁメジャーな暦日があるのに、八十八夜なんていう中途半端な雑節が導入されたのも、農家の人たちにとって注意が必要となる遅霜が発生する時期であったり、茶どころでは茶摘の最盛期であったり、日本の風土にとっては重要な季節の変わり目だからのようだ。昔の人は偉いなぁ。ちゃんとみんなのことを考えている。ぼくは自分でも意外なんだけど、こういうことに結構興味がある。惑わされたくはないけれど、先人たちの教えや言い伝えはじわりじわりと体に沁み込ませておきたいと思う。そのわりに全然詳しくない。冒頭に書いたのも広辞苑やらネットでちょっと調べただけのことで、農家と霜なんて言われても思い出すのは『北の国から』で霜害注意報か何かのサイレンが鳴って「れいちゃん」のお父さんが畑の様子を見に行こうと慌ててトラックに乗り込むシーンぐらいだ。
それにしてもぼくはものを知らない。でもそれに気づいた今では、その分だけ知る喜びを今後持てるという楽しみな一面もある。今日も中国地方の小川に棲息するオオサンショウウオの生態を追ったドキュメンタリーをTVで見た。ほとんど終わりに近い途中からだったけど、ずい分と真面目に見た。オオサンショウウオはぼくのホームリバーである古座川にもいる(はずだ)。少なくともぼくが小さかった頃にはいた(はずだ)。詳しいことはうちの兄が詳しい(はずだ)。コンクリートで護岸された川を産卵のためにのそりのそりと遡上していったり、一匹のメスをめぐって数匹のオスが争ったり、そういう戦いの際は意外と俊敏だったり、勝ったオスが大きな体を駆使して外敵から卵を守ったり、それでも成長できるのは孵化した500匹のうち1匹ぐらいだったり、三千万年以上もこうした一日を続けてきたんだと思うと、すごいと思った(「すごい」という言葉は便利だ。うまく言えない時に使うと、たいていうまく収まる……「納まる」かな???)。
農家の仕事にしてもオオサンショウウオの生態にしても、ちょっとでもいいから何か説明してみろと言われても、ぼくは何にも説明できない。今日TVで見たことは今日の間ぐらいは覚えていられるからこうして日記にも書けるし、調べたことは調べた通りに書き留めておくことはできるけど、生活の中から学んだこととして知っていることが何もない。もっと自分の暮らしの中からごりごりと多くを学べる人間になりたいと思う。でも、だからといって自分の生活を続けていくことに変わりはないので、それは目的というより日々の心構えとして念頭に置いておきたいと思う。
さて、夏も近づいてきたことだし、またカヌーの季節だ。去年はたしか、もうこの時期には始めていた。そう考えるとなんだかウキウキしてきた。
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| 2005年5月1日(日) |
| 素晴らしい人たち。 |
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今日は本当によく降った。安物のビニール傘だとビニールがびよ〜んと伸びてしまいそうなぐらいの勢いで大量の雨が落ちていた(こういうのを、「バケツをひっくり返したような」というのだろうなと思った。便利な表現があったものだ)。このところ真夏のように暑い日が続いていたから、その分をまとめて降らせたみたいだ。もしかしたら本当にそうなのかもしれない。尼崎の鉄道事故の救助作業が一段落つくのを待ってくれていたのかもしれない。救助作業では、レスキュー隊に加えて近所の人たちの力が大きかったという。仕事もほったらかしてみんなで駆けつけて、濡らしたタオルで怪我をしている人の口に水を含ませたり、ペットボトルの水を運んだり、ひしゃげた車両の隙間から差し出された手を一時間以上も握り締めて励まし続けたり、振動の少ないトラックで救急搬送を手伝ったり、自社の敷地を解放したり、ニュースを読んでいて涙が噴き出て止まらなかった。小さな力を合わせて消えそうな命を懸命に救おうとしている人たちの姿を見て、雨は今日まで降らなかったのかなぁ、と思った。
何年か前に、雪山で雪崩に巻き込まれた息子を80歳の父親が吹雪のなか探しに行って自ら救助したというニュースがあったらしい。それに衝撃を受け、体力を鍛えるために自転車を始めたバンドマンもいる。うまく言えないけど、すごい人たちだ。素敵だ。ホントに素晴らしい人たちだ。
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