Diary
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2005年6月30日(木)
終わったぁ!

ようやく翻訳が終わりました。旧東ドイツの秘密警察シュタージに関するドキュメントです。詳しい紹介はまた別の機会にさせていただきますが、G.オーウェルの『1984年』のノンフィクション版、アナログ版、あるいはW.テリーの『BLOODS』の東ドイツ版、といった感じです。年内に刊行予定です。お楽しみに!
 イメージを膨らませるために、中学生の頃によく聴いていたベルリンのロックバンド、ネーナのアルバムを出してきて聴いたりもしました。84年に「ロックバルーンは99」が全米・英でヒットチャートのNo.1になり(外国語の曲でNo.1になったのは64年の「スキヤキ」以来だったそうです!)、日本でも流行ったのでご存知の方も(ぼくたちの世代では)多いはずです。聴きながら翻訳を進めるうちに、当時は全然気がつかなかった意味がじわりじわりと分かってきたりすることもありました。水平線の果てを夢見ていたり、見果てぬ草原に愛する人の幻を見たり、ひとしきりパーティーで騒いだ後にカラッポの部屋で目が醒めたり、とにかく開放的なイメージのぴったり裏側にべったりと張りついている閉塞感、引きずっている影が重いのです。その重さが曲調の明るさとコントラストを成しながら、全ての曲の奥底をむしろ強く主張しながら流れているように感じました。そしてその重さに引きずりこまれないよう、希望や夢を乗せてロックバルーンを壁の向こうに放つのです。アルバムジャケットも暗かったり、でも当時はそういうイメージとドイツの事情を重ね合わせることなど当然できませんでした。「レッテ・ミッヒ」という明るい曲があって、ぼくは調子のいい時なんかによく口ずさんだりしていたものですが、レッテ・ミッヒとは「わたしをたすけて」という意味です。詞の内容は、退屈で孤独な毎日からわたしをたすけて、というものなのですが、今ではそれは、置かれていた状況のメタファーのように思えます。
 自分ではなかなか手にとって読もうとはしなかった類の本だったかもしれません。この本を翻訳する機会を与えてくださった藤波さんに感謝します。そして翻訳中、それこそレッテ・ミッヒ状態だったぼくを励まし支えてくれたみなさん、さっそく完成祝いだと言ってスターバックスでティラミスセットを奢ってくれた小堀に感謝します。どうもありがとう。

2005年6月29日(水)
雨。

今日は久しぶりに雨が降った。各地で渇水、大雨、猛暑と大変なことになっている。大変だ。何もかもが異常だ。殺伐としている。この辺ではいつ以来だろう、本当に久しぶりの雨で、しかも有り難いことに、しとしとと上昇しすぎた地表の温度を冷ましてくれるような、そんな優しい雨だった。雨にも色々あるけれど、大粒だとそれだけ落ちてくる間に空気抵抗を受けて、ひしゃげていたりするんだろうな。ということは降り始めに大粒すぎると、耐え切れないぐらいの空気抵抗を受けることになって、途中ではじけて小さくなったり、といったこともあるのかもしれない。P.ギャリコの話は雪のひとひらだったけど、雨にもやはり同じようなドラマがあって、ファンタジーがあり、ロマンがあるんだろうなぁ。そもそも何かしらの存在で意味のないものなんてないだろうから、もっと落ち着いて、色んなことに知らん顔をしたりせず、目に映ったり肌に感じたりする物事をじわじわと自分の中に吸収していくようにしたい。軽〜く生きてしまっているんじゃないかということが、とにかく気になる。身の回りのことで素朴に疑問に思うことは、子供の頃よりもむしろ多くなった。そういう疑問を大切にしよう。今やったら、理科の授業とかめっちゃ真面目に聞くのに。

2005年6月28日(火)
オーガニック・スタイル。

夕方、近所の人が打ち水をしていた。焼けたアスファルトから懐かしい匂いが立ち上ってきた。会釈をして自分の部屋に戻った。都会に出てきてアパートなんかに暮らしていると、打ち水もできない。窓も片側にしかないから風が通らない。不快指数の高い暮らしだ。それでも数年前からクーラーをやめて、扇風機で過ごしている。団扇も欠かせない。そこに風鈴が加わると、さらに涼しく感じる。オーガニックだ。もう十年近く前に兄の勤める銀行でもらった風鈴には、「しあわせ様、ごゆっくりご滞在ください」と書いている。しあわせ様はすでにいらっしゃるという前提で書いているところと、ゆっくり滞在するもしないもしあわせ様に丸っきり委ねているところが気に入っている。便利さや快適さを果てしなく突き詰めたりせず、昔ながらの知恵を絞って色んなものと共存できるよう努め、しあわせ様がゆっくりしていきたくなるような雰囲気をできるだけ自然に作ろうなんて思っている時点で不自然かな。

2005年6月27日(月)
LSD。

Long Slow Distance ―― 「ゆっくりと長い距離を走る」ということだけど、これはなかなか奥が深い。真面目にマラソンに取り組んでいた頃、ちょっと実践していた。普段は1日10キロを週に2〜3回走って月間で100キロを目標にしていて、そのうちの何回かはLSDを意識していた。LSDは、「このペースならどこまででも走れる」というぐらいゆっくり走るのがミソらしい。10キロ走るだけなら大体45分だったので、最初の10キロを60分ペースに落とすだけで、遅すぎて窮屈なぐらいだった。だけど当時のぼくはそのペースで30キロも走れば最後の方はへばっていたし、場所をホノルルに移そうがやっぱり40キロなど走りきれなかった。10キロから20キロに距離を伸ばしてもすぐに対応できたけど、30キロ、40キロとなるとそれはもう別次元だった。それはペースだけの問題ではなくて、走る体を作っていくという根本の問題だった。そしてLSDはそのための練習方法の一つとして優れている、ということだった。ちょっとだけだったけど実践してみて、ぼくもそう思った。たとえば10キロ60分のペースでまずは30キロを確実に走りきる体力や筋力をつけ、それができるようになれば次は40キロを走りきる力をつけ、そしたら今度は10キロを55分のペースにして、といった感じで徐々に全体の力をつけていくという感じだ。地道な方法が気に入っていた。そうやってつけた力はたぶん、簡単には衰えない。我慢と、持久力。桜ではなくてタンポポのような。そして、ぼくたちの普段の生活にもおそらく必要な力。

2005年6月26日(日)
セリフ。

たとえば洋画の場合、字幕にしろ吹き替えにしろ、映画を観ながらその字幕やセリフについていちいち気にすることなく、ましてや考え込んだりしてしまうことなしにすっと頭に入ってくるものが、いい翻訳だと思う。「主張」しないのがいい翻訳だと言うこともできる。だけど一つ気になっていることがあって、スクリーンの中でどれだけ自然に聞こえたとしても、現実の日常ではほぼあり得ないセリフであることが多いということだ。慣れない標準語だから、というだけでなく、どこか、視聴者や観客に対する「説明」が込められているように感じる。普段のぼくたちの会話を思い出しても分かるように、文脈や、その他にも相手との共通の認識が前提として在るので、セリフはセリフだけで意味や意図が伝わる必要がない。ぼくたちは普段、説明をしない。だから大体が短い。そんな感じで、翻訳をしていてもセリフの部分は他の部分とはちょっと違う気の遣い方をすることになる。極力「自然なセリフ」にしたいと思いながら、文字になった「自然なセリフ」はニュアンスが伝わりきらない場合がある(さっきからセリフ、セリフと何回も書いていると、セリフという単語がおかしく思えてきた)。「短くなればなるだけ同音異義語が増える」という感じの意味合いで、困ることになる。だから、読んでいく上で邪魔にならない程度の説明を含めたある程度の長さと、いわゆる「自然さ」のバランスが必要なんだと思う。そして現実の日常ではなくて、スクリーンだったり本の中で自然なセリフになっていればいいということだ。読者や観客に翻訳を意識させない翻訳を意識して作る、ということでもある。そんな事情もあって、セリフの部分は推敲する度に赤が入る。でもそんなセリフの部分を翻訳している時が、けっこう楽しかったりする。

2005年6月25日(土)
翻訳は楽しい。

最近は今やっている翻訳のおかげでドイツ語の辞書を引く機会が多く、よく出てくる冠詞とか前置詞とかなら少しは分かるようになってきた。名詞や動詞はまだ難しいけれど、なんとなく読めたりぐらいはする。今日はTVを見ていたら、ドイツの新聞でこの間のコンフェデレーションズカップでのブラジル戦の日本は素晴らしかったという記事がちらっと紹介されていて、その中のいくつかの単語が読めた。でも分かったのは冠詞と前置詞だけなので、やっぱり記事の内容を理解するには字幕に頼ってしまった。惜しい。英語の作品を翻訳していてもドイツ語やフランス語が部分的に出てきたりするし、物語の舞台がアイルランドだったりドイツだったり、アジア各国を旅して回っていたりと様々なので、これまで知らなかった世界の事情を勉強するきっかけになり、そこから自然とぼくの興味の向かう先も広がっていくことになる。いやぁ、翻訳って楽しいなぁ。

2005年6月24日(金)
ハイテンション。

部屋にいても暑いので、どうせなら気持ちよく汗をかいてやろうと思って休憩時間(というのがあるわけではないけれど翻訳の合間)に走りにでかけると、外の方が涼しかった。そこでしばらく川沿いに散歩を楽しんで、それからいつものコースを走ってきた。この季節は小さな虫がいっぱい飛んでいて、走っていると眼鏡と顔の隙間にできる細かい気流に巻き込まれて虫がうわぁっと目に入ってきたりする。それ以外は快適なんだけど、それは「それ以外」と言ってしまうにはあまりに不快だ。それはともかくとして、最近は眠れない夜が続いていて、そういう時は決まって運動不足になっている。頭ばっかり疲れていて体が元気なんだ。寝たいのに眠れない。だから平等に疲れるようにしてやるのがぼくの務めだ(ぼくは時々、自分が三人で構成されているように思うことがある――自分と頭と肉体と。「自分」が一番偉ぶっていて、「頭」は屁理屈ばっかり言っていて、「肉体」はすぐに疲れたと言う。そんな三人がどうにかバランスを取ろうと奮闘していて、でも「肉体」が三つの中で一番ぼくに近いような……)。いずれにしても、気持ちよく汗をかいた後はシャワーを浴びながら風呂の掃除をして、ついでに色々掃除して、また汗をかいた。締め切りが近くなってきてただでさえテンションが妙に高いというのに。何度か経験があるけれど、こういう時はぼくの中で普段は眠っている怪しげな力がむくむくと起きてきて、ものすごい力を発揮してくれる。四人目のぼくだ。今回もそろそろ期待している。まだかなぁ。それにしても一人で部屋にいてテンションが高いと、傍目にはたぶん滑稽だ。

2005年6月23日(木)
完全燃焼。

今年も半分が終わろうとしている。改めて、「完全燃焼!」をテーマに掲げることに決めた。決めました、ぼくは完全燃焼します! 力配分とか、時間配分とか、そんな小難しいことは性に合わないことが分かりました。次の電柱を目指し続けていたように、ゴールなんていらない。ゴールがなければ止まる必要もない。そしてどうせ走るなら、思いっきり走った方が気持ちいい。いつの頃だったか、好きなことを仕事にすると好きだという気持ちだけでやっていくわけにはいかなくなるかもしれないから、二番目ぐらいに好きなことを仕事にするといい、なんてしょうもないことを言うのが流行っていた時期があった。そんなのは即却下だ。好きで好きでしょうがないなら、本当に好きだという気持ちが全てに勝るのなら、何があっても手を抜かないはずだし、何があっても大丈夫だ。だから、そのために日々を完全燃焼することにした。最近は変に冷めていた。反省だ。猛省だ。そして反省なんかしているぐらいなら、完全燃焼することに決めた。ワールドユースを見て、コンフェデレーションズ・カップを見て、ウィンブルドンを見て、キヨシローを観て、哲司の話を聞いて、ぼくは大いに刺激を受けた。そして傍観者じゃなく、自分が当事者になることの大切さに気がついた。今頃になって気がついた。もしかしたらとっくに気がついていたことなのかも知れないしけれど。ぼくは周りから刺激をもらってばかりだ。いつかきっと、みんなにお返しができるようになりたい。こんな決意表明はこれまでも何度してきたことか……。これが最後だ。夢なんていつまでも見ているもんじゃない。とっとと叶えてやらないと、夢の方でも疲れてくるだろう。待っとけ、俺の夢。もうすぐ叶えてやる!

2005年6月22日(水)
ルービック・キューブ。

翻訳の合間にちょっと休憩、と思ってぼんやりと色んなサイトを見ていたら、ルービック・キューブの6面を揃える方法を丁寧に解説しているHPに行き着いた。懐かしい。本宮で暮らしていた小学校低学年の頃に流行って、うちの家族は確かみんな六面揃えることができたはず。速さを競うと敦ちゃんには敵わなかったけれど、まず一面揃えて、それから隣り合う四面の中心の色と下の列の色を合わせて、二列目を合わせるにはこっちに向けて右に90度回して、あっちに向けて左に180度回して、それから残った一面はまず十字に揃えて……、とそんな覚え方だった。そのやり方は、近所に住んでいたお巡りさんが家まで来て教えてくれた。ぼくは小さかったから、そのお巡りさんとはずっと知り合いだったのか、それともキューブができると近所で評判でそれでうちにも来てもらったのか、その辺の事情は定かじゃないけど、なんせお巡りさんが家に来てキューブの六面の揃え方を教えてくれた。今も実家に帰ればキューブが二個あって、姪っ子たちが時々遊んでいる。ぼくも一面なら揃えてあげられるけれど、六面の揃え方はもう忘れてしまっていた。夏に帰るまでに今日見つけたサイトでちょっと勉強しておこうと思う。美結ちゃん、理那ちゃん、待っとってよぉ〜!

2005年6月21日(火)
夏至。

今日は一年で一番昼の時間が長い日だったそうです(「昼の時間」とは言いながら、どうやら日の出から日の入りまでの時間の長さのことのようですが)。日本は南北に長いので沖縄や九州よりは、北海道の方がさらに昼の時間が長いそうです。もっと北に行って北極まで行くと白夜になっていたりするそうです。
 昼が長いと、子供たちにとっては外で遊べる時間がそれだけ長いということだ。なのに、日本では梅雨に入ったばっかりで子供がかわいそうだ。雨は嫌いじゃないんだけど、梅雨はどうも苦手だ。梅雨のイメージは……、じめじめしていて、鬱陶しくて、洗濯物が乾かなくて、カエルが茎つきの葉っぱを傘がわりに持っている。ぼくはカエルが大の苦手で、今もどうしてこんなことを書いてしまったのか、後悔しているぐらいだ。カエルという字を見るだけで鳥肌が立つ(それなのにこうして書いている自分が分からない……)。キャラクターになると突然可愛くなるのも腹立たしい。考案した人たちに、ちゃんと見たか!? と言いたくなる。小さい頃から苦手だ。卵の段階でもおたまじゃくしの段階でも苦手だ。それなのに勝浦なんかではウシガエルみたいなでっかいのが夜になると鳴いていたりする。今日の日記は自分でここまで読み返してみても、いかにも梅雨っ! という感じがする。でもそれはぼくのイメージを基準にした場合のことであって、読んでくれている人にそれが伝わっているかどうかは、どうなんだろう??? そういえば今日は外に出た時に、「梅雨の日の肌触りを表現してみたい」と考えていた。べたつく空気とか、もうちょっとでも湿度が高くなると一気に大気中の水分が水になってばしゃぁ! っと落ちてきそうな雰囲気とか、雲のどんより感とか、そんなものをひっくるめた感覚というか感触を、言葉で表現することに挑戦してみようと考えていた(ことを今思い出した)。だけどそういうことは締め切りが終わってもっと余裕ができてからにしよう。
 とにかく、一年を周期に毎年この時期に夏至がやってきて、それがこれまで繰り返されてきたようにこれからも繰り返されていく、というかその周期から一年という単位を作ったんだと思うけど、いずれにしてもロマンがあると思う。神秘的だ。宇宙の果てのものすごく暗くて静かな空間を想う(宇宙の果てがものすごく暗くて静かな空間なのかどうかは知らないけれど)。そんな大きな自然の摂理のようなものまでどうにか歪めてしまったりすることのないように謙虚に生きたいと、この夏至の日にぼくは思った。

2005年6月20日(月)
睡眠不足。

忙しい毎日だ。キリンカップが終わり、W杯アジア最終予選が一先ず落ち着いたと思ったら、ワールドユース、コンフェデレーションズ杯、ワールドユース、コンフェデレーションズ杯、ワールドユース、コンフェデレーションズ杯……。
 だけど! 欧州王者に勝っちゃいました! 試合開始早々から絶好調そうで、「いい選択」をして「いい動き出し」から「決定的な形」を何度も作り、それなのにシュートはことごとく枠を逸れ、1点も入らない状態が続き、ジーコが革靴のままでも出てくれたら……、なんて勝手なことを思っていると、大黒選手が決めてくれました! あの細い目で相手ディフェンダーの動きを見切り、股抜きみたいなシュートがゴールに吸い込まれていきました。
 大黒選手は試合後のインタビューに応え、「前半はベンチで見ていてイライラしたか?」という質問に対して「いや、そんなことはない」とはっきり言い切っていました。前半の試合運びを見ていてイライラしたのは、ぼくも含めて絶対に部外者を決め込んだ人間だ。ピッチの上に立っていた選手たちだけでなく、大黒選手ほか、いつ途中交代でピッチに送り出されるかもしれない控え選手たちは、戦況を冷静に見つめていたはずだ。イライラしてどうにかなるなら簡単だ。イライラすると言って見切りをつけるのも簡単だ。でも選手たちは、自分たちでどうにかしないといけない。ベンチからでも集中を途切れさせることなく、刻々と容赦なく減っていく時間の中で最後まで諦めず、相手の状態を見てイメージの中での自分のプレーと重ね合わせ、そしてチャンスを与えられた大黒選手は点を取った。
 最近は(というかもうずい分と前から)日本でもサッカーが超メジャーなスポーツになり、TV中継やニュース番組での解説者やスポーツ・ジャーナリストのおかげでアナウンサーやぼくたち一般のファンもそれっぽいことを口にするようになった。「最後まで諦めずに」とか「スペースがどうのこうの……」とか「ディフェンダーの背後に走りこんで……」とか「4−4−2」と知ったようなことを言う。だけどそうした言葉に込められた意識の差を知れば、外からは恥ずかしくて偉そうなことなどよっぽどの覚悟がない限り言えなくなるはずだ。アナウンサーは横にいる解説者に、「この時間帯、どうすれば日本は点が取れるのですか?」とまるで方程式で解ける答えでもあるかのような質問をする。「そろそろ1点欲しい時間帯なんじゃないですか?」とまで言う。いつだって1点欲しいに決まっている。自分ができもしないことに関して知識ばっかり増えて語り始めるととても暑苦しい。聞いていられない。ぼくはそうならないようにといつも意識している。意識していないとすぐに偉そうに分かったふうな口をきいてしまう。点を取って勝たなければ後がないということを応援している誰もが知っていて、だけど選手たちはそれぐらいのことはもっと高いレベルで分かっている。状況を分析するのは語り合うためじゃなく、どうにかするためだ。ひとたび試合が始まれば、冷めた解説をするよりも熱狂的に応援したい。
 それにしてもヨーロッパ・チャンピオンに勝ったということは、ポルトガルよりもフランスよりもチェコよりもオランダよりも強いということなのだろうか? それともじゃんけんみたいなものかな? パーはグーには勝つけどピーには負けて、みたいな。でもじゃんけんならパーの調子が悪くてグーが勝つなんていうこともないし……。昨日のギリシャは昨年のユーロの時とは全然違うチームみたいだったけど、でもいずれにしてもヨーロッパを制したギリシャに勝ったことには変わりない。快挙だ。うれしい。22日もみんな応援しましょう!

【ピー】 チョキのこと。本宮に引っ越したとき、「ピーってパー?」と訊かれ、じゃんけんをしていてそれはあり得ないだろうと思いながらも、「ううん、チョキのこと」と返事したことを覚えている。

2005年6月19日(日)
The White Stripes.

久しぶりにタワーレコードに行くと、すごいのが出ていました。ものすごいです。去年のフジロックで二度目の来日を果たして日本でもすでに人気のようですが、初めて聴きました。ザ・ホワイト・ストラプスという姉弟バンドです! 弟のジャック・ホワイトのギターに姉のメグのドラムというシンプルな構成を基本に、そこに今回の五作目『Get Behind Me Satan』ではピアノやマリンバが加わり、ジャックのボーカルもファルセットから呟くような低音までとても多様で、全15曲を通して飽きずに楽しめるアルバムです(最後の2曲は日本盤のみのボーナス・トラックです)。ちょっと思い出したのはツェッペリンの『フィジカル・グラフィティ』で、せっかく思い出したんで久しぶりに聴いていると、いつの間にかどっちか分からなくなるぐらいでしたよ。
 視聴コーナーでは昨年末に出たライブ・ビデオも一緒に置いてあったのですが、ステージのイメージも楽器のペイントも、全てが赤と白と黒の三色に統一されていて、その理由はジャックによると、「怒りの赤、無垢な白を表現するには一度全てを無にする必要がある。それが黒なんだ」ということのようです。どこで読んだのだったか、赤と白と黒のそれぞれの割り振りはもしかしたら違っていたかもしれませんが、そんな感じのことを言っていました。深いねぇ。深いことを実に明快に表現していると思います。「3」というのはバランスを取る上で非常にいい数だと言うし、非常に意味深いです。どっかで聞いた話ですけど……、じゃなくて、自分の感覚をそう表現しているのが興味深いです。ジャケットもインパクトがあって、ジャックの方は『デッドマン』のジョニー・デップみたいです。
 この春に日本でも公開されたジム・ジャームッシュ監督による、なじみのカフェ、いつものコーヒー、こだわりのタバコ、あなたをリフレッシュ・タイムへと誘う至福のリラックス・ムービー、『コーヒー&シガレッツ』にもロベルト・ベニーニやイギー・ポップ、トム・ウェイツ、ケイト・ブランシェットらと共に出演していたようで、これは見逃したのでビデオになるのが楽しみです。

2005年6月18日(土)
やぁ、久しぶり。

翻訳に一段落がつき、印刷しようとしてもたついていると、福岡の懐かしい友達から電話があった。特に懐かしくはない友達と一緒だった。特に懐かしくはない友達が仕事で福岡に行ったということで、懐かしい友達と会っていたようだ。大阪で勤めていた頃に知り合い、一緒に野球をしたりカヌーをしたり、数年前からは三人三様の理由で東京と福岡と芦屋に離れてしまったけれど、たまにこうして連絡をくれるのはとても嬉しかったりする。特に懐かしくはない友達も条件の厳しい仕事を引き受けたりと奮闘中で、今回もいつの間にか福岡に行ったりしている。そのひたむきさがきっと実を結ぶことと、ぼくも信じています。懐かしい友達には子供が生まれていた。おめでとう。その他にも色んな事情で忙しい大変な毎日を送っていると聞いた。ぼくは色んな事情で忙しくはないけれど、忙(せわ)しない毎日を送っている。劇的な出来事がない毎日でも、友からのこうした何気ない電話一本で、ぼくはじわりじわりとかなり元気になれたりする。
 懐かしい友達へ。来実(くるみ)ちゃんの健やかな成長と、色々全てがいい方向に向かうことを祈っています。
 特に懐かしくはなくともいつも刺激を与えてくれている友へ。先日、ずっと書けずにいたテーマにようやく取り組めそうだと聞いて、とても嬉しく思いました。叶えるために描いた夢を、ぐいぐいと自分の方に引き寄せて下さい。ぼくもそうします。

2005年6月17日(金)
ゴッホ。

中ノ島にある国立国際美術館で開催中のゴッホ展に行ってきました。平日の昼過ぎに、ものすごい数の人がうじゃうじゃしていました。ゴッホの作品だけでなく、ゴッホが影響を受けたというモネやピサロ、ゴーギャン、ミラー、それに日本の浮世絵なども含めて60点ほどと、さらにゴッホのお父さんが所蔵していたという聖書など数多くの資料が展示されていました。画家になったばかりの頃に苦境の中で黙々と働き続ける織工を描いていたということを、自身の芸術制作のメタファーと見ることができるという解説は興味深かったです。その頃の絵を見ると、織工が働く部屋はとても暗く、扉の向こうに見える外界の明るさとのコントラストが非常に印象的でした。しかしそれから印象派の手法や浮世絵に出会い、エミール・ゾラなど自然主義文学に触れることで価値観の転換などを経て(もちろんもっと複雑な経緯を経て)、だんだん色彩が鮮やかになっていっているような気がしました。
 ゴッホは「孤高の画家」とか「狂気の画家」と形容されることが多いようですが、それぞれの絵を解説を読みながら時代ごとに見ていくことでその時々の背景をうかがい知ることができ、そういった画一的なイメージとは異なる一面を見ることができたような気がしたのはぼくの気のせいかもしれません。
 そして全てを見終えてグッズ販売のコーナーに行くと、「うわぁ、こないだ冬ソナのあれ買うたから、うちこれ買われへんわぁ」とでかい声で話しているおばちゃんたちがいました。そこでは孤高の画家の遺した絵の数々がポストカードやキーホルダー、クリアファイル、マグネット、ネクタイ、果てはランチボックスにまで成り下がっていました。少々寂しいような感慨も覚えつつ、細い路地にあって満天の星の下にテーブルを出したオープン・カフェを描いた『夜のカフェテラス』(1888)の小さなポスターを買おうとすると、「『夜カフェ』の方でよろしかったですか?」と言われました。冬ソナとか夜カフェとか、どうやら今は省略するのがブームのようだ。

2005年6月16日(木)
いま流行りのレジ袋の話。

スーパーで買い物をすると商品を入れてくれていたビニールの袋が2007年から有料になるみたい。いくらかな? と思っていたら、経済産業省は1枚5円〜10円で検討しているらしい。支払いを済ませてカゴのまま移動してとりあえずホッと一息つく台のところで5円とか入れて袋を取るシステムになっているスーパーもあるけれど、どこででもああなるということか。ニンジンを一本買って、袋を5枚も6枚もちょうだいと言うおばさんとかもいるようだし、積もり積もってすごいことになってるんだろうな。部屋でゴミ箱にかぶせて使うレジ袋にお金がかかるようになると思うと、意識はするようになるか。でも意識しようがお金がかかろうが、使うものは使うからねぇ。歯止めなんてかかるのかなぁ。買い物袋を持参する人は「部屋のゴミ箱にビニール袋をかぶせない派」の人か??? それともぼくなんかが思いもつかないような無駄遣いをしている人がいるのかな? レジ袋の年間消費量は300億枚(!)らしい。300億枚と聞くとびっくりするけど、日本の世帯数は4800万ぐらいだから、1世帯平均で年間625枚という計算になる。1日にすると1.7枚だし、まぁそれぐらいか、という感想しか持てない。むしろ1世帯平均の使用量としては多いとは思えない(計算してみてびっくりした)。いずれにしても、1枚が5円になれば年間3,125円、10円なら6,250円を分別収集費用として消費者が負担するということか……。こんな試算で合ってるのかな?それにしても法律を作って、事業種ごとに削減目標値を設定して、報告を義務づけて、場合によっては国が指導・勧告するって、国民の無駄遣いには厳しいんだねぇ、という感じだ。
 そういえば、ゴミを出す時の黒や青の指定ゴミ袋とレジ袋は何が違うんだろう? ぼくのゴミ袋の使い方としては、レジ袋をかぶせたゴミ箱がいっぱいになったら口を結んで指定ゴミ袋に入れて、それを繰り返して指定ゴミ袋がいっぱいになったところでゴミに出すという感じなんだけど、それなら指定ゴミ袋をなくしてレジ袋のままゴミに出していいことにすればよさそうだ。指定ゴミ袋は今の調子で使い続けていいのかな? あ、でも、あれか、レジ袋はまた分別が違う自治体もあるから、もっと話は複雑なんか。ものすごく無知をさらけ出しているような気は自分でもしているけれど、大体みんなこんなもんなんじゃないかなという気もする。とにかく地球環境の保護だとか言うのなら、レジ袋もいいけど、劣化ウランの問題をどうにかきちんと説明して安心させてほしい。そっちの方が地球を秒単位で確実に破壊している(かもしれない)はずだ。

2005年6月15日(水)
時短。

あんまり暑かったので、髪を切ってもらってきた。「いつもの倍ぐらいすいてください」と言ったら、「いつも人の倍ぐらいすいているんですよ」と言われた。それでもいいのでいつもの倍ぐらいすいてもらった。カットの後に流してくれた別の人に、「すっきりしましたね」と言われた。そして支払いをする時にはまた別の人に、「さっぱりしましたね」と言われた。とにかく頭が軽くなった。シャワーを浴びても地肌に浸透するのが早くなった。髪を乾かすのも早くなった。

2005年6月14日(火)
メモ。

色んな機会にとりあえずメモを取ることが多いんだけど、後でそのメモを見返して何のことだったのか、まるで思い出せないことが時々ある。メモを取るぐらいだから後できちんと考えようとしたのは確かで、だから余計に腹立たしい。何か外的な要因がきっかけだったとしても、そこからの展開は自分の中から出てきたもののはずなのに、それが思い出せないなんて、こういうことは無性に腹が立つ。情けなくなる。ぼくの中から出てきた何かは一体どこに行ったんだ? でも何事においても腹を立てたところでロクなことはないので、なんて思いながら冷静を装おうとしている自分もそれほど積極的には好きになれない。胸のうちでは叫び出したいぐらい苛立たしさとか遣り切れなさとかもどかしさとか、なんせイスにじっと座っていられずに立ったり座ったりをしばらく繰り返してしまうぐらいの落ち着かない気持ちが渦巻いているくせに。メモをくしゃくしゃっと丸めて捨てたぐらいじゃ納まらない。
 書いているうちに考えや気持ちが整理できてくることがあって、だから思い立った時にそのうちのキーワードだけでもメモしておけば、また後でそのキーワードを頼りに書き始めれば同じような思考を辿れると思ってメモで済ませるんだけど、なかなかそうはいかないようだ。以前は確か、忘れないうちにメモを取るようにしよう、と思った記憶があるんだけど、メモだけじゃ足りないんだ。余裕があるなら一気に思うところを書いてしまうようにしよう。こんな悶々とした気分は、しかもこんな蒸し暑い日にはサイアクだ。でもおかげで日記が書けた。ちなみに今回のメモというのは、
 「文脈すごい/これってこれだけ?」
というものなんだけど、誰か、分かる人……。

2005年6月13日(月)
気になる。

TVを見ていてどんな番組にも字幕がつくようになって久しいけれど、インタビューなんかで実際は確実に「見れる」と言っているのに字幕では「見られる」と修正されていることが結構あって気になる。余計に「ら抜き言葉」が際立つ。編集する際に、「『見れる』言うとったなぁ。どうする?」「やっぱり字幕っすからねぇ、訂正しといた方がいいんじゃないっすか?」とかやりとりがあったりして苦労したんだろうなぁ、でも二回目以降は一回目の判断を踏襲する形で「見られる」に訂正するという決め事が社内で確認されたりしたのかなぁ、などと余計なことを考えてしまう。
 ファミリーレストランやコンビニなどで使われている不思議な言葉も別にどうでもいいんだけど、七百円ぐらいの買い物をして千円札を出した時に「千円いただきます」と言われると、ちょっとドキッとする。
 言葉の乱れは、ある程度は流れに任せる以外ほかにどうすることもできないような気がするけれど、TVを見ている時に余計なことを考えさせたり、コンビニで買い物をして機嫌がいい時にドキッとさせたりするような言葉の乱れは感心しない。

2005年6月12日(日)
自然の贅沢。

縦に虹が出ていた。写生をしにヨットハーバーに出かけ、ぼくにはまだ難しすぎる風景を前にして一先ず色鉛筆を置き、ぼんやりしていた時だった。厚い雲の切れ間に、赤と黄色と青と、それぞれの間にそれぞれの中間色が縦に真っ直ぐ並んでいるのを見つけた。初めて見る光景だった。それから陽が沈むにつれて西の空がオレンジに染まり、オレンジがだんだん濃くなって真っ赤になる頃には空全体が濃紺に変わり、とても豊かな色調だった。そして空にはお月様が上っている。
 昔から川の近くでばかり部屋を探しているのは狭苦しい都会にいて少なくとも川の上にだけは何もない空間が広がっているからだけど、ヨットハーバーは空が広いし雲の表情も豊富で、本当に気持ちいい。そして縦の虹に出会えたりする。熊みたいな犬やパンダみたいな犬にも会える。今日はカマキリみたいに細い犬がいた。自転車で20分も走れば着く。汗をかいても風が心地いい。う〜ん、なんて贅沢な環境なんだ。

2005年6月11日(土)
デッサン。

昨日はじめじめと暑くて眠れなかった。団扇を出してきてバタバタあおいだり、うつ伏せになったり横を向いて丸くなったり、片足をベッドからはみ出させてみたり、足のほうを頭にしてみたり、思い切って起きていようかとも思ったのだけど最近は夜を徹して翻訳に精を出すことが多いし(?)、この時期に体調を崩すと面倒くさそうなので、我慢してずっと横になっていた。明け方になってどうにか少しは眠れたけれど、今日は朝から眠かった。そしてようやく待ちわびた朝を迎え、買って以来ほとんど有効に活用することのなかったノートPCを抱えて梅田に出かけた。朝早かったからか鬱陶しい雨のせいか、土曜日だというのにそれほどの混雑もなく、まずまず快適な梅田を満喫した。ただ、書店もレコードショップも冷房が効きすぎていて、あの寒さには閉口した。寝不足の体にエアコンはしんどい。そしてブックファーストの3Fにあるカフェで翻訳した。けっこう集中できた。ぼくは大学の頃から、図書館の静けさよりも食堂の喧騒の中での方が色んなことが捗る方だった。そして帰ってきてからビデオに撮っていたワールドユースの日本vsオランダの試合を観ていたんだけど、あの後半の盛り上がりにも関わらず解説の水沼さんの口調のせいかまた眠くなってきたので、なんと! 和食器のデッサンなんかやってみた。自分でも意外なぐらいにのめり込み、半時間は集中して描いていたと思う。翻訳をやっていて集中が途切れた時は、30分でも15分でも何か他のことをして気分転換をするようにしているのだけど、デッサンは楽しかった(デッサンは言い過ぎかな。写生)。もしかしたら集中力を鍛えるのにいいかもしれない。しばらくやってみようと思う。でも写生の合間に翻訳をしているということにならないよう、くれぐれも気をつけないと。

2005年6月10日(金)
サスペンスフルな書店。

待ち合わせによく本屋さんを利用する。どんな事情でどちらが遅れるかも知れず、本屋さんなら本がたくさんあっていくらでも時間をつぶせるし、お金もかからないし、とてもありがたい。ありがとう、本屋さん。新刊の棚は毎月楽しみだし、新刊じゃなくても何か特定の本を探して入ったわけじゃない時に思いがけない本を見つけてしまったりすることもあって、なかなかにサスペンスフルだ。今回は、翻訳するつもりで原書を読んだものの他で既に翻訳権が取られていた本の翻訳書を見つけてしまった。そういう本を見つけてしまうと、一気に色んなことを思い出して胸がドキドキしてくる。落ち着かなくなる。手に取ってパラパラとめくったりはするものの、負けず嫌いのぼくには読めない。そのくせ、他の本を読もうと思うとその本が気になる。他の売り場に行ってもやっぱり気になる。今思い出しても木に成る(←なんで「きになる」も三回目なのに三回目だけこんな変換になるんだろう? 気が抜けないなぁ)。とにかく気になる。こういう経験が二度ある。つまり、翻訳しそこなったことが二度あるということだ。しかも一度目は読み終えるどころか翻訳まで済ませていたのに。どうにかようやく気持ちを切り替えたと思っていた矢先にそんな本を見つけてしまうなんて、辛いねぇ。

2005年6月9日(木)
鼓舞する。

日本のサッカーW杯出場が決まった。よかったよかった。でも最近はベンチから戦況を見つめる控え選手に目が行く。どうしても出場機会に恵まれない選手がいる。それでもチーム一丸となるためにモチベーションを維持するというのは、相当の集中力が必要だと思う。そういう時にプレスに対してでも自分のHP上ででも発言の機会があると、まだ救われるのかなとちょっと思ったりする。「チームのために」とか「いつでも出られるように」といった前向きな気持ちももちろん本音だろうけど、ずぶずぶと沈んでしまいそうな気持ちもまた、同じく本心としてあるんじゃないかなぁと思う。前向きなことを口にする人が常に前向きな人間であったり、前向きなことを口にしているからといってその時に前向きな姿勢を保てているとは、必ずしも限らない(だから、発言をいくら拾ってみたところでその人の真実には行き着かないような気もする)。多かれ少なかれ、必ず負の部分を抱えているものだ。それでもどこかで誰かに対して発言する機会があれば、プライドとかのおかげで(あるいはプライドとかのせいで)前向きな発言をするだろう。そして本音の一部でしかない前向きな発言をすることで(おそらく自分も騙されて)、本音の中に占める前向きな部分の割合が大きくなっていくということもあるような気がする。
 自分の置かれている状況なんて、気持ち一つでどうとでもとらえることが可能だと思う。悟りでも開いていない限り気分は日替わりだし、落ち込むこともあれば前を向いていられることもある。それを知っているからこそ、本当はそっとしておいてほしいような時でも明るく振舞えるし、希望を捨てずにいられる。そうやってみんな自分を鼓舞するもんだ。それもこれも全て、このままじゃダメだと知っているからだ。そしてレギュラーメンバーからの細やかなサポートもあって、チーム一丸になる。なれる。軽やかに勝った試合なんてなかったけれど、ごりごりと勝ち続け、結局一敗しかせずに出場権を勝ち取ってしまった。チームが本当に一丸となっているのであれば、相当強いチームに仕上がっているはずだ。これまで以上に本気の勝負を余儀なくされる時、そういう芯の部分での強さが発揮されるんじゃないかとぼくはとても期待している。

2005年6月8日(水)
車の運転。

近くの路地で二人の男の子がはしゃいでいた。バランスを取るのも大変そうなぐらい大きなランドセルを背負って、でも学校の帰りに友達とはしゃぐのがとても楽しいことはぼくもよく知っている。そこにどこかの業者の軽トラックが進入してきて、危うく接触事故を起こすところだった。でも男の子たちは壁にへばりつくようにさっと道を開け、どうにか事なきを得た。そして「うぉ〜、危なかったぁ」と言った後、走り行く軽トラに向かって「ごめんなさぁい!」と言っていた。すると軽トラのおじさんも窓から腕を出して手を振って合図を返していた。なんとも長閑でほのぼのとした光景だった。
 人の性格はそれぞれで、気性の荒い人も穏やかな人もいるけれど、車に乗ると人格にもギアが入ったように荒っぽくなる人が多いように思う。交差点で残存歩行者に向けて大きなクラクションを鳴らしたり、前を行く車を煽るように車間距離を狭めたり、車線を変えて幅寄せをしたり、車を運転していても歩いていても、そういう光景はよく見かける。車に乗る時は人格のギアを一つ(以上)落として、いつも以上に余裕と思いやりを持たないといけないと思うんだけど、どうやら少しでも早く目的地に辿り着きたいのか、ちょっとでも自分より運転の未熟なドライバーのことが許せないのか、荒っぽくなる人の方が圧倒的に多い。統計をとったわけではないけれど、たぶん確実だ(確実なのに多分と言う)。たとえば何かに運転の邪魔をされたからといって大きなクラクションを鳴らせば、そのうるさいクラクションが周りの他の人に不快な思いをさせることになるとは考えないのかな、と思う。そうやって迷惑の輪を広げていくとキリがない。今日の軽トラのおじさんのように、悪意のない迷惑は手を上げて許してあげる大らかな心を持ちたいものです。

2005年6月7日(火)
ごっつい手。

忘れもしない昨年の十月一日、ぼくが寝坊をした日に単独無寄港世界一周に出航した堀江謙一さん(66)が250日ぶりに帰港されるということで、昨日からうちに来ていた小堀と一緒に朝から自転車をこいで西宮ヨットハーバーに行ってきました。平日だというのに地元のヒーローを一目見ようとヨットハーバーは大勢の人で賑わっていました。ゴールを目前にして無風状態が続いているために到着時間が午後の二時か三時になると聞いたので、ぼくは一先ず部屋に戻ってちょっと翻訳して、そしてまたヨットハーバーに行くと今度は午前中とは比べ物にならないほどの人だかりができていました。アンテナを立てたTV局のワゴン車があったり、「プレス」とか「スタッフ」とデカデカと書いた名札をつけた関係者たちが慌しくセレモニーの準備をしていたり、ヘリも三台ほどバリバリと飛んでいました。
 いつもは門が閉じられている桟橋が開放されていたので、そこで堀江さんのご帰港を待ちました。ヘリもだんだん近く低く飛ぶようになり、迎えに出ていた何隻かの船を従えていよいよ堀江さんの乗るマーメイド号が防波堤を抜けて港内に姿を現しました。初めは何を待っているのだろうと思っていたのですが、そうではなくて風がないために進んでいるように見えないぐらいの速度だったのです。それとも港内だから徐行していたか……。いずれにしてもだんだんヨットの上の堀江さんの姿が大きくなってきて、ぼくは一番に手を大きく振りました。堀江さんもそれに気づいて振り返してくれました。それをきっかけにみんなが堀江さんに手を振ったり、「おかえりなさ〜い!」と声をかけたり、堀江さんも頭を下げて笑顔で挨拶を返してくれました(だから船を出して沖まで迎えに行った人たちを除けば、陸の上で出迎えたのはぼくが一番です!)疲れているだろうに笑顔を絶やさず、いい人だなぁ、と思いながら、それからも手を振ったり写真を撮ったり、ぼくはまさしく野次馬でした。無事着岸してからもすぐにいろんな人が堀江さんの周りに群がり、堀江さんはその間も笑顔を絶やさず、みんなの声援に応え、早く家に帰ってお茶でも飲みながらごろんとしたいだろうに、ホントにいい人です。偉い人の挨拶や共同記者会見、撮影会などがあって、堀江さんが場所を移す時に近寄っていって握手をしてもらいました。小柄な方だけど、ごつい手でした。
 手を使えるようになったことが人類の進歩の始まりだと言うけれど、本当の意味で手を使えている人は、今はむしろそう多くないんじゃないかなと思いました。「人」という字は二人の人間が支えあっている様子だ、なんて言って漢字の成り立ちから生きる姿勢を学んだ気になっているのではなく、一人ででも生き抜いてやる! ぐらいの気構えがまずは必要で、その中で色んな人に支えられて生かされている自分に気づいた時に初めて、人は少しぐらいは強く優しくなれるような気がするのだけど、堀江さんを見ていると、そして堀江さんに握手してもらってその手の大きさを感じてみると、まさに生き抜く人の手だと思いました。ぼくの手なんか頼りない限りです。堀江さんに握手してもらっただけで折れてしまいそうでした。「ヨットは人力じゃなくて自然の力を借りて走るのだから、年齢は気にせずこれからも頑張りたい。まだまだこれからです」とおっしゃってはいましたが、それを可能にする堀江さんの強さや大きさやすごさを象徴しているのが、そのごっつい手だと思いました。
 とにかく今日は感動したし、勇気をもらったし、陽にも灼けたし、自転車もたくさん漕いだし、充実の一日でした。ヨットハーバーの海に大きなクラゲがうようよしていたのはびっくりしました。ものすごい数でした。落ちたくないと思いました。

2005年6月6日(月)
最近のパターン。

深夜になって、「よし、もうちょっと頑張ろう!」と思って腹ごしらえにパンなど食べてしまうと、お腹がいっぱいになって眠くなり、そして寝てしまいます。

2005年6月5日(日)
寝顔。

夕べベッドに入った時、笑顔を浮かべているような満足した顔で眠りにつくことがなくなったなぁ、ということに気がついた。自分の寝顔を自分で見ることはできないけれど、たぶん、へのじ口になっているような気がする。今日一日のやるべきことをして、あるいは少しの心残りを感じながらも一日を終え、明日に向けて休息をしようという時間に、ぼくはへのじ口になっているような気がするのだ。一日を楽しく過ごした後でも、何の後悔もなく、何の心配もなく、ぐっすりと眠りにつくという気分ではないように思う。子供の無邪気な寝顔はかわいい。天使のようだ。まさか33歳にもなって無邪気な可愛い寝顔をしているわけにもいかないし、たとえば何かの機会にみんなで雑魚寝でもすることがあった時に、伊達の寝顔って天使みたいやなぁ、と言われたいわけでもないけれど、寝顔はもしかすると自分の精神状態をはかる基準の一つになるかもしれない。問題は、一人では確認できないということか……。そんなことを思いながら、いつの間にかぐうぐう寝ていた。

2005年6月4日(土)
紫陽花。

六月に入り、図書館へ行く道にある紫陽花も少しずつ大きな花を咲かせ始めている。昔から4月と言えば桜、6月と言えば紫陽花、みたいなところがある(幼稚園で毎朝出席のシールを貼る手帳にも6月のページには紫陽花のイラストが載っていたし、HPのサイトマネジメント用のページも6月に入ってトップページの写真が紫陽花に変わった)。そして紫陽花と言えば、カタツムリだ。本宮にいた頃、友達がカタツムリやカタツムリの殻のない奴を見つけては塩をかけていた。ぼくはそれがとてもイヤだった。そもそもカタツムリ自体が苦手ということもあるけれど、それ以上に塩をかけたら消えてしまうということを本当に実践してしまうことがイヤだった。でもそれは理科の時間か何かに先生からも教わるし、先生も実験することを積極的には進めなかったかもしれないけれど、あわよくば試してみなさい的な雰囲気はあったような気がする。でもぼくは、カタツムリや殻のないカタツムリが消滅してしまうということが観念としてうまく理解できず、無性に怖かった。昨日のホリエモンと一緒で、納得してもらえるような説明をする自信はないけれど、気持ち悪いからとか自分が臆病だからというだけではない何かがぼくを引き止めていた。世の中には自分の手に負えないこと、自分が責任を取りきれないこと、自分は関係ないじゃ済まされないことがあるということを、もしかしたら線路に置き石をしたりハンマーを振り上げたりするような子供は感覚として持っていないのかもしれないな、と図書館の帰りに紫陽花を見ながら思った。最近は何を考えても「バランス」というキーワードに辿り着く。

2005年6月3日(金)
ホリエモン。

昨日だったか一昨日だったか、ライブドアが堀江社長のニックネームである「ホリエモン」の商標登録を出願したというニュースを読んだ。軽くショックを受けたのは……、
 ぼくはニュースを毎日一生懸命に追いかける方ではないから堀江社長のことをよく知っているわけでもないし、堀江社長のことは好きでも何でもないのだけど、それでもプロ野球参入やニッポン放送株の件で世間が盛り上がっていた時に、堀江社長のことを揶揄するように「ホリエモン、ホリエモン」と呼ぶ人たちのことがイヤだった。好き嫌いを言っているだけなら他人の勝手で済ませていいのかもしれないけれど、友達でも何でもないクセにキャスターも芸能レポーターもニュース番組に出てくる識者までも、みんな立場を利用してこぞって偉そうに倫理を説き、カメラに向かって「ホリエモン」を批判していた。
 ぼくには何の関係もないし、ぼくが何を言われているわけでもないし、堀江社長自身どう思っていたのかも分からないのに、自分でもよく分からない理由でなんだか不快だった。辛くなった。プロ野球界の再編とか企業買収といった難しい話ではなく、批判内容でもなく、「ホリエモン」と呼んでいることが、なんとなくなんだけど確実にイヤだった。自分でもよく分からない気持ちをあえて言葉にするなら、「自分が他者に紛れて匿名の状態でいる場合(いられる場合)、もしくは自分の言い分に正面切って反論されることのない場合(反論される心配のない場合)の、匿名でない人との接し方」みたいなところでぼくには何か自分を頑なに縛ってしまうものがあるのかもしれない。本当によく分からない。とにかくぼくは、誰に対しても義理も何もないのに、律儀に「堀江社長」と言っていた。
 それなのにホリエモンめ……。

2005年6月2日(木)
雨降り。

久しぶりに雨が降った。傘をさして本屋さんに向かう途中、小学校に上がる前ぐらいの女の子がお母さんと一緒に前を歩いていた。ピンクの傘と長靴とかっぱがお揃いで、お母さんの足元をちょこちょこと歩く可愛い女の子だった。追い越そうとした時にちょうどその子が傘をくるくる回したので雨粒がぴっぴっとぼくにかかった。女の子もお母さんもそれに気づき、お母さんは謝ってくれたんだけど、女の子の方はいたずらっぽく、またしてもぴっぴっとやってきた。すかさずお母さんに怒られて、泣き出しそうな表情になったのでぼくも傘をくるくる回してぴっぴっとやってやった。ぼくの方が背が高いので女の子には直接かからず、女の子のさしていたピンクの傘にばらばらっと雨粒がかかった。それが楽しかったみたいで、バス停のトトロみたいに喜んで嬉しそうにまたぴっぴっとやってきた。それからしばらく、ぴっぴっ、ばらばらっ、とやりながら並んで歩いた。雨の日は楽しいな。

2005年6月1日(水)
辞書。

それにしても広辞苑の例文は、どうしてああまで徹底して古文なんだろう? 現代語さえ十分に分からなくて辞書に頼ろうとしているんだから、

「はや・き風吹きて世界暗がりて【はや・い】」、
「この酒(みき)を醸(か)みけむ人はその鼓臼に立ててうた・ひつつ醸みけめかも【うた・う】」、
「今はまた関の藤波絶えずとも国にむく・いむためをこそ思へ【むく・いる】」

なんて言われても……、非常に不愉快だ。さっぱり分からん。平家物語とか源氏物語からの引用が多いけど、何か理由があるんだろうか。英語の辞書は昔から何かと使い分けたりしているのに、国語辞典に関してはもっぱら広辞苑と角川の類語辞典だ。辞書の類の環境はずっと整えてきたけれど、ほとんど見直したことがない。他にも大辞林とか使ったことがないものを今度見てみよう。もしかしたらぼくの用途にあった辞書は他にあるのかもしれない。でも電子辞書に収録されているのはどうやら広辞苑が多いようだ。
 そういえば高校生の頃、広辞苑を読もうとしたことがあった。「い」で終わったはず。ということは「あ」は読んだのか。やるねぇ。

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