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| 2005年8月31日(水) |
| 充実の夏。 |
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今日、今月三つ目の締め切りを終えた。それぞれの締め切りの10日前ぐらいからラストスパートを開始し、だからラストスパートしっぱなしの一ヶ月だった。いつものように第三コーナーに差し掛かるあたりで抜け出そうとしたところ、いつものように200メートルトラックではなくて400メートルトラックだったためにゴールが予想以上に遠かったような、だけどまぁ、なんとかゴールできました、みたいな感じかな(でもそのうちの二つはプチ締め切りで、だからラストスパートといってもプチラストスパートなので、九月以降に向けての助走みたいなもんだ)。今月は締め切りという優秀なペースメーカーに引っ張られて、少し息切れしかける場面もあったんだけど、そういう時には「四人目のぼく(6月24日の日記参照)」が出てきて、ギアを一段も二段を上げてくれた。こういう大変さなら大歓迎だ。大変ではあったんだけど、そんなことはどうでもよく、自分が本当に好きなことをやれているという実感があった。いつもと違う次元に行ってしまったような妙なテンションで、楽しくて楽しくてしょうがない毎日だった(今思えばだけど)。欲を言えばキリがないけど、まだまだできたはずだ。でもそれは九月の課題だ。
そして今日、とりあえずお昼過ぎに一息つくことができたので、この間買ってきたまま冷蔵庫に入れっぱなしになっていたグレープフルーツを食べて、厚い雲に覆われて薄暗い外を少し散歩した。休憩するということが、家の中で寝ていたり、だらだら過ごすことじゃないと思えた。ハードな運動をした後にクールダウンで少し熱量を放出させ、そのままアップに持っていけば筋肉もいい具合にほぐれて、また次につなげられるようなイメージだ。だけど、頭に描いたイメージを実際に体感できたり、心で実感できたりというのは、なかなか爽やかな瞬間だ。いつも今月のように充実した、精神的に安定した日々を送ることができれば、原因不明の疲れなんかに襲われることもないんだろう。今回も月末が締め切りだったので、きりのいい明日からまた頑張ろう。
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| 2005年8月30日(火) |
| 無題(の続き)。 |
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なんなよ、もう〜、ちぇっ。そら舌打ちもするっちゅうねん。あぁあぁぁ、もう、どこ行くねん……。四時間近く閉じ込められて、何や知らんけどえらいスピードでどっか知らんとこまで連れてこられた思たら今度はまた何かよう分からんトラみたいな服着た人に囲まれて、どこ見てもトラ、トラ、トラや。あの人とか、電車乗った途端に着替え出しよったで。ここは更衣室ちゃういうねん。黄色やらピンクやら、AKAHOSHIやらYANOやら、何みんな盛り上がっとんねん。優勝したみたいな騒ぎようやな……。優勝……? トラ? って阪神か、これ阪神か、阪神やな。阪神タイガースやろ。トラの服着てたんはタイガースのユニフォームか、そうかぁ、な、る、ほ、ど、これが阪神ファンか。星野さんやな、今は岡田監督か。ってことはAKAHOSHIってあの赤星か、レッドスターのファンやな。そうかぁ、じゃあ、これ甲子園向かってんねんな。おぉ、おぉ〜、うおおおおおおっ! 頑張れ、頑張れ、頑張れ〜! それにしても、ちょっと、ぎゅうぎゅう詰めやな、しかし。おい、ちょっと、危ない、危ないって! 踏まれるとこやったわだよ。あれ? みんな降りてくで、降りへんの? 降りんでええの? 甲子園行くんちゃうん? なんな、ちゃうんかいな……。あぁ、甲子園……。まぁ、ええか、ええわ、っていうかしゃあないもんな。そもそもあん時、珍しがってタイヤのついたスーツケースで遊んどったんが悪かったんや。まぁでも、ここなに? 芦屋? ここもまぁええとこみたいやし、ええか、ええな、ええにしとこか。言うてもしゃあないしな。スティーブンが作ってくれたテーマソングでも歌いながら帰るわ。
Is he strong, listen up
He's got radioactive blood
Can he swing from a thread
Who'll escape from his spider web
Look out, there goes the Spiderman
ってしかし、これはカッコええ曲やなあ。ルッカゥ! ゼアゴーザ、スパイダーメーン、いうて、な。
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| 2005年8月29日(月) |
| 『日経PC21』。 |
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パソコンなんて誰にならったわけでもないし、特に今は誰かと一緒に仕事をしているわけでもないから、もしかしたら当たり前のことさえ知らずにいたり、比較的マイナーな機能を使いこなしていたり、といったことが実はあるのかもしれない。新しいことや便利なものの存在を知らなければ現状にそれほど不満を覚えることもなくて済むというのは、いいことなのか悪いことなのか。普段は別にパソコンを使っていて不自由を感じることもあまりないけれど、時々ふと、こういうことができればいいなぁと思って調べてみると、そういうことができるフリーソフトがあったり、そもそもXPには標準装備されていたりすることがある。昔から時々『日経PC21』という雑誌を買っているんだけど、とにかくこれが優れた雑誌だ(と思う)。他の類似雑誌を知らないから、比較すれば優れているのか普通なのか比較的もっとどうにかなるのかは分からないけれど、ぼくには分かりやすく、何度も助けられている(ここでもやっぱり、もしかしたらもっと使い勝手がよくて詳しくて親切な雑誌があるのかもしれないけれど、ぼくはそれを知らないから何の不満もない)。付録についていたエクセルの関数の説明書なんかも大事に取ってあったりする。
今回は、画像ファイルを送りたくて、だけどちょっとかさばるのでメールに添付することが躊躇われて、だからどうしようかと思ってどうもせずにほったらかしにしていたら、ネット送信ができるということだった。ネット上に私書箱みたいなのがあって、そこにアップロードすると、受け取ってもらいたい人がそこからダウンロードできるというものだ(インターネットやメールの話をする時に、たとえ話として「私書箱」がよく使われるけど、実際に私書箱ってそんなに共通の知識として使っていいぐらい一般に普及しているものなのかな?)。そのサービスにも色々類似のものがあって、会員登録が必要だったり不要だったり、送信できる容量が違ったり、そもそもネット送信の他にも共有サービスを利用するなど別の方法もあったり、セキュリティ面や操作性、面倒くさ度などで自分の事情にあったサービスを利用することができる。そしてそういう比較をする際に知っておくべきことも、『日経PC21』は過不足なく教えてくれる。知らないなら知らないで済むことだけど、知っていればそれだけストレス・フリーに仕事ができる。
そして今月号には、ファイルのネット送信方法以外にも、「奇跡の20分間リカバリー」とか、「おせっかいな機能を元から絶つ! ワードのイライラすっきり解消」といった魅力的な特集が組まれていた。こういう雑誌を作る人は天才だと思う。しかも世の中の役に立っている。PCは一般のユーザーにもフレンドリーになってしまったせいで、PCなし(もしくはPC使いこなせなし)では困るようになり、いくらフレンドリーとは言っても専門家なみに使いこなせるわけではないからぼくたちのPCへの依存度を考えると、フレンドリーにしてもらうぐらいでは足りなくなってきてしまっていて、だからこういう雑誌は本当に助かる。ただ、画像ファイルのネット送信は実はまだやってみていない。
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| 2005年8月28日(日) |
| 無題。 |
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お、なんや、ごろごろ〜いうて、えらい楽チンやなぁ。どっか連れてってくれるんやろか。天気もええし、久しぶりに外に出るのも気持っちええわぁ。でもなんか、おいちょっと、ガタガタガタガタ〜いうて、ちょっと乱暴やなぁ。気ぃつけてもらわんと、こっちもしがみついてなアカンのやからなぁ。ふぅ〜、お、どした? 一休みか?
お? お? おおっ、おおおおっ!? 速い速い、速いって! なんやこれ? うおおっ! なんやこれ? めっちゃ速い、めっちゃ速い。めっちゃ速いって! うわっ、暗っ! うわっ、明るっ! なにこれ? なにこれ? めっちゃ怖い。めっちゃ怖い。うわっ、うわっ、うわああああぁぁぁ……。おぉ、なに今の? 何やったん? 急カーブ? 急カーブか?
急カーブやな。急カーブやろ、な? 面白いな。これ面白いわ。みんな来たら良かったのに。こんなんあるの知ったぁるんかな。それにしてもこれ何やろ。何なんやろな。え、あれ?
ちょっと待って、どうやって帰るん。どうやって帰ったらええん? ちょう、ちょう待ってよ。帰れんのちゃう?
どうやって帰ったらええか知らんで。帰れんなってしもたんちゃうん。え、なに? ちょっと待って。どこここ? 知らんで。なに? 新大阪? どこそれ? 何よ? うわぁ、めっちゃ人多い。何? また電車乗るん? もうええわ。もうええって。帰らして。こんなとこ連れてこられるらいうて知らんかってんもん。うわ……、どうしよ、ちょう、うわぁ、マジで? 参ったな……。
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| 2005年8月27日(土) |
| jd 違い。 |
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人生の意味を真に理解することは翻訳家の義務だと思う。人生を自分の抱える問題と重ね合わせ、作品の中で表現する。翻訳家であるということは、この世で最も孤独なことでもある。自分の集中力と、想像力、それ以外には何も持たず、頼りとなるものもそれ以外にはない。いい翻訳家になることは容易ではない。男であることはさらに困難を伴う。いつか、その二つを達成したいと思う。
翻訳家は人生を解釈し、そのためには日々の経験を全て受け容れる必要がある。目に見えるままを受け容れるのではなく、もっと深い洞察力が求められる。個人の一生という短い期間で、知っておくべきあらゆることを知り、経験すべきあらゆることを経験しないといけない。あるいは、少なくともそうなるべく最大限の努力を怠ってはいけない。自分のアートを表現するために、人一倍努力して、学んだ全てを潜在意識の核の部分に蓄えておく必要がある。
……なんてね。残念ながら、ぼくの言葉じゃありません。ジェームス・ディーンです。「翻訳家」の部分を「俳優」に置き換えて読んで下さい。
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| 2005年8月26日(金) |
| あやしい……。 |
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台風一過で、また強い陽射しが戻ってきた。すると、あれは何というのだろう、サンバイザーにも程があるという感じの、ちょっとした戦隊ヒーローものにでも出てきそうなアレで顔全体への直射日光を完璧に防ぎ、ノースリーブのシャツからむき出した両腕には白やら黒やらの、あれも何というのだろう、どうせなら長袖を着ればいいんじゃないかと思うようなものを装着して、自転車には日傘を標準装備している。お肌を気にして、それ以外のこと、たとえばそのサンバイザー(?)をかぶっている時の見栄えであるとか、買い物をしている間は日傘を閉じてはいるもののハンドル付近に差して立てたまま駐輪してある自転車の不思議な雰囲気だとか、たまたま信号待ちをしている時に同じような格好の人が一人二人と他にもやってきてその群れに囲まれてしまうぼくの気持ちとか、そういったものは気にすることを放棄しているような……。ベースボール・キャップの裏についている普通は使い道のほとんどない白いメッシュのアイマスク部分を活用している小学生を思い出す。まだ見慣れない。夏とはいえ、ぼくにとっての日常の風景にまだ馴染まない。曲がり角を曲がって出会うたびに、体がびくっとなる。
高校を出て大阪に出てきた時、JRの大阪駅付近の大きなバス乗り場でバスを待っていた茶髪の人を見て大変驚いたことがある。ぼくは少し離れたところを通りかかったんだけど、視界の隅っこにその人の姿をとらえ、犬がスーツを着て立っていると思ったのだ。それまで茶髪の人を見たことがなかったとも思えないのだけど、茶色いロングヘアを少しボサボサっとさせて少し派手なスーツを着た男の人を見て、首から上がゴールデンなヘアーをなびかせた犬で、首から下がスーツを着た人間に見えたのだ。二度見どころか何度も何度も見たけれど、それこそ目をゴシゴシとこすって何度も見たけれど、たまたまその時のぼくの角度からはその人の顔は髪に隠れてはっきり見えず、犬人間にしか見えなかった。あり得ないはずのことを実現させてしまうのはぼくの想像力か、それとも世間知らずか。いずれにしても、かなり近づいて髪の毛が茶色い人だと確認して、ホッとした。とてもホッとした。いま思い出してもホッとする。
あの黒いサンバイザー(?)は、ぼくにとってその時以来のインパクトがある。あのままコンビニに入ってくる人もいるけれど、フルフェイスのヘルメット以上にNGだと思う。でもぼくは、そうまでしてでも買い物に出かけ、子供たちやご主人のために暑い最中に仕事をする人を、尊敬しています。
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| 2005年8月25日(木) |
| "Bringing It All Back Home". |
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一番好きなアルバムを挙げるなら別のアルバムになるんだけど、このタイトルが気になって、よく聴く一枚です。プロテスト・ソングやフォークのイメージが強かったボブ・ディランが、エレキギターを持ってロックサウンドを取り入れた1965年の作品。確固たるイメージが出来上がると、今度はそれが自分の活動を制限する枠になってしまって、逸脱しようとするチャレンジが難しくなることもあるんだと思う。ディランの挑戦が成功したことはその後に発表されている作品の数々を聴けば分かることだけど、当時はファンの間でも賛否が激しく分かれたと言います。常に時代に先行していたディランがどこまで周囲の勝手な声に影響を受けたかは分かりませんが、そんな転機となったアルバムに「全てを家に持ち帰る」というタイトルを冠しているということに魅かれます。色々分かったことを、自分が自分でいられるいつもの場所にいったん持ち帰り、そこでゆっくり考えてみる。そしてそこから改めて出発する。そこが実際に具体的な家であったり故郷であったりする必要はないと思うけど、とにかく何にも惑わされる必要のない場所の大切さみたいなことだと、ぼくは漠然と解釈しています。それは友との会話の欠片だったり、大切な人との約束だったり、ある日の決意だったり、思い出の地だったり、そういう「場所」を持っている人は、強く生きられるような気がします。そんなことを考えてしまうので、BGMには不向きです。
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| 2005年8月24日(水) |
| 寝相。 |
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お盆の間に、寝てなおその溢れんばかりのバイタリティを発揮する9歳の姪っ子と一緒に寝る機会があったということは前に書いたけど、ぼくも小さい頃はそんなに寝相が良かった方じゃなかったと思う、たぶん。二段ベッドの上で寝ていて、その下に布団を敷いて寝ていた母さんの上に落ちた記憶がある(でもそれなら落ちたぼくも落ちられた母さんもそれなりに大変なことになっていていいはずなのに、そこまでの記憶はないので、何かのエピソードとぼくの記憶がごちゃごちゃになっているのかもしれない)。それ以外は寝相に関する華々しいエピソードというのは特にないんだけど、地味に忘れられないエピソードが一つある。中学の修学旅行でサンフラワーという客船に乗って東京に行った時のことなんだけど、船中、一泊ぐらいみんなで雑魚寝したことがあった。枕投げとかして散々遊んだ後でクタクタになって布団に入ったんだけど、夜中に目が覚めて足元に新田くんが寝ていることに気づいたぼくは、普段からベッドで寝ていても布団で寝ていてもいつの間にか下(足元)の方で丸まって寝ているというクセがあって、だからその時もあんまり下の方に行ってしまうと新田くんを蹴ってしまうことになり、気にせずに寝ようとするとぼくは自分の習性に従って下の方に行ってしまうし、行ってしまうとそこには新田くんがいるし、かなり神経を使いながら寝た。というか、気になってあんまり眠れなかった。枕投げの後で疲れていたにも関わらず。それで朝になって、一晩中新田くんだと思っていたものが新田くんではなくクシャクシャっとなった毛布だったと分かった時には、ものすごい疲労感に襲われた。新田くんは、ずっと向こうの方ですやすやと寝ていたと聞いた。人の気も知らずに。今は、あんまり下の方に行くと本棚がある。
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| 2005年8月23日(火) |
| は、鼻? |
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携帯でメールを打つ時、履歴をフルに活用して候補を挙げてくれるのはいいんだけど、過剰に親切というか、何の臆面もなく表示されてくるわりにそれほど効果的じゃないことが多い。例えば今日は、「はい」と打ちたくて「は」と打っただけで「鼻?」という候補が一番に出てきた(「鼻」じゃなくて「鼻?」)。そんなメールを誰かに送った覚えもないんだけど(でも送ったんだろうね)、それにそれ以降にも「は」で始まる他の言葉を書いたはずなのに、どうして「鼻?」が一番なのか??? まぁ、でもそんなことを言っていてもしょうがないので気を取り直して「はい」と打つと、一気に「はいどうも」と出てきた。手間を省いてくれるツールとしてじゃなく、こういう楽しみ方をするものだと思えば、それなりに楽しい。
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| 2005年8月22日(月) |
| あっちょんぷりけ! |
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手塚治虫の『ブラックジャック』がTVで放映されている。先週、姪っ子と一緒に観た。戦争中の国が舞台で、夫が戦争に反対して死刑になったために、病気の息子には早く病気を治して国のために戦ってもらいたいと願う母親が出てくるのだけど、それが実は本心ではなく、そういう家系だからということで家中に監視カメラが仕掛けられていて、だから息子にそういう態度を取っているところをわざと見せつけて国を欺こうとしていた、という設定だった。
今やっている翻訳(東ドイツの秘密警察の話)とよく似ている。こういうことがよくある。翻訳に関連して、そのことを考えて一日の大半を過ごしているというようなトピックと関係のあることが、色んなところで目につく。調べないといけないことがふとした時に調べるまでもなく確認できたり、参考になる話を見聞きする機会に恵まれたり(でもまぁ、そうかと思えば、普段はよく目にしていることでも、いざ調べようとするとどういうわけか調べがつかなかったりすることもあるんだけど)、こういう偶然は軽々しく軽視したりせず、「お、調子ええ証拠やな」みたいな感じで自分を盛り上げていくことに、いつからか、なっている。古座川を目の前にしてテンションを上げることは簡単だけど、一日中独りで机の前に向かって高いテンションをキープするのは、結構難しい。だから、そのきっかけを見つけたら、貪欲に利用することにしている。
姪っ子と一緒に『ブラックジャック』を観た次の日、近くの公園で遊んでいた子供たちが、「あっちょんぷりけ!」と連呼しているのを聞いた。ぼくが子供の時に読んだ漫画が今もこうして今の子供たちの間で流行っているというのは、なんだか感慨深い。そういうぼくも、面白い面白いと言って読んだ本が実は父さんも若い頃に読んでいたということを知って軽く驚いたことがある。まさに「あっちょんぷりけ!」だ。公園を後にしながら、
It is the evening of the day,
I sit and watch the children play.
Doin' things I used to do, they think are new,
I sit and watch as tears go by...
と口ずさみ始めてはみたものの、いつまでもそんな感傷に浸っていることは、ピノコが許してくれなかった。さっさとお仕事やるのよさ!
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| 2005年8月21日(日) |
| 雨。 |
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この匂いを知っている。夏の日の午後、大気が十分に熱せられた後に、音もなく控えめに降る雨。濃密な空気に包まれて、体全体にムッとする熱気を感じながら、まとわりつく湿気をかき分けるように歩く。雨に打たれている部分だけが冷たい。どこかでチリンと風鈴が一つ鳴れば、その残響が耳の奥にいつまでも残る。夏が遠ざかっていくように感じた。
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| 2005年8月20日(土) |
| Don't miss it! |
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六月末に締め切りを済ませた翻訳、15年以上ぶりにネーナを聴くきっかけになった本、オーウェルの『動物農場』や『1984年』が必ずしもフィクションの中だけの世界じゃないんだと背筋が凍る思いをさせられ、夢の中にまで出てきてぼくをその世界に引きずりこんだ作品の翻訳が、もうすぐ完成します。10月末に白水社より刊行予定です。詳細は近いうちに【Works】のページにUPします! どうぞお楽しみに。どうかお楽しみに。
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| 2005年8月19日(金) |
| 帰省。 |
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お盆で勝浦に帰っていました。今回はノートPCを持っていたので、「今日は勝浦からです……」みたいな感じでモバイラー感覚を強調した日記でも書こうと思っていたのに、何がいけないのか、ノートPCからは日記のUPができませんでした……。しかもページが真っ白になってしまって、その原因も分からず、どうすることもできず、うぅ……、でも勝浦では忙しい毎日を過ごしていたので、意外とすんなりと諦めることができました。それにしても、このままじゃノートPCを買った意味が半減、もしくは約1/3減してしまう。しばらくは芦屋の部屋を離れることもないだろうけど、少し落ち着いたらノートPCをもっと使えるようにしておこう。というわけで、いつものように、帰っていた間の日記を下にペーストしていますんで。
2005.08.13
映画『マトリックス』では、人間は人工知能との戦いに敗れ、発電源として機械につながれていた。そしてそういう状況であることに気づかないよう、「マトリックス」という擬似世界を見させられ、信じさせられていた。それに気づいたモーフィアスやネオは、圧倒的な力と数の機械に追い詰められていく。
44年前の今日、ベルリンの壁が築かれた。自由を求めて西を目指す人たちを囲い込み、そこそこの生活は保障し、ライフルを構えて威嚇し、外へ向かおうとする夢を断ち、人々の心を分断する。そんな環境での生活が28年続いた後、1989年11月9日にとうとう国境検問所のゲートが開かれ、人々は解放された。今から16年前、それほど昔の話じゃない。当時ぼくは18歳で、色んなことに敏感であってもおかしくなかったはずなのに、何に一生懸命になることもなく、ただのらりくらりと過ごしていた、これまでのぼくの34年間でも最も反省すべき時期の真っ最中だった。あれから16年、マトリックスやスターウォーズを見て、面白かった、カッコよかったと無邪気な感想ばっかり言っている時期はどうやら過ぎた。昔の話、遠い国の物語、フィクションの世界、では済まない部分を自分の身の回りに感じられるぐらいにはなった。「自分の身の回り」を少し広く意識することが、もしかしたら子供から大人に少しでも近づくきっかけになるのかもしれない。
2005.08.14
今回の帰省は何かと荷物が重く、キャスター付きのスーツケースを買って、それをゴロゴロと転がしながら帰ってきました。階段になると持ち上げないといけないけれど、後はすいすいと楽チンだ、とばかり思っていたのですが、意外とそうでもありませんでした。混雑する大阪駅や阪急デパートでは、あんまり自分の斜め横あたりを転がしていると、それだけで一人分以上の幅を取ってしまって迷惑だと思ってできるだけ真後ろを転がすようにしていたんだけど、するとぼくは右肩を壊してしまっているのでそこまでの可動域を確保できず、でもだからと言って左手で持てば慣れないために違和感があってなかなか落ち着かないし、それにたとえばぼくが通るのを待ってからすれ違おうとしてくれた人が、ぼくが通ったからといってすれ違おうとした時に、まだぼくの後ろの低い位置にスーツケースがついてきていることに気づかずに、足をぶつけてしまいそうになることがあったり、電車の中で手を離していると勝手に転がっていったり、何かと気を遣いました。それでも多分、これだけの荷物をいつものように肩にかけて持てばもっと大変なことになっていたはずです。文句を言い出せばキリがない。
2005.08.15
今日は美結ちゃんと理那ちゃんがパパに連れられて遊びに来た。トランプをしたりボールで遊んだり、オセロをしたりオークワに豆腐と花火を買いに行ったり、ダンボと遊んだり、忙しい一日だった。まるで仕事にならんかった。今回はお盆だから帰ってきたけれど、そうでなければとても帰る余裕のない時期で、隙をみて仕事をしていると、仕事が大事なん? と訊かれた。これが9歳の発言か、と少し戸惑いながら、トランプをした。下の理那ちゃんはパパと一緒に夕方に帰っていったけれど、美結ちゃんは泊まっていった。向こうの部屋で母さんたちと一緒に寝るはずだったけれど、「抜け出してきた」といってぼくの部屋にやってきた。しょうがない、仕事は大事だけど、美結ちゃんと遊ぶことも大事だ、と思ってちょっと話をしてから寝た。起きている時は憎まれ口も叩くようになったけど、寝てしまえばやっぱり可愛らしい寝顔で、口元をすぼめて、きゅっきゅきゅっきゅ言いながら寝ていた。ただ、寝相が悪すぎる。
2005.08.16
父さんと敦ちゃんと姪っ子二人とぼくの五人で古座川に行った。ブリキのバケツに石を入れて、そこに炒った糠をふりかけ、小さく穴を開けた布でフタをして川底につけておくと、魚がたくさん取れた。カヌーも始めのうちは興味津々で「乗せて、乗せて」とはしゃいでいたけれど、泳ぐ方が好きみたいで、「カヌーじゃなくて、オ・ヨ・ゴ!」と大人びた調子で言われた。水中メガネをして、ばしゃばしゃと楽しそうに泳いでいたけど、理那ちゃんの方は泳いでいる魚は怖いみたいで、「この川、魚おるぅ!」と言ってパパに抱きついていた。
古座では一ヶ月ぐらい雨が降っていなかったらしく、水量もいつもよりずい分と少なく、景色も少し違って見えた。それでも古座川は水量に関係なく、古座川というだけでぼくには意味がある。癒される。落ち着く。のんびりできた。ゴール地点の河口近くになるとちょうど満潮時で、流れに逆らってカヌーを進めるのは大変だった。久しぶりにいい運動をした。
2005.08.17
帰ってきてから全然仕事ができていない。遅れを取り返すためにひたすら仕事をした。そして、取り返しちゃった。
2005.08.18
近くの山まで、父さんと母さんの散歩について行った。緑に囲まれて自然のミストシャワーが溢れていた。いい気持ちだった。ぼくは普段から、人間も頑張ればミストぐらいどっかから出るようになるんじゃないかと信じたいと思っている。クーラーを使わないのも、そうすると暑さに適応してどっかが進化して、ミストを出すようになるんじゃないかという実験の意味が込められているとか、いないとか。
家の壁の工事が始まってお風呂が使えなかったので、駅前の温泉に行った。他に客がいなかったので、泳いでおいた。そういえば帰ってきて最初の日、風呂に入って「シャンプー」と書いてあるボトルを使うとあんまり泡立たなかったので、「あれこれリンスかな?」と思いながらもう一方の「リンス」と書いてある方を使うと、今度はきちんと泡立ったので、やっぱりさっきのがリンスで、きっと詰め替え用を詰め替える時に間違えたんだろうなぁと思って、もう一度さっきの「シャンプー」でリンスした。風呂を出てから母さんにそう言うと、両方ともシャンプーということだった。そういうことが、うちではよくある。
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| 2005年8月12日(金) |
| 素顔。 |
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へらへら笑わず、澄まさず、気取らず、ふてくされず、無関心を装わず、わしゃしゃしゃとなった揉み上げばかり気にせず、たまには素顔で外に出よう。
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| 2005年8月11日(木) |
| If you give up your journey, you lose your innocence. |
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「人間というものは現に持っている面倒な問題には耐えられても、これからぶつかる問題には恐怖を感じるものなんだ。だから慣れた面倒ごとにすがりついて、新しい面倒ごとに入ってゆこうとしないんだ(訳:加島祥造)」と言ったのは
"Light in August" のクリスマスで、「迷宮に迷い込んで身動きが取れなくなって、いつかそこから抜け出してやるって思いながらあんたは一生を終えるんだ。そりゃステキなことでしょうね、自分には未来があるんだって言い聞かせて、でもそんなことで未来なんかつかめるはずがないのよ。そうやって未来を口実に現実から逃げてるだけじゃない(訳:ぼく)」と言ったのは
"looking for alaska" のアラスカだ。
生活に対する周囲との温度差に戸惑い、疎外感や孤立間といったものを拭いきれず、打破したい現状に絡め取られている二人のセリフは対照的でありながら、よく似ている。そして二人とも思索の中に答えを求めず、行動に出る。クリスマスの悲劇はアメリカ文学史に有名だけど、高校一年生のアラスカがこの先どうなるのか、ぼくもまだ読み始めたばかりだから分からない。頭の中で考えることも時には楽しいけれど、とにかく結果がついてくるのは行動に移した場合に限られる。冒険心を忘れた時、ぼくたちは純粋でいられなくなる。でも冒険には危険が伴うという場合、それは必ずしも外的なものに限らないというのは、アラスカも指摘している通りだ。それにしてもこのアラスカというキャラクターは、なかなかに魅力的だ。この本もぼくが翻訳することになるかもしれないので、どうぞお楽しみに!
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| 2005年8月10日(水) |
| カット。 |
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二ヶ月ぶりに髪をカットしてもらってきました。前回同様たくさんすいてもらって、さらに今回はいつもよりも短くしてかなりすっきりしました。髪に関してはかなりのバリエーションで悩みを抱えているぼくですが、最近気になっているのは、もみあげのところが伸びるとわしゃしゃしゃっとなってくることで、時々指でつまんで伸ばしたりもするのですが、自分では見えないので、ついついわしゃしゃしゃっとなったままになってしまいます。この間『ダウン・バイ・ロー』を観ていたら、主人公の一人を演じていたトム・ウェイツが常に櫛を持っていて、相棒と話しながら、あるいは独りで考え事をしながら、癖のように揉み上げを梳かしていました。そんな仕草も含めて洒落ているトム・ウェイツを見て、こんなことで悩まなくてもいいんだと思えるようになりました。そんなことよりも、とにかくこれで視界も良好になって前方に潜む危険にも事前に気づくことができるはず。だけど遠目には穏やかに見えても水中に岩が隠れていたりして近くに行けば流れが複雑になっているということもあるので、調子に乗っている時こそ油断は禁物です。しっかり計画を立てて進路を見極めたい。
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| 2005年8月9日(火) |
| キレとコク。 |
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会社に勤めていた頃、昼寝の時間が欲しいと(たぶん)本気で言っていた友達がいた。通勤時間も入れると一日のうち活動できる時間のほぼ全てを会社に捧げ、それがイヤだと言うのではなく、それでは中弛みして仕事に「キレ」がなくなるから、ちょっとの時間は犠牲にしてでも仮眠を取って、そしてその分を十分に取り返すぐらいの仕事をしたいという前向きな意見で、ぼくも賛成だった。もちろんあれだけの社員がいる会社の中にみんなが使えるような仮眠スペースを作ることなど不可能だし、そういう点では本気で言っていたわけではないけれど、ぼくたちはニコニコしながらそんなことを語り合っていた。長時間労働する上で頭も体も適度に休めないといけないというのは、会社勤めをしている者に限らず、本当だと思う。無理をしないよう、ある程度自分でブレーキをかけないと特にこんな暑い日にはへばってしまう。頑張って無理をして体を壊していては何のためにもならない。というわけで、今日は昼寝をした。首の後ろの髪が首の後ろにぺたっと張りつくぐらい汗をかきながら30分、気持ちよかった。こういう時間を持てるのは贅沢だと思う。こんな贅沢を享受していられるのだから、今の生活形態を維持するためにも頑張らないと、と何かと何かが逆転したような発想だけど、そう思う。今月は有り難いことに非常に忙しく仕事をしている。でもこの状態が忙しいと感じるのは、あまりにも忙しくない日が続いていたからだ。少しは追い立てられるぐらいのペースが一番健全だ。今月の忙しさ、慌しさ、気持ちの面での充実を今後の基準にしたい。だから、来月に入ったからといって少しのんびり、なんていうことはしない。無理をするのではなく、疲れはたとえば一日の中の30分の昼寝で回復させて、スナップの効いた直球のような「キレ」る仕事をしながら、味わい深い毎日を過ごす。そのためにも最近はちょっと頑張りすぎて少々の昼寝では回復しないと思うので、近々古座川に行ってきます。みんなも無理しないでね。
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| 2005年8月8日(月) |
| 朝練? |
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明け方、暑くて目が覚めた。寝ぼけたまま窓を開け、網戸だけにしてまた寝ていると、すぐ外で何かがバタバタと騒がしくなってきた。まだ眠いし、だけど何かがバタバタと騒がしいし、どうせならもっと眠いかもっと騒がしくなればどっちかがもう片方に勝って諦めて起きるなりやっぱり眠るなりできるのに、両者の力は拮抗していて、起きる気にはなれないけれど眠れないというサイアクの状態がしばらく続いた。そのうちさらに暑くなってきてどうにも眠れず、バタバタも気になるので何度か起きていって網戸越しに外を見たりするんだけど別に普段と何も変わらないし、また横になってしばらくするとやっぱりバタバタとうるさく、そのうちバタバタ音は大きくなったり微妙にリズムを変えたりして、それはやっぱりベランダから聞こえてきているような気がするし、しかもそれがだんだん鳥の羽ばたく音のように聞こえてきた。かなり大きな鳥が傷ついてうちのベランダに落ちてきて、横たわったまま翼を広げてばさぁばさぁと羽ばたいている音。そう思い始めるとそうとしか思えなくなってきて、そしてそうだとすると寝ているぼくと網戸一枚を隔ててすぐ向こうで傷ついた大きな鳥が横たわって羽ばたいているということになり、網戸ぐらいはもしかしたら何かの拍子に破られるかもしれないし、これは呑気に寝ている場合じゃないと思い、意を決して確実に確認することにした。そして恐る恐るまずは網戸越しにベランダを見て、ベランダに鳥がいないことを確認した。そしてまだ油断せずにそぉ〜っと網戸を開けてベランダに出た。「確認!
ベランダ異常なし!」 そしてその向こう側を覗き込むと、一階下のベランダの屋根の部分が一部トタンみたいになっているんだけど、そこにネコが三匹いた。どうやら仔猫のようで、こっちからあっちまで走ったり戻ってきたりしていたのだ。何が楽しいのやら……。トタンの上でバタバタとその可愛い足音が、寝ぼけたぼくにはばさぁばさぁと怪鳥の羽ばたき音に聞こえ、びびって眠れなくなっていたのだ。耳を澄ませて、眠さと恐怖で冷静さを失った頭で必死に考え、何事か突き止めようとしていたわりに、今思い出すと全てが夢の中の出来事だったような感じもするし、でもやっぱり今日はいつもより寝不足だった。あの音が楽しくて毎朝トタンの上を走る遊びがネコたちの間でブームになったりしなければいいんだけど。
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| 2005年8月7日(日) |
| 貴船。 |
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今日は涼を求めて京都市左京区の貴船(きぶね)というところに行ってきました。京阪電車で出町柳まで行って、そこから叡山電鉄の二両編成ワンマン電車で貴船口駅まで、乗り継ぎがあまり良くなかったこともあって芦屋からはるばる三時間弱の小旅行でした。貴船口駅付近には鴨川の源流の一つである貴船川という清流が流れていて、その川床で流しそうめんが食べられるということだったのですが、行ってみると川に沿った細い山道の両側に料亭旅館や土産物屋さんが何軒も並んでいて、うじゃうじゃうじゃうじゃと大阪梅田なみの人ごみ密度でした。道路は細くて車はただでさえ対向することが容易でないというのに、道幅が少しでも広くなっているところにはことごとく車が駐車してあって、バスも数本しか走っていないために駅に向かう歩行者がぞろぞろといて、旅館の送迎バスやタクシー、若者の乗るRV、お年寄りのベンツ、バイク、旅館の前で水をまく人、道を挟んだ向かいの店から川床に料理を運ぶ人など、全ての車や人がみんなの邪魔をしているといった感じでした。そして誰もがその状態に明らかにイライラしていて、とにかく我先にと先を急いでいました。川床でそうめんを食べようと思っても、ほとんどの店では一万円も二万円もする会席料理しかやっていなくて、そんな立派な料理をいただく人は川の上に渡した畳敷きのスペースで優雅にのんびりとお食事できるのだけど、そうじゃない限り川床には下りていけなくなっているし、川の水は(おそらく米の磨ぎ汁で)白く濁っているし、一体どうしてこうまで自然を独占できるのかと思うと残念でした。そして1200円で流しそうめんを食べさせてくれるお店を一件だけ見つけたのですが、そこも本日の営業はすでに終了していて、しょうがないので抹茶ソフトだけ食べて帰ることにしました。ヒグラシが忙しなく鳴いていた以外、最早自然は見当たりませんでした。それでも、少なくとも十年前はもっとゆったりとしていたということです。そこで商売を始めた人たちの生き残りをかけた必死な努力なんだと思いますが、そこにはそれだけではなく、排気ガスや客を呼び込むヒステリックな叫びや、前を歩く人や横をすり抜ける車やクラクションを鳴らす車に対する敵意にも近い感情が吹き溜まっていました。今はシーズン真っ盛りだったみたいだし、結果だけ見てイヤな印象を持ってしまったけれど、行く時期を間違えたのだと思いたい。それにしても、う〜ん……。早く古座川に行きた〜い。
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| 2005年8月6日(土) |
| 夕立。 |
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昼過ぎから分厚い黒雲が空を覆い、ごろごろと雷まで鳴り始めた。ちょうど出かけようと思っていた時で、ベランダに干したシーツを取り込んでから出かけるべきか、それとも天気はこのままもつのか、なかなか判断がつかなかった。外はどんどん暗くなってきて、だけど雨は一粒も落ちてこないし、シーツは夜までに乾いてほしいからできれば干しておきたいんだけど、小一時間で戻るとは言えその間に降られたらおしまいだし、どうにも微妙で困った。結局干したまま出かけて、雨も降らず、帰ってきた頃には乾いていたので無事に取り込んだんだけど、それにしてもはっきりしない天気だった。見かけ倒しか、コノヤロー! でも、夕立は馬の背を分けるというし(最近知った)、隣りの町では激しく降ったのかもしれない。それぐらい怪しい雲だった。それに比べて昨日の夕立はすさまじかった。雨粒と雨粒の間に隙間がないぐらいで、一粒一粒も大きく、雨が降るというよりは雨の塊りが勢いよく落ちてくるといった感じだった。地面を穿ち抜くつもりかと思った。あれだけ降ると気持ちいい。大気中のゴミとか溜まった熱気とか不穏な空気とか、全部をきれいさっぱり洗い流してくれそうだ。今日みたいな例外もあるけれど、激しい夕立にはそんな潔さがある。
でもそんなのはぼくの勝手なイメージでしかなく、実際に色んなことを洗い流したり、なかったことにしたりなんて都合のいいことはもちろんできない。起こった出来事は善いことも悪いことも事実や歴史として残り、それを抱えて、踏まえて生きていくことになる。それは個人も企業も国家も同じだ。歴史として記録されなくても物語は個人の数だけ存在し、語り継がれていく。以前、広島を訪れた時、今日という日に関する広島の人たちと自分との意識の差に愕然とした。ぼくも何も知らないわけじゃないけれど、何を知っているわけでもないことを思い知らされた。たとえばぼくは、『火垂るの墓』が辛すぎて観ていられない。できれば観たくないとさえ思ってしまう。どこか目を背けていたところがある。知っていると言うのは簡単だけど、実感するためにはもっと、惨たらしさとかも含めて出来る限りのことを目の当たりにしないといけないと思った。誤魔化しちゃダメなんだ。
田口ランディさんのブログで、沖縄や広島の語り部さんたちの話は淡々としていて、よく練られていて、印象的でなく、だから聞いていて退屈で、実感が湧かないからといって最後まで聞かずに帰る人もいるようだけど、「悲惨な体験を他人に繰り返し語り続けることはそれはもう辛い仕事であり、そうそう、感情移入していたら自分の心身が持たないだろうと思った。だから、ある程度、形式化して語るのは身を守るために仕方ないことだろうなと思った」とあったのを読んだことがある。
アメリカにも原爆に関する博物館があって、そこでは3D映画館のようなところで爆風を体感できたり、きのこ雲をあしらったTシャツやマグカップが販売されていたり、訪れた若者たちは「クール!」という感想を持ったりするようだ。訪れた若者に「クール!」という感想を持たせてしまう博物館が、アメリカにあるのだ。
自分が無知ならせめてその経験不足や未熟さを補うために、隣りの人がどんな気持ちでいるのか、前の世代の人たちがどんな気持ちで何を伝えようとしているのか、想像すること、想像しようとしてみることができる。無関心でいるんじゃなく、なかったことにするのでも自分だけの観点に満足するのでもなく、一見淡々とした表情で語る人たちがいることを知り、その淡々とした表情の裏に隠された深い哀しみに気づく想像力を持って、自分にできることを自分から探して、見つけて、実践していく。
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| 2005年8月5日(金) |
| 過多。 |
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子供の頃は今よりもずっとTVの存在が大きかったから、TVでかかっている流行曲やドラマの主題歌なんかをよく聴いていた。ラジカセをつないで録音して、買ってもらった雑誌についていた歌詞を食い入るように見ながら、何度も何度も繰り返し同じ曲を聴いた。そんなイメージと結びついているのが水谷豊だ、というより熱中時代の北野先生だ。『カリフォルニア・コネクション』とか『やさしさ紙芝居』をよく聴いた。そして寺尾聰、というより西部警察のリキが歌う『ルビーの指環』だ。レコードを買ってもらって、二階に置いてあった父さんのステレオの前に座り込んで、ご飯の時間になるまでずっと聴いていた。
その頃と比べると、今はほとんどTVを観なくなって、流行の音楽も聴かなくなって、でもCDはよく買っている。大学を出て、朝早くから夜遅くまで働くようになって、お金はあるけど時間がなくなって、CDばっかり買っていた。CDぐらいしか買っていなかった。若干事情が変わった今も、CDを巡る状況は相変わらずで、変わったことと言えば、当時レコードと言えばシングルレコードだったけど、今CDと言えばアルバム(レコードで言うLP)だということだ。この違いが大きいように思う。子供の頃とは一日の長さの感覚も違うので、一概に比較はできないけれど、昔の方が一曲一曲を大事に聴いていたような気がする。今は小金に物を言わせてCDを買い漁り、ほとんど聴かずにラックの肥やしになるものもあったりして、たまに整理してブックオフに持って行っていくらかで売れると、またお金ができたみたいな気になっている。聴かなくなったCDを買い取ってもらって、無駄遣いの償いをちょっと手伝ってもらっただけなのに。それに昔はレコードを聴いている時間というのがあった。今は何かをしながら聴いているというのがほとんどで、常に身近なところに音楽がありながら音楽との関係は実は希薄になってしまっているようにも思う。そう考えると、iPod も楽しいんだけど、何かが違うような気もしてきた。何かに追い立てられるように次から次へと新しい音楽を求めているつもりはないけれど、結果としてそうなってしまっていないと強く否定することもできそうになく、少し「自己内ちぐはぐ感」を覚える。せっかくの良質の音楽を吸収しきれていないような罪悪感が湧いてきた。
音楽にしても情報にしても、提供者側の量やバリエーションが充実していくスピードに負けないように、受け手である自分も受け手としての度量を成熟させて、その膨大な量に圧倒されずに、落ち着いて、自分に必要なものを見極められるようにならないと結局何にも身につかないということになりかねないからね。
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| 2005年8月4日(木) |
| 憧れ。 |
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地球をゆっくり眺めながら、自分が星になって地球を回っているんだと宇宙飛行士の野口さんは船外活動をしている時に感じたという。壮大な話だ。ぼくも夜空を眺めたりするのは好きだから、その先に野口さんたちがいると思うと不思議な感じがする。ぼくにはうまく想像すらできない。昔、和歌山のどっか山奥に「ここが地球の真ん中です」という記念碑、というか結構立派な杭が立っていたのを見たことがある。どこでも真ん中になり得るような気がした。
本宮には海がなく、勝浦にいた頃は好きなアーティストのライブを見に行くなんて実感が伴わなかった。高校に行くと中学校の時よりもたくさんの人がいたし、大阪や東京はそれどころではなくとんでもなく大きかった。アメリカの西海岸でグレイハウンドに揺られている時は、大地という言葉を実感した。
常に今いるところではないところを目指し、そのたびにそれまでいたところの良さに気がついた。ある時、そんな自分勝手な生き方に嫌気が差した。本宮でなければあんな川遊びはできなかったし、勝浦じゃなければオール勝浦のメンバーには出会えなかった。憧れる気持ちに惑わされず、自分のその時々にいる場所をその時の真ん中に設定して、その時その時をもっと意識して充実させたいと、あれからはいつも思っているんだけどなぁ。
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| 2005年8月3日(水) |
| Stage Fright。 |
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どれだけ経験を積んだミュージシャンでも、ステージに立つ時は緊張するという。経験を積めば積むほど、そこに立つことの奥深さ、怖さを思い知るらしい。そんなステキな話ではないけれど、ぼくも、翻訳をする時に同じような(と思いたい)感覚になることがある。新しい本を読む時、何度も読み返してイメージを鮮明にして、いざPCに向かう時、推敲を始める時、ゲラが刷り上ってきて最後の校正に取りかかる時、各工程が終わって次の作業に移る時、この仕事の向こうに多くの読者がいるということを考えると、武者震いがする。ひよっこのぼくには読者との関係を具体的に実感することは難しく、目に見えない不安みたいなものが結構な重圧になってのしかかってくる。そして原作者に対する責任感もある。そういうもの全てを意識して、どてっ腹で受け止めるつもりで、素材を机の上に置き、目をつぶって深く息を吸い込み、大きくそれを吐き出す。とても清々しい気持ちで、ゆっくりと目を開ける。するとそれは、大きな力に転換されている。この緊張感は、確かに病み付きになる。
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| 2005年8月2日(火) |
| 不確かなメロディ。 |
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怖いもの知らずで、先陣を切ってミュージック・シーンを次から次へと激しく刺激し、これだけ後に続くアーティストを輩出し、派手なステージの上で愛と平和を歌う彼は、胸の内では成し遂げた数々の栄光の重圧に押し潰されそうになりながら、新しい一歩を踏み出そうと名声を振り払い、孤独と戦い、だけどそんな彼もステージに立つたびにいきがったりビビってたりして、でもそうやって自分を奮い立たせ、観客を大きな大きな興奮の渦に巻き込み、そしてまたバカでかいトラックに機材を積み込んで次の町でステージに立ち、レコードに残した音源で後世の人々まで魅了し、それでも挑戦的なまでに奥深い音楽は彼の全身にまとわりついて離れず、そして彼もその挑戦を受けて立ち、俺がロックンロールだ、ロックの神様が俺にはついていると叫び続ける。不確かなものを一つ一つ自分の手で確かめていくように、歩みを止めない。35年の軌跡。ぼくも、そんな彼をリスペクトする大勢のうちの一人です。
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| 2005年8月1日(月) |
| エピソード3。 |
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スターウォーズを観てきました。色々確認したくなったり、あぁなるほどと思ったりして、またエピソード4を観たくなりました。これではキリがありません。スターウォーズでは見た目も不思議なら名前も不思議なキャラクターがわんさか出てくるのに、それを時には必死になって覚えたりしながら実にすんなりと受け入れていく態勢を自然にとっているということが、とてもフシギな気がします。映画に限らずフィクションというのはそもそもそういうものなのかもしれないけれど、常識や日常という基準で観ていればとてもじゃないけど先には進めません。童心に返っているということなのかもしれません。映画を通して非常識や非日常を受け容れることができるようになれば、普段から心が広くなれるかな?
エンドロールでスタッフの名前が紹介されますが、それが延々と続き、本当にたくさんの人たちが力を合わせて作った作品なんだなぁと、別にスターウォーズに限ったことではないけれど、改めて思いました。本編が終わると大半の人が席を立ってぞろぞろと出て行くけれど、ぼくはエンドロールが流れていくのを眺めている時間も好きです。観たばかりの映画の余韻が全身に浸透するのをじっと座って実感する時間だと思います(このHPもそういう雰囲気を持たせたくてクレジットのページを作ったけれど、すぐに終わってしまう短いものしかできませんでした)。それにしてもジョージ・ルーカスが頭の中に描いたストーリーやキャラクター、世界観といったものが映画という形でこれだけ多くの人に紹介され、共有され、キャラクターの扮装をして映画館に足を運ぶぐらい熱狂的なファンを生み出すというのは、すごいことだと思います。映画にしろ小説にしろサッカーにしろ音楽にしろ、周りの人に影響を与えられる仕事はいいなぁと思います。ぼくも翻訳という仕事の持ち得るそうした側面を意識しながら、責任感なども感じつつ、楽しく充実した毎日を過ごしています。
スターウォーズで一番好きなキャラクターは、R2−D2に決定です。
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