| << 2005.11 | 2006.01>> |
|
| 2005年12月31日(土) |
| 今年のベストアルバム。 |
|
ストーンズの新譜やレアトラックス、初めて聴くディランの音源、大好きなアーティストのニューアルバム、新たに発見した新人バンド……、今年もたくさんの音楽を聴いたけれど、ベストアルバムは何といってもRCサクセションの『ラプソディ・ネイキッド』だった。痛快なロックンロール、勢いに溢れ、グルーヴに満ち、5人+応援に駆けつけたサポートメンバーが一体になり、それぞれの決意が一つになって爆発し、R&Bに根ざしたバランスの良い深み、まさに快感レベルは100%を超えていた。だんぜん、RCサクセションだった。下北のジャニスがキヨシローに捧げるブルーズもカッコいい。終盤のチャボのMCは涙なしには聴けない。1980年に久保講堂で行われたライブを録音・編集し、『ラプソディ』として発売されたアルバムに、カットされていた9曲、MC、観客の奇声、全てを復活させた完全盤は、まったく別のアルバムのように感じた。ネイキッド、剥き出しのRCがそこにいた。エネルギーの大きさがまるで違った。最初から最後まで、頭のてっぺんからつま先まで、鳥肌が総立ちだった。鳥肌もみんなで興奮している。まさに快進撃の幕開けとなるライブだったことが、25年の時を経て伝わってくる。いくらまだ小さかったとは言え、イモ欽トリオを聴いて喜んでいる場合じゃなかった。編集は時代の変化に翻弄されるけど、生の声や熱気は時代の波を突っ切って、ストレートに胸にドカーン!……と響いてくる。ズドーン!……と撃ち抜かれる。そしてフラフラと立ち上がるとまたしてもドッカーン!!!……と一撃を喰らわされる。さらに驚くのは、キヨシローもチャボさんも梅っさんも衰えることを知らず、バリバリに現役で演っているということだ。来年の二月には早速キヨシロー主催の大イベントが待っている。きっと麗蘭も駆けつけてくれるはずだ。まだ参加の表明はないみたいだけど、そう信じていたい。今は別々にそれぞれのソウルを鳴らし続けるキヨシローとチャボが同じステージに立つところを目の当たりにしてしまったなら、ぼくは失神してしまうかもしれない。ほうれん草をたくさん食べて、その日に備えたいと思う。
|
|
|
| 2005年12月30日(金) |
| 来年の目標。 |
|
・持ち込みの企画を1コ作って営業活動再開。
・HPリニューアル。
・翻訳の勉強をする。
・月間100kmラン(4月以降)。
・野菜をたくさん食べる。
・そしてその結果、合計3冊出版。
今日から実家に帰ります。日記の再開は6日か7日を予定しています。どうぞ良い年をお迎えください。2006年の一日一日がみなさんにとって素敵な日々でありますように。
|
|
|
| 2005年12月29日(木) |
| 泣いてたまるか! |
|
京都の磔磔(たくたく)で行われた麗蘭のライブに行ってきました。凄い熱気でした。伝える言葉はソウルだと思いました。きれいなメロディや飾った言葉は二の次で、大切なのはソウルです。何かが胸の内から溢れる時、それは伝わるのだと思います。少なくとも伝わる可能性を持つのだと思います。麗蘭のCDやDVDは全部好きだけど、ライブには敵いませんでした。麗蘭はライブバンドでした。ライブハウスに集まったオーディエンスと一体になって一夜限りの世界を作りあげ、それを確かに受け止めたオーディエンスの一人一人がそれぞれの生活の糧にして、そうやってみんなの心に残っていくバンドだと思いました。それはコンパクトなディスクに納まるものではないのです。手軽に聴けるCDは便利だし、麗蘭の次のアルバムはいつ出るのかな、なんて思ったりもするけれど、やっぱり麗蘭はライブです。だんぜんライブです。ライブで何かを誰かに届けられるというのは、素敵なことだと思いました。野球をしていた頃、練習も好きだったけど試合の方が圧倒的に楽しかった。そんなイメージで理解できます。ライブを経験できるのはその時その場限りだけど、実感を伴った一瞬は永遠に匹敵すると思います。緊迫感、一体感、怒涛の音、言葉のうねり、調和、主張、まさにライブだ。生きている証だ。今日は本当によかった。最高の気分だ。勇気が湧いてきた。勇気が湧いてきたんだ。麗蘭の演奏を聴いてぼくは勇気が湧いてきたんだ。真面目に必死に生きようと思いました。泣いてたまるか!!
|
|
|
| 2005年12月28日(水) |
| 終わりました! |
|
夏から始めた翻訳が今日のお昼過ぎに完成しました! 一時はどうなることかと思ったりもしたのですが、できるもんやなあ。終わったもん。やればできる子なんやなあ、ぼくは。
……なんてね。今回も色んな方にお世話になりました。励ましてくれたり、そっとしておいてくれたり、ぼくが望む形で集中できる環境を作っていただきました。ここまでできたのは本当にみなさんのおかげです。至らない点がもしあったとしたらそれはそのままぼくの至らなさです。それにしても今回は、考えることが多かったです。内容もそうだけど、特に「ノンフィクションの翻訳」ということを強く意識していました。まだ考えはまとまっていないのですが、前回と今回、ノンフィクション作品を翻訳した経験は、きちんと今後に活かせるように色々と振り返っておこうと思っています。そういうことをきちんとまとめたりすれば、このHPももっと充実してくるんだろうなあ、なんて思ったりもしています。今回の作品は、アメリカの政治記者が各国のサッカー事情を切り口に固有の文化、事情など諸問題を斬る! という感じです。五月上旬に刊行予定です。タイトルなど詳細が決まればまたこのHPで紹介させていただきますので、どうぞお楽しみに。
|
|
|
| 2005年12月27日(火) |
| いよいよ、 |
|
明日、原稿を提出する予定です。お昼過ぎぐらいを予定しています。まだ完成していないので、今から明日のお昼過ぎぐらいまでのことを思うと大変なんだけど、明日のお昼過ぎ以降のことを考えると嬉しくなってきます。
|
|
|
| 2005年12月26日(月) |
| 解釈する。 |
|
前回の『監視国家』に続いて今回もノンフィクション作品ということで、合計すると丸々1年間かけて2冊のノンフィクションを読んでいることになります。今まではあんまり意識していなかったことだけど、「解釈する」ということをキーワードにちょっと考えられるなあと思っています。これまでは作者に寄り添い、作者のイメージを共有するということを一番意識していたのですが、今回は何かいつもとは違っていて、自分でもここまでの向き合い方にちょっとした違和感を感じています。オンボロ飛行機が左右にぐらんぐらんしながら飛んでいるような感じです。本当はもっとスムーズに加速してスムーズに離陸して、上昇して水平飛行に入って、そして着陸、というのがいいんだけど……。事実に対する「原作者の意図」というようなものが、今まであまり経験したことのなかった要素として大きく存在しているのだと思います。例えば何かを主張する時に右寄りとか左寄りとかいう言い方をすることがありますが、そういう原作の持つ基本路線と現実の事実との接点が、原作と翻訳でブレないようにしないといけないというのはけっこう強く意識しておかないと、その分野によっぽど精通していない限り難しいということなのかもしれません。少しノンフィクションの翻訳ということについてきちんと考えてみようと思います。
|
|
|
| 2005年12月25日(日) |
| あと3日。 |
|
いよいよ四人目が登場してきた。頼もしい〜! こうなると判断力や発想力が飛躍的にアップする。これまで内に燻ぶっていたものが一気に開花、爆発して外に向かっているような感じだ。この調子、この調子。この四人目というイメージは、例えるならウルトラマンのカラータイマーであり、ぷちぷちに対する雑巾絞りのようなもんだ。どういうわけか最初からは使わない必殺のスペシウム光線を出す絶好のタイミング、全部潰したつもりでもいくつかは必ず残っているぷちぷちを強制的に全て潰す方法、そして今までかかってしっくりきていなかった翻訳を前にした時の切り札。そして何より、明け方に見る起きた夢にも羽毛65%のあったか布団の誘惑にも負けない強さを持っている。
|
|
|
| 2005年12月24日(土) |
| Merry Xmas ! |
|
さっ、今日も翻訳、翻訳!
|
|
|
| 2005年12月23日(金) |
| 冬の朝。 |
|
ちょうど自分でも起きようかと思っていた頃に起きた夢を見るのはたちが悪い。起きた気になってそのまま眠り呆けてしまう。そして本当に目が覚めてもまだ何が起きたのかよく分からなかったりする。でも多分、本当のところはまだ起きていないということに実は気がついているような気がする。
|
|
|
| 2005年12月22日(木) |
| 雪。 |
|
寒いはずだ。朝には雪が積もっていた。窓を開けると眩しいぐらいだった。お昼を過ぎてもまだ降り続き、六甲山も白くなっていた。日の当たらないところでは積もった雪がそのまま凍って、ぼくの軟弱なスニーカーはつるつるとよく滑った。恐る恐る白い歩道橋を降りていて、あっ!と思ってパッ!と手すりを掴んだらまじで冷たかった。肘を通って頭まできーん!となった。ペンギンはたぶん膝がないと思う。氷の上を歩く時は膝など曲げず、踏み出した左右の足に交互に体重を真上からかけないと、転ぶのは目に見えている。ペンギンはよちよちと歩いて可愛いなあ、なんて言ってはみても、たぶんペンギンにすれば転ばないで歩くために必死なんじゃないかと思う。それが結果として可愛いのはラッキーだと思っているんじゃないでしょうか?
それにしても、ここまで積もるのは珍しい。やっぱり今年の寒さはハンパじゃない。深夜に降る雪はしんしんと幻想的だけど、積もれば重くなるし、雪かきをしないといけない地方の人は大変だと思う。危ないし。そういうところでは生活の中から編み出した知恵を駆使した方法などが発達していて、ちょっとやそっとじゃ転ばない靴とかもありそうだけど、何にしてもぼくは平和な町に暮らしているなあと思う。ボケないようにしないと。
|
|
|
| 2005年12月21日(水) |
| 雨。 |
|
夕方から雨が降り出してきた。白熱した翻訳を一時中断して、別に用事もないけどコンビニぐらいまで、と思って傘をさして散歩に出かけたりしてみた。余裕のない時に限ってこんな暴挙に出てしまう。部屋を出てすぐに、この雨の冷たさは暴力だと感じた。さぶくてさぶくて、手袋ごしに手がつべたくなって、すぐに引き返してコタツにもぐり込んだ。今年の寒さはハンパじゃない。用もないのに散歩をしようなんて、自惚れるのもいい加減にしたい。きっと、芦屋の寒さどころじゃない寒さを経験している人がいっぱいいるに違いない。どうぞ風邪など引かないように気をつけて、みんなで明るい新年を迎えられるよう、元気に残り10日ぐらいの今年を過ごしてください。
|
|
|
| 2005年12月20日(火) |
| プリンタ。 |
|
プリントアウトして推敲してデータを訂正してプリントアウトして推敲を繰り返すサイクルが早くなってきたところで赤ペンや青ペンや黄色の蛍光ペンの消費が落ち着いてきて、代わりに紙とインクの消費量が増えてきた。年賀状を印刷する頃にインクが切れて去年の二の舞にならないよう、予備を早いうちに買っておかないと。今もちょっと夜中なのでプリンタの振動や騒音が隣りまで響かないかとぼくがいくら気を遣ったところでどうにもならないんだけどちょっと気を遣いながら印刷していたのだけど、以前使っていたプリンタはうるさいだけじゃなくてとてもノロかった。次の日の朝に郵便で出したくて、夜中の12時ぐらいから100ページ程度の原稿の印刷を開始して、朝の7時になっても終わらず、結局仕事に行く時間になってしまって提出を一日遅らせたことがある。今はプリンタも新しく買い換えたおかげでそんなストレスもなく、サクサクと作業が進みます。それでもPCのメモリ不足とかになって他の作業を中断しないといけなくなって、だけどそういう時間は強制的に休憩時間を取らされることになるので、無理をしてしまいがちな時期にはむしろ有り難かったりします。今もコーヒーなど入れて、ちょっとだけDVDで年末のライブの予習をしておきました。こんな仕事をしていると、プリンタは業務用のやつが欲しくなる。
|
|
|
| 2005年12月19日(月) |
| リストボックス。 |
|
HPの日記もずい分とたまってきたので、リストボックスを作って過去の日記をさくさくと表示できるようにしようと思って取り掛かったんだけど、どうやら夜中に貴重な3時間を無駄に費やしてしまった。もともとゴリ押しで作ってきたHPなので、途中でこうした変更を加えることが非常にややこしくて、それでもどうにかリストボックスを作って各月のページを表示させるところまではうまくいって、あとは過去のページに同じことを繰り返せばいいだけだったので、好きじゃないけど苦手ではない単純作業だと思って眠い目をこすりながらやっていたのに、もう後ちょっとだというところで、どうやらうまくいっていないことに気がついた。タグの書き方は多分あっているんだと思うけど、リスト数の制限をどこかで作ってしまっていたのか、途中からリンクが貼れなくなってしまった。どこで何がおかしくなったのかすぐには分からず、だけどその時点でもう集中力もやる気も何もかもをなくし、だけど少なくとも元に戻さないと今日の日記をアップできないので、さっきまで失敗を繰り返しながら作ってきたリストボックスを、また失敗を繰り返しながら消していった。そして3時間ぐらい経って、ようやくどうにか3時間ぐらい前と同じページに戻すことができた。この徒労感は何だろう? 夜中に一人で、確かに使ったはずの3時間がどこにもない。どんよりと3時間が足元に澱んでいるような感じだ。しかも、今までは決して得意ではないHPがらみで失敗してもそのまま放っておいたことはないのに、今回ばかりはもういいやと思ってしまっている。こうやって諦めてしまうと、どんどん諦めグセがついてしまうので、よくない。だけど実は日記にリストボックスを設置しようというのはずい分と前から思っていて、けっこう『ホームページ辞典』なんかを見ながら勉強をしたつもりだっただけに失った自信は大きく、とてもすぐにどうにかしようという気にはなれない。元に戻っただけでかなりホッとしている。締め切り間近になって一体何をやっているのか……。
|
|
|
| 2005年12月18日(日) |
| 局地的混雑。 |
|
芦屋から阪神電車に乗って梅田まで、どうにか座れた。最近は翻訳のことで頭がいっぱいなので、せめて移動の時ぐらいはと思って、iPodで耳に栓をして溢れる良質の音楽に身を委ねていた。梅田までそうやって心地よい20分を過ごそうと思っていたのに、西宮で客が入れ替わった時に、向かいの9人掛けシートにおばさん5人組ががやがやと押し入ってきた。席を譲るには微妙なお年頃だったんだけど、鋭い視線で座っていた人を立たせ、礼も言わず、控えめなぼくのiPodの音量越しに耳をつんざくほどの大声でげらげらとしゃべり出し、車両全体の注目を集めていた。その車両に乗っていた人はみんな、知らんぷりをしながらも鬱陶しいなあと思っていたと思う。その5人の中にもボス格がいて、態度も声も他の四人よりでかかった。甲子園でその5人と同じ側のシートに座っていた人が降りると、他にまだ立っている人がいるにも関わらず、空いた席に荷物をどん!と起き、ここまでの傍若無人ぶりを目にするのは久しぶりだなあと思うぐらいだった。そして、次の尼崎で5人組のボス以外の四人はみんな降り、他にも降りるお客さんが多くいて、向かいのシートに座っているのはボスだけとなった。9人掛けのシートにボス1人。そしてぼくが座っていた側のシートには9人。9対1で面接でもされているようなこのシチュエーションに気づいたボスは、少し居心地が悪そうだった。仲間も含めて9人で座っていた時よりもよっぽど小さくなっていた。ちょっとだけ、可哀相になった。他にも、混雑していた喫茶店で他の人たちが申し合わせたように帰っていく中で隅っこの方で隣り合わせた人と自分だけになってしまってバランスの悪い局地的混雑の当事者になってしまったり、今日のように電車の場合なら局地的混雑に一人だけ取り残されたりすると、かなりバツの悪い思いをすることがある。
|
|
|
| 2005年12月17日(土) |
| 年末。 |
|
髪を切ってもらってきました。寒いので、ちょっとびびってしまい、あんまり短くなりませんでした。それでも梳いてもらうだけでボリュームは大幅ダウン!です。この時期はカットしてくれる人も流してくれる人も受付をしてくれる人もみんな、とりあえずの話題は「お正月は実家に帰るんですか?」というものでした。「はい、帰ります」。「ええ、そうですね」。「はい、帰りますよ〜」。高校を卒業して実家を出たけれど、実家が遠くにあるというのは、けっこういいもんだなあと思うようになった。正月にニ、三日ぐらいしか帰らなくなっていた時期もあるけれど、それでも基本的にお盆と正月の年に二回は帰る先があって、そこでは普段のぎすぎすした自分をひとまず忘れてのんびりできて、今では姪っ子とかもいてあったかくて楽しくて、そんなホッと一息タイムをニ、三日でも一週間でも過ごせば、次に帰るまでの六ヶ月分ぐらいの休息は十分に取れる。生活のリズムが違うというのは、両親とぼくの普段の生活パターンが違うということではなくて、もっと何か根本的な部分で、こっちでのぼくの生活とあっちにある何かが違うんだと思う。どっちもぼくにとっては大切なものなんだけど、こっちでのぼくの生活は次の段階に向けての一時的なものであるのに対して、勝浦の生活は今もやっぱり、ぼくの奥深いところに根づいているような、土台になっているような、そんなことを思い出すともなく思い出させてくれるような、正月なのに全く寒くないところです。年末に締め切りがあると、それが終わるまではクリスマスだろうが年末だろうが全く関係ない毎日が続いているんだけど、よし終わったあ、と思ったらそのまま年が替わるタイミングなので、キリが良くていい感じです。潔いです。今年は今のところ、30日には帰りたいなあと思っています。
|
|
|
| 2005年12月16日(金) |
| iPoderのユウウツ。 |
|
iPodのイヤフォンを、後ろから回してくると意外と便利だということに気がついた。これまでのヘッドフォンの類は大体、左側のイヤフォン部分につながるコードが短くて、右側につながる比較的長いコード部分を首の後ろに回して使っていたけれど、iPodに付属しているイヤフォンはそんな仕組みになっていなくて、TVのコマーシャルを見てもみんなファッショナブルに体の前にぶらんとさせていて、なんだか今はそのちょっとルーズな感じがお洒落なんだぜと言わんばかりで、iPodersもみんな律儀にその通りに使っているけれど、あの長いコードが体の前でぶらんとしていると手が引っかかったり、ちょっとイヤフォンを外した時にずっと手に持っていないといけなかったり、何かと不便を感じていた。みんな感じつつ、でもiPodはどうやらそういうもんらしいということで前にぶら下げているんじゃないかと思う。iPodを自分も使うようになって、街でiPodersを見分けることは書店の洋書コーナーで首を傾げて目当ての本を探すよりも、よっぽど容易になった。みんな白いコードを体のまん前にぶらんと下げているからだ。iPod専用のポケットがついたTシャツや、iPodのコードを通すための穴の開いたジャケットまで発売されたりしているけれど、冗談じゃない。iPod専用のポケットのついたTシャツをiPodを持たない時に着た時に、iPod専用のポケットはどうすればいいんだ。それよりも、iPodのコードは長いんだし、二手に分かれて左右のイヤフォン部分につながっていく部分も結構長いので、本体をジーンズの前のポケットに入れていても、二手に分かれた部分から首の後ろに回して使うことは特に窮屈じゃない。ヒップバッグなどを使っているなら、コードをそのまま背面に垂らしておけるのでさらに便利だ。そしてイヤフォンを外す時は首にぶら下げておけばいい。だけど、頻繁に本体を操作するにはイマイチかもしれない。コードに自分の体が絡め取られることになると思う。それにしても、iPodは何かと工夫を迫られる。挑戦されていると思うと受けて立つしかないという負けず嫌い精神を刺激される。
|
|
|
| 2005年12月15日(木) |
| 敵を知り、己を知れば……。 |
|
PCがまた不安定になってきた。USBメモリを差し込んでも全く認識されなかったり、存在は認識されても保存してあるデータが認識されなかったり、途中まではうまくいっていたのに急に「データが見つかりません」とか警告を出してきたり、そもそもPCを立ち上げた時に再起動ばっかり繰り返したり、そしてその挙句にシャットダウンしたり、不安定さにもバリエーションが増えてきた。だいたいさっきまではデータがあることを自分も知っていたクセに途中で「データが見つかりません」だなんて、泣き虫の小学生みたいだ。せめて「データを見失いました」ぐらいの謙虚さが必要なんじゃないかと思う。失敗したことを責めているわけじゃないんだから。何にしても、失敗した後の処理さえきちんとすれば、失敗そのものがそれほど責められるということはないはずだ。失敗なんて、その時点で失敗というだけで、長い目で見れば失敗を経て成功につながるただの通過点でしかない。だから、その後の成功を夢見て、目指して、失敗を前向きに捉えてチャレンジし続けたい。別に最近何か失敗をしたわけじゃないけど。でも、失敗をしていないというのも、場合によってはよくないことだと思う。どんどん失敗できる時に失敗をしておきたいような気もする。だからぼくのPCも、これに関してはもうムリというようなアクションがあるのなら、不安定なまま頑張り続けず、さっさと失敗してくれた方がいい。その方がぼくも気持ちを切り替えるなり次の対応策を考えるなり、なにかできる。いま使っているPCはぼくにとっては二台目になるんだけど、買い換える時は一生懸命に性能とかを調べて、比較して、それなりに勉強して一番自分に合っていると判断した上で買ったはずなんだけど、そんなことはもうすっかり忘れてしまっている。だからもしかしたら、知らないうちに何か性能に見合わない無茶をしてしまっているのかもしれない。でも比較的新しいし、CPUだとかメモリだとかはけっこう優秀なはずなので、途中からインストールしたソフトの相性とか、そんな要素も絡んでくるのかなと思う。PCのことを何も知らないで文句ばっかり言っているとだんだん自分でも嫌な気分になってくるし、持っている環境の性能をフルに活用するためにも、もっとPCに詳しくなりたいな、と思っているものの、思っているばかりです。それにしても、このままだとまたいつ日記を更新できなくなるか分からない……。
|
|
|
| 2005年12月14日(水) |
| つるべ。 |
|
コタツに入って右手にある窓から寒々しい外の様子を眺めながら翻訳をしていて、ちょっと休憩と思って左側に置いてあったゴミ箱の方に向かってミカンを食べているうちに、右側では日が沈んでいた。さすがに冬ともなると釣瓶を落とすどころのスピードじゃない。そういえば本宮にいた頃は、いつもは五時に鳴っていた「もう帰りましょう」のサイレンが、冬場は四時に鳴っていた。四時になったら家に帰って、宿題なんかを適当にやってから夕飯を食べて、ベストテンを見て、ヤングマンが一位じゃなくなったといって布団の中で泣き散らして、朝になったら長ズボンをはいて行きなさいと言われながら半ズボンで登校して、小さい学校だったから学年なんか関係なしにみんなで遊んで、近所の店にお使いに行くとぼくよりも店のおばちゃんの方が母さんの言っていたものを分かっていたり、出会う人はみんな知り合いだったり、そして四時にはサイレンが鳴って、みんなで帰っていた。大人になって都会に出てきてからは、特に大阪では地下でほとんどの用事を済ませることになるので、夜になったことになかなか気づかない。昼から夕方を経て夜になっていく過程を意識する機会がなかなかない。昼とか夜とかどうでもよくなっているような気もする。たまに、滅多に外に出ない時間帯に外に出て空が目に入ったりすると、ちょっと感傷的になったりする。大阪でも子供たちは違うんだろうなあ。夏の日も冬の日も学校や塾の帰りに友達とはしゃぎながら石ころを蹴飛ばして……、だけど今はそんな長閑な風景はもしかしたら見られないのかもしれない。そんな事情は都会も田舎ももう変わらなくなっている。都会は危ないと考えるのは田舎もんだ(だいたい都会の人は都会なんていう言い方をしないような気がする)。アスファルトの街も土の町も、同じように同じような危険が潜んでいるんだ。哀しいニュースや哀しい嘘ばっかりだ。嫌な世の中になったもんだよ。色んな分野で原点回帰みたいな流れになってこないもんかね。もういい加減たいていのことは十分便利だと思うし。だけど便利さを放棄することも生活レベルを落とすことも難しいと思うし、釣瓶落としなんていわれても釣瓶なんか見たことがない。水は蛇口をきゅっとひねって出すもんだ。しかもその水は飲めないんだ。頭が痛くて頭痛薬を水道水で飲んでお腹を壊したことがある。日常がもうなんだか可笑しくなってくる。今はもう水もお茶も色んな種類のがあって、洒落た名前が付けられてコンビニにずらっと並んで売られている。生活や幸せの形が多様化するのはいいことだと思うけど、それに伴って歪んでしまったものとかはどうすればいいんだろう? 必死で踏ん張っている人をあざ笑うように、変化の勢いが止まらない。そしてもちろん、その恩恵にぼくもあやかっているんだけど。
|
|
|
|
| 2005年12月13日(火) |
| そろそろ今年の反省と来年の目標でも……。 |
|
全く寒い。指先が冷たくなって机のライトのタッチセンサーが反応しないぐらい寒い。部屋も窓だか天井だかが朝からギシギシしている。これだけ寒くなって、しかもこれだけ運動をしていない日が続くと、何年か前に手術した右肩が思うように動かなくなる。ギスギスしている。それにしても今年は全くと言っていいほど運動をしなかった。ちょっとテニスを始めてはみたものの、続かなかった。ぼくはやり始めたらアホみたいにやるくせに、一旦やらなくなると全くやらなくなる。今年ほど体を動かさなかったのはちょっと珍しい。先週末にはホノルルマラソンが行われたはずだ。十二月に入るといつも思い出し、また怠けてしまったなあ、とちょっと自己嫌悪に陥る。
だけど今年運動をしなかったのは、ある程度予定通りなんです、実は。今年は何を犠牲にしても翻訳の年にすると決めていて、「三冊!」という具体的な目標も昨年末に掲げていました。年内に三冊の出版には至らなかったけれど、『監視国家』始め、三冊分の契約には至ったので、まあ、良しとできる範囲です。来年はさらに活躍の場を広げ、そして今年は犠牲にしてしまった他のいろんなことも頑張ろうと思っています。まずは、月間100キロを来年の一つ目の目標として挙げておきます(もちろん、すぐに100キロに戻すのは無理なので、3月か4月ぐらいからは100キロ走れるようにする、ということにします)。翻訳に関しては年末までにここで発表します。
|
|
|
| 2005年12月12日(月) |
| 整理整頓。 |
|
年末が意外と長く感じられたらいいなと思って先月の初めに「もう年末が近づいてきた」と日記に書き、年賀状も買って、若干早めに気分を年末モードに盛り上げていこうと企んでいたんだけど、あれからあっという間に1ヵ月以上が経っていた。そして年賀状の準備など年末らしいことを何もしないままに、本当に年末が近づいてきた。去年は30日に慌てて年賀状を書いていてプリンタのインクがなくなって、実家に帰るのが一日遅れて大晦日になってしまった。東京にいた頃も大晦日の夜行バスで帰ったりしていて、どこかのサービスエリアの駐車場でホットドッグなどをかじりながら初日の出を見たことも何回かある。そんな年末は、寂しいもんだ。と思って、ちょっとずつしか取れない自由時間の有効活用第一弾として、以前PCが壊れてそのままだった住所録の整理などしてみた。時間の有効活用は本当に難しい。ぼくはハウツー本というだけでもう顔をしかめたくなるぐらいだけど、「ハウツー時間の有効活用」みたいな本を見かけるとちょっと気になったりしてしまう。だけどやっぱり、性格も人それぞれなら普段の過ごし方も違うわけだし、色んなことを考えながら日常生活を送る上で効率レベルをどこに設定するかという問題もあると思うので、やっぱり時間はハウツー本なんかに頼って効率よく使うものじゃないと思う。もちろん色んな人の意見を聞いて参考にするのはいいことだと思うけど、それより日々の暮らしの中で見つけた方法が一番自分に合っているはずだ。そんなわけで、今日もぼくは住所録の整理だけはなんとか終えて、それ以外は翻訳した。何かが気になっていたら他のことは手につかなくなるのはもうぼくとしてはどうしようもないので、時間の効率を問う前にまずは気持ちの整理をということで、そのために一番手っ取り早いのは気になっていることをさっさと済ますことだ。よし、今日も順調、順調。
|
|
|
| 2005年12月11日(日) |
| Warm & Tender. |
|
街にジョン・レノンが溢れる季節になってきた。家族でショッピングを楽しんだり、恋人と手をつないで歩いたり、友達と車を走らせてスキーに行ったり、今は一年の中でも楽しいシーズンのはずだ。一年ぶりに古い友達のことを思いながら便りを出したり、今年一年の奮闘を称えて酒など呑み交わし、ちょっとぐらいの羽目を外したりしながらも無事に今年を終え、楽しく年を越そうという雰囲気がだんだん盛り上がってきている季節のはずだ。それなのに、卑劣な事件が多発している。世の中がだんだん悪くなっていっている。誰かのことを自分の力で幸せにしたいなんて自惚れちゃいけないけれど、周りの人の幸せや生活を奪う権利は誰にもないはずだ。原因は少子化か? 核家族化か? コンピュータ・ゲームか? 不況か? リストラか? いじめか? ノルマか? 嫉妬か? 気の迷いか?
しんどいのか? 自分も犠牲者か? 何だ? 何なんだ? 大切なものを失ってまで物質的な豊かさを手に入れて、それが一体何だというんだろう? ぼくはどうしたらいいんだ?
ぼくに何ができるんだ? 国連開発計画の調査で生活レベルが世界で最下位とされた西アフリカのニジェールには、ストレスという言葉がないらしい。世の中は良くなっているのだと思いたいと思っていたけれど、見過ごしてはいけない部分がその辺にごろごろ落ちている。だけどみんなでちょっとずつでも身勝手な部分を直していけば、もしかしたら何かが変わり始めるかもしれない。「元に戻す」とか「もう一回やり直し」、なんていうのはコンピュータじゃあるまいし通用しないんだから、ちょっとずつでも失ったものを取り戻していかないといけない。ナイフなんか持たなくても、ぼくたちは強くなれるはずだ。隣りの人を信用できないなんて、とても哀しいことだと思う。そんなナイーブなことを言っていられないような気さえしてくるけれど、たとえ自分とは相容れなくても、同じように毎日を生きている周りの人たちとの垣根を少しでも低くするようなイメージを、強く意識していたいと思う。
去年ぐらいからこの季節になると青い光が流行っているけれど、どこかやっぱり寒々しい。街の風景に変化を与えるには洒落ているのかもしれないけれど、リビングに笑顔と笑い声さえ絶えなければ、十分に温かいクリスマスを迎えられると思う。みんなが穏やかな心で楽しいクリスマスを迎えられることを、心から願っています。
|
|
|
| 2005年12月10日(土) |
| 予定通り。 |
|
去年の今頃は、近所の塾で中学生や高校生に英語を教えていた。Be動詞のとても分かりやすい説明や、京大の入試問題のとても分かりやすい解説などを、けっこう時間をかけて準備をして、授業が終わっても理解できていなければ延長して教えて、そんな時間がとれていた。そう思うと、今こうして丸々一日を使って翻訳していられることを改めて幸せに思う。翻訳家になるんだと張り切って会社を辞め、東京に行ったり、こっちに戻ってきたり、企画が無視されたり、肩書きがないことを鼻であしらわれたり、翻訳とは関係のない仕事をしてみたり、気がつくと何年も経っていたり、色々と紆余曲折みたいなことはあったけど、続けてきてよかったと思う。続けていくことを疑問に思ったことは一度もないけど、不安は常にぼくの隣りにあった。今もある。だけど、それはきっと誰も同じことだと思うし、不安を蹴飛ばしながら先に見えた何か楽しそうなものを目指して、充実した毎日を過ごしていければと思う。紆余曲折なんていう言い方をしたけれど、東京に行くことで学んだこともあるし出会えた人もいるし、こっちに戻ってくると決めていたことで達成できたこともあるし、企画を無視され続けることで根性もついたと思うし、肩書きなんか誰にどう思われようが別に要らないと思う気持ちは今もやっぱり変わらないし、翻訳と関係のない仕事も楽しかったし、塾で教えていた子たちは今も手紙をくれたりするし、ぼくの生活にまつわることならそれが何であってもぼくの翻訳に活用することができる。なんだかんだと言いながら、ぼくはかなり楽しんでいます。でもそれは、心から楽しみながら充実した毎日を過ごしたいというのが翻訳家になろうと決心した理由の一つなので、いわば予定通りだ。目標と照らし合わせてみた時に達成したと思えることはほんのわずかでしかないけれど、それでもわずかでも達成できてきていることに感謝などしつつ、あとは少しずつでも満足か納得のできるレベルに自分をぐいぐいと引き上げ、一つずつ目標をクリアしていくことだ。今のところはだから、まずまず予定通りということにしておこう。
|
|
|
| 2005年12月9日(金) |
| Sing that iTune! |
|
ものすごいものを発見してしまった。"Sing that iTune"というフリーソフトで、仕組みはよく分からないけれど、iTunesで再生している曲の歌詞を自動で取得してきてデスクトップに表示してくれるというものだ。そして取得してきた歌詞データはマイドキュメント・フォルダに整然と保存されている。何かとくだらないところで面倒くさがるぼくは、立派なCDプレーヤーがありながらいちいちCDを入れ替えるのが面倒だといってぼくのPCでは薄っぺらい音でしか再生してくれないiTunesを重宝し、それでも歌詞カードを見たい時は結局CDケースを出してこないといけないからなあ、なんてものぐさなことを言っていたんだけど、"Sing that iTune"があれば、何の不満もない。このソフトは何回かバージョンアップを重ねているようだけど、けっこう前からあるらしい。すごいなあ。すごいものを開発する人がいるもんだ。毎日暮らしていてこんなものがあったら便利だなあと思うことはあっても、自分はそれを形にする技術を持たないと思い込んでいて、初めから諦めてしまうこともあるけれど、同じようなことを考えている人が他にいて、その人はもしかしたらそれを形にする技術を持っているかもしれないということだ。それにしてもすごいよ。制作者はToru Yanoさんという方らしい。ぼくはもしかしたらいつも一人で家にいるから存在をしらなかっただけで、これはやっぱり便利だということでみんな知っているものなのかな。そうだとしたらこんな日記を今さら書いていることがちょっと恥ずかしかったりもするけれど、もしも知らない人がいた時のことを考えて、もっと専門的に分かりやすいサイトはココですよ(右上の方にある「ダウンロード」ボタンはすぐにダウンロードするのではなく、制作者のブログにリンクが貼られているだけなので、安心して押してみてください。さらに詳しい説明があります)。
……どうやら曲やアーティストによっては、"Not Found..."と表示されることも多いようです。
|
|
|
| 2005年12月8日(木) |
| 三週間。 |
|
三週間ぐらい前に修理に出していたDVDプレーヤーが、三週間ぐらいぶりに帰ってきた。修理ができなかったようで、新品と取り替えてくれたらしい。新品になったとはいえ、一年未満で修理ができないような故障をするなんて、喜んでいいのかどうか……。三週間もの長きにわたってDVDプレーヤーなしの生活を無事に送ることができたのは、締め切りのおかげだ。DVDどころか最近はTVもほとんどつけていない。普段もあまりTVをつける方じゃないけれど、それでもお風呂上りがちょうどニュース23をやっている時間帯ということもあって、ちょっとつけるぐらいはしていた。この三週間はそれすらなかった。起きて15分ぐらいで翻訳に取り掛かり、ご飯を食べ終えてすぐに翻訳を再開し、風呂から上がって髪を乾かしたらすぐに原稿を広げ、寝る直前まで翻訳をしている。翻訳をして一日を過ごしているのか、翻訳をしているうちに一日が過ぎていくだけなのか、こんな生活をしていれば三週間ぐらいあっという間に過ぎていくのも当然だ。そういう感覚が常に先行してしまって、細切れの時間は使う前から使えないと思ってしまうところがあったんだけど、この三週間、特に今月に入ってからは、やればやるだけ翻訳は進むという当たり前のことをけっこう実感しています。積み重ねた三週間の大きさに感謝です。先月末あたりは、どうなることだろうとちょっとだけ、本当にちょっとだけ、不安に思ったりしたこともあったんだけど(いや、それはなかったかな……?)、さすが三週間、かなりのことができるもんだ。時間にして504時間、分にすれば30,240分もあるんだから、少しぐらい細切れにしてもけっこうな時間になるということが分かる。五千円札を一枚もらうよりも千円札三枚で三千円もらう方が嬉しい子供みたいだけど、どういう理屈を使ってでも時間を隅々まで有効に使いたい。締め切りまであと三週間。三週間でどれだけのことができるかということはこの三週間で分かったので、これからの三週間もこの調子でいくフリをして、最終週にラストスパートをしてやろう。三週間もびっくりするだろうな。フフフ。三週間、三週間。三週間。
|
|
|
| 2005年12月7日(水) |
| 細切れの時間。 |
|
簡単な児童書なんだけど、それでも300ページ近くあるごっつい洋書を、翻訳の合間に少しずつ一週間で読み終えた。やるねえ。細切れの時間の使い方に苦戦していたけれど、結局それも心がけ次第だということを自分で証明してしまったようなもんだ。楽しい本ならちょっとの時間でも読んでいたいけど、嫌でも読まないといけない本の場合は、もうちょっと余裕ができてからとか、もうちょっとまとまった時間が取れるようになってからとか、なんだかんだと読み始めない理由を5つ、6つは余裕で思いつく。だけど、これでそんな理由は理由になっていないということが分かった。分かったからには、胸に刻み込んでおこう。そうでないとすぐに忘れてしまう。そして、机の脇に置いたままになっている読まないといけない本を、翻訳の合間の細切れの時間を利用して読み始めよう。でも、今はいくらなんでも締め切り直前すぎるから、年が明けてからにしよう。
|
|
|
| 2005年12月6日(火) |
| コ・タ・ツ……。 |
|
翻訳が区切りのいいところまで進んだので、気分転換にと思って昨日からコタツでやっています。北向きの部屋の冬の朝は尋常じゃないぐらいに寒く、起きる予定だった時間よりも30分から1時間遅れでようやく勇気を振り絞ってベッドから起き出し、コタツのスイッチをさっと入れて、ぴゃっぴゃっと顔を洗って歯を磨いて、適当に着替えているうちにコタツはあったかくなっていて、そうなるともうこっちのもんです。寒い中を通勤している方たちには大変申し訳ないけれど、寒い日も暑い日も、ぼくには通勤がありません。起きて15分もすればもう翻訳しています。そして昨日発見したことだけど、コタツでの翻訳は意外と捗ります。同じ部屋でも机に向かうかコタツに座るか、立派な椅子に座るか楽チンな座椅子に座るか、あっちを向くかこっちを向くか、ぐらいの違いなんだけど、コタツから見る(部屋の中の)景色の新鮮さがいいのか、何がきっかけでどう展開していくかはやってみないと分からないんだなあと思いました。BGMに選んだCDと今の気分が合っていたのかもしれないし、ちょうど四人目のぼくが登場する時期と重なっていたからかもしれません。とにかく月末の締め切りに向けて、たぶん最後から二度目のスパートです。ラストスパートはもうちょっと後、たぶん最後の週ぐらいまでとっておきます。その時が、楽しみです。フフフ。
|
|
|
| 2005年12月5日(月) |
| No Moss! |
|
ストーンズの"RARITIES 1971-2003"というアルバムが、カッコいい。タイトルの通り、これまで世に出ることのなかった音源が集められたというのが売りのようだけど、ぼくはコレクターじゃないので、そこには特別な魅力を感じない。ニューアルバムとは言えないけれど、知っている曲でもライブバージョンや別テイクが収められていて、イントロを耳にしただけで鳥肌が立ったりする。もう30年ぐらい在籍しているロニーが加入する前の曲があったり、最近のライブでは聴いたことのない曲のライブ・バージョンがあったり、極限まで音を削ぎ落としてソリッドな楽曲に生まれ変わっていたり、一曲ごとに楽しめる。転がり続ける石たちの30年分の中から12曲、80分分を切り取って集めただけの一枚のコンピレーションに、彼らの図太い転がり続け様が詰まっている。そしてストーンズがすごいのは、こういった編集版はメインの活動の合間に出されているだけで、今でも新しいアルバムを制作したり現役でツアーに出たり、好きな歌を好きなように歌い続けているということだと思う。日本では上場企業の若手社員の75%が仕事に無気力を感じているという調査結果が出たらしいが、いい年をしていつまで自分の生活を他人のせいにしているのかと呆れてしまう。ストーンズは自分たちが一番輝ける形を知り尽くしているように思う。どこかに所属しているとかいないとか、それは二義的な問題のはずだ。何を手段としていても自分が好きなことを好きなように信じ続けることが、苔など寄せ付けない一番の方法だと思う。そうありたい。
|
|
|
| 2005年12月4日(日) |
| より強く、より深く、もっとしなやかに。 |
|
今日は久しぶりに梅田に出たので、ヨドバシカメラの家電コーナーに行って、マッサージチェアを存分に堪能してきた。本当に買えそうなお手軽なものはこれまでにも何度かちょっと試したことがあったんだけど、今日は思い切って、歯医者さんに行った時に座る時のような、あるいは映画の『マトリックス』でネオたちがマトリックスの世界に入っていく時の装置みたいな、ちょっとごっついやつに、上着を脱いで、荷物を足元に置いて、靴まで脱いで本気で座ってやった。肩、背中、腰はもちろん、ふくらはぎや足の裏まで揉みほぐしてくれて、しかもセンサー内臓でリモコンを兼ねたモニターには「凝り、感知しました」などと表示され、かなりの優れもんだった。それで満足して帰るつもりだったんだけど、一応さらに上級のマシンもチェックしておこうと見るだけ見ていたら店員さんに声をかけられ、試してみることにした。それはもう、見た目からして『トップガン』に出てくる戦闘機のコックピット並みで、ウィ〜ン、てな感じでリクライニングして、足も持ち上げられ、揺りかごがそのまま大きく大げさになったような、その中で赤ん坊が大きくなって肩が凝ったので揉んでもらっているような、なんだかそんな雰囲気の中、15分コースをやってもらった。さっきのマトリックスがおもちゃに感じられるほど、このトップガンは性能が凄まじかった。ハイテクが満載されていた。マトリックスが搭載していたセンサーはどうやら雑なものだったらしく、トップガンは座った人の体格だけでなく指圧のポイントや凝っている部位まで的確に感知するという、まさにプロの技が凝縮されていた。店員さんに色々質問しながらだったので、あんまりその心地よさに身を委ねているわけにはいかなかったんだけど、それでも帰りはずい分と全身が楽になっていた。本気を出したら15分以内には眠ってしまっていたはずだ。この狭い部屋にトップガンのコックピットを持ち込むことは不可能だけど、芦屋から30分のところにそれがあるということは、覚えておこうと思った。
|
|
|
| 2005年12月3日(土) |
| セレッソ大阪。 |
|
今日はJリーグの最終戦、長年応援しているセレッソ大阪が優勝を決めるかもしれない大一番ということで、入念な防寒対策をして長居スタジアムに行ってきました。スタジアムにはキックオフの一時間ぐらい前に着いたのですが、すでにピンク色のサポーターたちの熱気で盛り上がっていました。入場者数は4万3千人を越えていたようです。5位のチームまでが優勝の可能性を残す中で、セレッソだけが勝てば優勝というプレッシャーもあっただろうし、緊張感も尋常じゃなかったと思うけれど、中心選手はベテランの森島選手や西澤選手、それに今期新しく加入した三人の経験豊富なブラジル人選手で、ガチガチになることもなく勝って目の前で優勝してくれるはずと期待は行きの御堂筋線の中からすでに高まっていました。
試合は前半3分に西澤選手のヘディングで先制し、そのまま優勢に進めていたのでこのまま気分よくハーフタイムに入りたいなあと思っていたのですが、終盤に同点にされ、イマイチ勢いに乗り切れない感じで前半は終了しました。それでも他チームの結果に関係なく優勝するためにも後ろ向きなことを考えている場合などではなく、後半に入るとまた3分ぐらいで再び西澤選手が得点し、さっそく突き放しにかかりました。前半はまだ90分間の戦い方とか色々戦術もあったと思うけど、後半に入るとあと45分で決着するということで前半以上に気合が入っていたように感じられました。そして惜しいチャンスを逃したり、PKを外したり、相手GKの好セーブにあったりして追加点を奪えず、だけどGKの吉田選手を中心にディフェンス陣が奮闘し、後半は一点も与えずに残り時間は少なくなっていき、スタジアムのボルテージも最高潮に達そうかという終了間際に失点し、結局2−2で試合は終了しました。他会場では、優勝を争っていたガンバ大阪も浦和レッズも鹿島アントラーズもジェフ千葉も勝ち、ガンバ大阪が優勝、セレッソは5位という結果に終わりました。
本当にあと数分で優勝というところだったのでとても残念でしたが、それでも選手やチーム関係者の無念さは、今日一試合ぐらいを応援に行ったぼくなんかの想像を遥かに越えるものがあったと思います。終了の笛を聞いてピッチの上に崩れ落ち、うなだれながらもキャプテンの森島選手を先頭にスタジアムを一周してサポーターに挨拶し、来シーズンの巻き返しを約束してくれました。期待したいと思います。
いま翻訳中のサッカーの本は、色々欧州サッカーの政治にまみれた部分や審判との癒着など、純粋にスポーツとして楽しみきれない部分があるということを暴いたものなんだけど、今日の試合を観ていて、世界的にサッカー界に蔓延する裏の事情など関係なく、フェアプレーや諦めない姿勢はやっぱり清々しかったし、ゴールして喜びを爆発させる選手たちや、失点してボールを抱えてセンターサークルに走る選手の姿などにはとても感動しました。サッカーには少なからずスポーツの枠を超えた、時には嫌な部分が絡み合っている面もあるのかもしれないけれど、政治的な側面なんてサッカーに限らず個人でも誰もが少なからず持っているわけだし、それにサッカーにはそれだけじゃなく、ぼくたちが日頃感じる喜びや怒りや哀しみといった感情が解き放たれるシーンも集約されていて、波乱に満ちていて、劇的で、とても面白いスポーツだと思った。もちろん、サッカーに限った話じゃないけど。
|
|
|
| 2005年12月2日(金) |
| ピント。 |
|
今回の翻訳はなかなか難しいです。まだ原作の世界を理解したとは言い切れません。だいぶ形にはなってきているのですが、形になっているだけで、もう少しピントがぼけている感じです。今日も、今さらという感じではあるのですが図書館で参考図書を四冊借りてきました。何日か前の日記に、「ノンフィクションの翻訳は原作者と一緒に積み重ねていく感じがする」と書いたけれど、今は一通り積み重ね終えて、いびつな箇所を直している段階です。いびつに見えるのは、周辺の箇所と調和していないからで、周辺の箇所と調和していないのは理解しきれていない部分が残っているということです。原作を読んで全体のイメージをビビッドにさせた上で翻訳に取り掛かっているつもりでも、やっぱりどうしても細かい部分で曖昧なところが出てきて、それを修正というか修復していく作業が推敲ということになるんだけど、今回は少してこずっています。推敲はすればするほど頭の中のイメージに近づいていって、それはそれは楽しい作業なのですが、今回に限っては、頭の中のイメージもまだ少しぼやけています。でも、いびつながらも全体を見渡せるようになっているので、俯瞰できるという点が、これまで積み重ねていた段階とは大きく異なります。締め切りまであと1ヵ月を切っているので、頑張ります。5月ぐらいに発売予定のはずですので、どうぞお楽しみに。もちろんその時には完璧に仕上がっています!
|
|
|
| 2005年12月1日(木) |
| もうすぐ拓く。 |
|
今日は、こんなに切羽詰った状況であえて遅くまで寝てやった。そして、パンとレモンティーで軽く朝食を取って、走ってきた。しかものんびりと。昨日の日記には寝ると疲れがすっかり取れると書いたけど、本当は目の奥の疲れが全然とれない。日記に書けばその通りになるかなあ、なんて期待してついたかわいい嘘でした。そして今日は、あえて余裕のあるところを見せつけるるためにのんびりしてやった。ありもしない余裕をあるように見せかけ、しかも見せかけるだけでなく見せつける、それも自分に。でも効果はそれだけじゃなく、芦屋の海を見ながらストレッチもして久しぶりに体を動かすことにもなったし、遠くを見ることで目にも良かったと思う。今日は走ることが目的というよりはのんびりするために外に出ただけだけど、それにしても体力なんてあっという間に落ちていくもんだなあと思った。フルマラソンを走っていたなんて信じられない。以前は10キロや20キロを走る時間ぐらいいつでも取れたし、月に100キロを走る体力もあったけど、それはやっぱりヒマだったからだし、だから今その時間がとれないというのは、見方を変えれば有り難いことでもあるので、いいように考えよう。大体そんなことは問題じゃない。心の持ち方次第だ。以前の自分の一面だけを切り取って、そこだけ今と比較してもしょうがない。体力は落ちたかも知れないけれど、他に何か身についたものもきっとあるはずだ、たぶん。何にも負けない心を持ってれば、道が拓かれるまで頑張れるだろうし、道を拓く力もつけられるだろう。そしてぼくはもうすぐ拓くだろう。そしてちょっとずつ以前の体力を取り戻しにかかろう。
|
|