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| 2005年1月31日(月) |
| 好きになりたいもの。 |
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昨日の日記の続きですが、好きなもの、じゃなくて「好きになりたいもの」が結構あります。ぼくの悪いクセで、イメージ先行なんだと思います。
たとえば真田広之。アクションができて、スタイルも良くてカッコいい(はずの)俳優さんなのに、何となく情けない役が多いように感じます。たとえば山田洋次監督で大ヒットした『たそがれ清兵衛』では、役どころはまさにぼくが望む真田広之だったのに、剃っているのか禿げ散らかしているだけなのかよく分からない髪型が悲しかった。りえちゃん、そこもちゃんと剃ったってよ、と思いました。それでも真田広之は好きになりたいんです。
あと食べ物で言うと、じゃこやレバーなど、栄養があると言われると好きになりたいんだけど、じゃこもレバーも苦手です。他には、カヌーが好きなので本当ならテントとかを積みこんで長期の旅にでもふらっと出かけて、魚を釣ってそのまま焼いてむしゃぶりついたりもしたいんだけど、これも好きになりたい、あるいはイメージに憧れているだけで、虫の苦手なぼくには今のところできそうにありません。それに釣りも特に好きじゃないし。というか魚が別に好きじゃない。そういえば釣りも好きになりたいものの一つです。そう思って友達に何度か連れて行ってもらったことがあるけれど、むしろ釣れないでくれと願っていました。蚊も勝浦とかで大きいのが出てきたら、けっこう覚悟を決めないと叩けません。一応叩こうとするフリはしながら、微妙にあえて叩けないところを狙ったりしています。
好きになりたいもの、というのは好きになりきれない理由があるので、それを克服しない以上、いくら好きになりたくてもなれません(真田広之の場合はぼくにはどうしようもないけれど)。別に今日の日記には何の含みもなく、ただ、ちょっとした自己紹介です。しかもこんなことを知ってもらったところでぼくには何のプラスにもならない……。
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| 2005年1月30日(日) |
| 『路上』。 |
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J.ケルアックの『路上』を読み始めた。もう何度目のチャレンジになるか分からないぐらい、読み始めては挫折している。自分のテンションを登場人物や小説自体のテンションに合わせ続けていられなくなって挫折しているような感じがする。でも、だからといって文庫本で400ページを越えるボリュームを一気に読み切るのは大変だ。今のところテンションを維持し続けることにどうにか成功しているので今回は期待できそうだ、といってもまだ16ページなので何の当てにもならない……。テンションという基準ではなくても、本を読んでいてその世界を楽しむにはどこかで我慢をしないといけない部分というのは、どの本でも多かれ少なかれあると思う。それが導入の部分だったらなかなかそれから先には進めずにさっさと諦めることもあるだろうけれど、途中であればそこで放り投げてしまうとそれまで読んできたことが切なくなるから、その時に無理やり読み進めるのか、それとも思い切ってひとまず休憩するのか、自分の体調とも相談しないといけなかったりして、なかなか判断が難しい。しかも『路上』でぼくが挫折しているのはいつもだいたい200ページ前後のような気がする。なんとも中途半端で、諦めきれない。それにぼくはどうしてもケルアックを好きになりたいので、今回はとりあえず読み切ることを目指したい。それから、二度目、三度目と読むこともおそらく必要になってくると思う。その時にはまた今回とは違う読み方が求められるだろうけど、それはその時に考えよう。今のところ『路上』は、好きな小説というよりは好きになりたい小説だ。
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| 2005年1月29日(土) |
| 昼と夜、現実と夢。 |
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こんな詩があります。
昼には青空が嘘をつく
夜がほんとうのことを呟く間私たちは眠っている
朝になるとみんな夢をみたという
谷川俊太郎です。ここ何ヶ月かおかしな夢を見ることがあって、だからといって別に自分の見た夢で何かを判断しようというつもりはないのですが、夢に関しては少し敏感になっているかもしれません。この詩も、昨日電車の中でふと思い出しました。
確かに夜に散歩なんかをしていると、月のせいではないだろうけど、日常の時間とはいえない雰囲気があります。誰もいないのにどこかで何かが囁いているような、誰もいないからどこにも何も存在しなくなってしまったような。昼間に興奮していた頭の中も妙に落ち着いて、冷静にさっきまでの自分を振り返ったりするのも夜です。そういう時間帯に眠ってしまうのはもしかしたら、「ほんとうのこと」を見逃すことにつながっているのかもしれません。夜の感覚で、普段と比べると不自然なくらいに冷静な頭でもっと色んなことを考えると、もっと何かが見えてくるのかもしれません。同じような感覚で、ぼくは何年か前にホノルルに行きました。少なくとも自分の日常の中ではあり得ない経験をしたくて、42.195kmを走ろうと思い立ったのです。ちょうど色んな悩みを抱えていた頃のことです。日常ではあり得ない環境の中で、つまりハンパじゃなくヘトヘトになりながらそれでもゴールまでは走り続けるしかない状況で、どういうことが見えてくるか、余分な力が抜けて何か「ほんとうのこと」が自分にも見つかるんじゃないか、と期待していました。そしてホノルルはある程度その期待に応えてくれました。だからぼくは今でもホノルルへの想いを捨てきれずにいます。
ぼくは昼でも夜でも現実と夢の区別がついていないのかもしれないと思うことがあります。でも現実と夢の違いは、夢はまだ実現していない、というだけでしかないはずです。夢を現実にするために、ぼくは日々を生きています。人間の一生は、もしかしたら夢みたいなものなのかもしれない。
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| 2005年1月28日(金) |
| 見知らぬ親切な方へ。 |
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高校生の頃、ネーナというドイツのロックバンドが好きで、大学に入ったら第二外国語としてドイツ語を選択するつもりだったのに、二つ上の兄が同じ大学でフランス語をとっていて、ぼくが入学する年にはフランス語の辞書が要らなくなるから譲ってくれると言い出し、それなら辞書を買う必要がなくなるというたったそれだけの理由でフランス語を選択することにした。ところが、兄は色々と訳があって三回生になってもフランス語の辞書を手放すわけにはいかなくなり、結局ぼくはフランス語を選択したものの、辞書は自分で買うことになった。
ぼくにとってそういういわくつき(?)のドイツ語とフランス語なんだけど、今やっている翻訳の中でドイツ語の単語を調べる必要があって、インターネットではどうにも分からなかったので大阪に出た。阪急の下の紀伊国屋に行って、ドイツ語の辞書をなるべく大きなやつから調べていくと、項目は見つかったんだけどドイツ語には英語にない発音記号があるらしく、意味は分かっても読み方が分からなくて途方に暮れた。凡例を書いたページまで丁寧に読んでも、なんせ自分で発音できるドイツ語の単語が一つもないので埒が明かなかった。そこで、隣りでドイツ語検定2級の参考書を見ていた女の人に訊くことにした。インターネットでも調べのつかなかった長ったらしい単語なので彼女も苦戦していたのだけど、面倒くさがらず、イヤな顔一つせず、音節で区切りながら発音記号を参考に、自らしっくり来る発音ができるようになってから丁寧に教えてくれた。ありがとうございました。ぼくの翻訳はあなたのおかげでどうにか次のステップに進むことができます。ドイツ語検定頑張ってください。
ちなみに調べていた単語というのは "scheissfreundlichkeit" で、
/シャイスフロイントリッヒカイト/ と発音して、「必要以上に親切なこと」という意味でした。
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| 2005年1月27日(木) |
| 日記。 |
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なんだかんだ言いながら、去年の8月2日に日記を始めてから毎日書いている。内容はともかくとして、書き続けることに意味を求めてきた。どんな平凡な一日でも24時間というある程度まとまった時間を生きるわけだから何かと題材は見つかるはずだし、それぐらいは見つけられるだけの視点と感覚を持ちたいと思っている。そして題材を見つけたら、それに合ったスタイルとかも考えながら書く、ということを続ける場所としてこのコーナーを位置づけている。それが自分の表現力とか多様性につながればいいなぁと思いながら。翻訳も同じで、短いものでも自分でやってみないと実力はついてこないと思う。何でも自分でやることが大事だ。だから、ここで(かろうじて)文章と呼べるものを書く機会を一日に一度持てているというのは、ぼくにとってとても意味深い。だからここでぼくのスタイルと呼べるものを確立してしまうんじゃなくて、なんとなく自分の書きやすい文体が出来つつあることを感じれば、今度はそれを一回壊すぐらいのつもりで新しい文体に挑戦してみたり、といったことも本当はしたいと思っている。でも、誰かに読んでもらう文章であることにはもちろん変わりないので、内容や文体など全部を含めた完結性も当然求めていきたい。でも内容に関して言えばそれは日記を書く上でのことじゃなく、日々をどう生きているかということになってくると思うので、日記に関すること、ではない。それはぼくの不安定さを露呈してしまう結果につながることもあるだろうし、自分としても決して楽しい作業ではないのだけれど、とりあえず今のところぼくは、以上のような気持ちで日記を書いている。
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| 2005年1月26日(水) |
| さ、集中集中。 |
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今日、歩いて西宮にあるホームセンター・コーナンに行った。
本棚をもう一個買おうかと思っていて、部屋のスペースを有効に使うために今の本棚の上に積むことを考えているのだけれど、それだと万が一地震が来た時に倒れるだろうから、天井との間に設置するつっかえ棒を探していた。本棚のコーナーとか日曜大工のコーナーとかをウロウロしていたのだけど見つけられなかったので、店員さんに訊いてみると、まるで要領を得ない答えが返ってきた。だけどサービスカウンターというところに行けばいいか、もしくはその辺りに置いてあるのかどっちかだぐらいのことは分かったので、とにかくサービスカウンターに行ってそこの人に訊くと、無愛想にも程があるといった感じで無言のまま近くのコーナーを指差された。昔のぼくならそこで腹を立ててその店では買わずに出てくるところだったけど、さすがに今ではそんな大人げないことをするはずもなく、自分のやるべきこと=つっかえ棒を探すことに専念した。そして30センチから40センチ用と、40センチから50センチ用があるということを確認して、あとは部屋に帰ってから何センチの隙間が天井との間にできるかを確認することにした。
そしてそれからは自転車コーナーに向かった。自転車があった方が何かと便利だと思っていたところだったし、買えば自転車で帰れるし、ちょうどいいと思った。でもこれにしようかと思った自転車には後ろに荷台が着いていなくて、だけど別売りのを買えばいいかと思って、近くにいた店員さんに「自転車のことなんですけど、ちょっといいですか?」というと「あ、サービスカウンターに……」と言われ、またサービスカウンターに行くハメになった。そして「自転車の荷台はここで着けてもらえるんですか?」と訊くと、さっきとは別の店員さんに「いえ、うちではそういうサービスは一切やってませんので」と、「一切」という部分を必要以上に強調して言われた。別にやってくれとムリを言ったわけじゃなく、ただ確認したかっただけなのに、冷たく突き放すような言い方がどうにも腹立たしく、昔のぼくならそこでぶち切れて買わずに出て行くところなのだが、さすがに33にもなってそれは大人げなく、荷台はなくても困らないと思い直して、売り場から荷台なしの自転車をレジまで押して行って購入した。そして防犯登録の手続きをするために、またサービスカウンターに行かされた……。
でも、何かと振り回されて店内をウロウロしたおかげで、ずっと探していた指先のない手袋を偶然見つけた。しかも98円!
これは夜になって机に向かっていると木の机なので手がやたら冷たくなってくるため冬の間は必須アイテムであり、色んなデパートや雑貨店などを探して回っていたんだけど千円以上もしたりキーボード操作に支障が出るぐらい分厚いやつだったりして、ぼくの必要に応えてくれるものがなかなかなかったのだ。それが見つかって、今ではぼくの机周りの環境はカンペキだ。集中できない理由がなくなった(あとはめがねだ)。今やっている翻訳もどうにか軌道にのってきたようだし、もしかしたら今ぼくは全般的に非常にいい状態なのかもしれない。きっとそうだ。とりあえず部屋の中での寒さ対策もできたことだし、強ばっていた肩の力を抜いて、焦らずにいこう。
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| 2005年1月25日(火) |
| 新しいめがね。 |
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今日はあんまり集中できなかった。目がずっと奥の方で疲れているような気がする。
ぼくは二十歳ぐらいまで視力が2.0あったんだけど、それからなんとなく見えづらくなり、見えづらくなり始めるとそれからは早いもので、一気に0.5とか0.6になってしまった。今もそれぐらいだと思う。この間の免許更新の時は「眼鏡等」という条件が加えられた。以前はめがねをするのは野球をする時とか運転する時とか、本気を出す時だけだったけど、今は度の違うめがねを使い分け、パソコンに向かう時も町を歩く時もいつもめがねをかけている。最近ではめがねをかけているのにめがねを探そうとしたり、めがねを外しているのに「今めがねかけてたっけ?」と目の辺りに手をやって確認したりする。それは別に耄碌してきたわけではなく(当然だ)、めがねをかけている状態が極めて自然になってきているにも関わらず、意識のうちではめがねにまだ慣れていないと思っているという感覚のズレのせいだと思う。思いたい。
それぐらい今のぼくには欠かせないアイテムなのに、いま持っている二つのめがねもどうやら合わなくなってきたようだし、新しいのを買おうかどうしようか迷っている。最近は安くていいのがいっぱいあるけれど、この間神戸に行った時に、カッコいいのを見つけてしまった。いま使っているのとは全然違うタイプなんだけど、雰囲気ががらっと変わってしまうこともなく、ものすごくしっくりきた。でも高くて、だから迷っている。でも、せっかく買うのだから気に入ったのじゃないとイヤだし、多分買うような気がする。そんな予感がする。この間ノラ・ジョーンズの大阪公演のチケットを取ろうとして失敗したことも、その分のお金が浮いたわけだし、めがね購入の意欲を掻きたてる。この日記は、分不相応に高価なめがねを買おうとしている自分を納得させるために書いている。書きながら、理屈をこねくり回して自分を納得させている。
欲しいものを買うための理由とか集中できない理由(というか理屈)を思いつくのは、得意だ。
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| 2005年1月24日(月) |
| ウクレレ。 |
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久しぶりに押入れの奥からウクレレを引っ張り出してきました。学生の頃に後輩からギターを譲ってもらって、生意気に弦だけはヘヴィゲージに張り替えて、ぎこちないコード進行でボブ・ディランとかをやったり、カッコいいリフをそこだけ覚えて弾いたりしていました。そして会社に入って、ギターを触ることは一度もなく、会社を辞めて、寮を出る時に後輩に譲ってきました。最後まで調弦はできませんでした。
そして今回も調弦しきれずに音程がズレたまま、『いつでもどこでもウクレレ弾こうよ』という本を本棚の奥から引っ張り出してきて、CとG7とFのコードを覚えて、トコトッコ、トッコットッコットー……、とか言いながら調子っぱずれの『森のくまさん』を弾きました。とりあえず『いつでもどこでも……』を最初から勉強してみようと思います。
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| 2005年1月23日(日) |
| 口ずさむメロディは愛。 |
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神戸国際会館で行われた佐野元春 and The HOBO KING BAND のコンサートに行ってきました。昨年の夏に四年ぶりとなるニューアルバム"The SUN" が発売されてから初めてのツアーで、年末にチケットを買ってからずっと楽しみにしていました。
1曲目が始まって一番驚いたのは、それが25年前のデビューアルバムからの曲だったということよりも、TVでやっているあのビールのCMで着ているやつじゃないのかと思うような真っ白なスーツ姿だったことです(佐野元春といえばネルシャツだ! と思ってぼくもネルシャツを着ていったのに……)。それからも30分ぐらい懐かしい曲が続き、会場が盛り上がってきたところで「10分したらまた戻ってきます」とMCがあって、意外とあっけなく第一部が終わりました。それから第二部は全部が"The SUN"からの曲でした。アルバムジャケットには、「大きな壁とその向こうに広がる青い空」というイメージの写真が使われているのですが、その構図に込められた気持ちが何となく分かった気がしました。「時代に鳴り響く14のロック短編集」というだけあって、シンプルなステージに一つのストーリーが紡がれていくのがよく分かりました。一つ面白いエピソードが紹介されていて、どこかの公演の時に、お父さんと一緒に来ていた一人の小さな女の子が『君の魂 大事な魂』という曲になるとイスの上に登って一緒に歌っていたのが嬉しくて、その子のことをチラチラ見ながら歌っていたというのです。ぼくも好きな曲なのですが、その話が微笑ましくて、嬉しくなりました。最近では三世代に渡るファンがコンサートに来るらしく、そういう意味ではぼくは二世代目です。この曲は「三世代目」にまで伝えたいと思いながら書いたという経緯があったようで、だから余計にその小さな女の子が一緒になって楽しんでいる様子が嬉しかったのだと思います。今日も小さな子供たちの姿がたくさん見られ、途中で疲れて眠ってしまった子もいたみたいですが、それでも(起きている間は)手を叩いたりジャンプしたりしながら楽しんでいました。歌を大切にして、届けたいオーディエンスを大切にして、一緒に演奏する仲間たちを大切にするアーティストの気持ちが伝わってきて、歌詞の一つ一つのフレーズが胸に沁み入ってきて困りました。
第二部が終わってからもアンコールが二、三度あって、「今を楽しむためにみんなが知っている曲をやるんだ、そうだろ?」と言って、今ではスタンダードになったロックンロールを演奏してくれました。佐野元春の曲がステキなのはもちろんですが、それぞれ個性的な
the HOBO KING BANDの演奏も素晴らしかったです。一つ残念だったのは、『ワイルド・ハーツ
〜 冒険者たち』が演奏されなかったことです。
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| 2005年1月22日(土) |
| 見たことのない雲。 |
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変わった雲を見た。ぼくがよく知っている雲は、もこもこと何層にもなっていて白といっても灰色がかった部分があったりして一色じゃないし、端っこの方は白さがだんだん淡くなっていって空との境界が曖昧だったりする。でも今日見た雲は真っ白で、空との境界もくっきりと滑らかな一直線になっていた。それが虹のようにすぅ〜っと弧を描いて伸びていて、まるで雪山のように見えた。山なんかないはずの方角に、山ができたかと思った。それが雲だと分かると高ぶり始めていた気分も少しは落ち着いたのだけど、それでも雪山だと思い込んで眺めていると、やっぱりワクワクしてきた。いつもの場所でいつもと違う風景というのは新鮮だ。
ないはずのものが突然現れたり、あるはずのものが突然なくなったりすると、ショックを受ける。そのショックは、専ら「意外性」による。意外性というと、古くはジャイアンツの山倉から最近では日本ハムの新庄選手まで、実力以外の部分にスポットを当てた表現として使われることが多いけど、意外と思っているのは周囲の人間だけで、本人にとっては何でもないことの一つに過ぎないことがある。もしくは、全てにおいてそうかもしれない(まさか山倉があそこでホームランを打つなんて、なんてなんて失礼な話なんだ)。人の知らない一面を垣間見て、「らしくない」というのは大変失礼だ。ぼくは今でこそそれぐらいで腹を立てたりはしなくなったけれど、以前は言われて一番嫌な気分になるフレーズだった。見たことのない雲が空に浮かんでいるのは、いつもとはどこか違う気象条件が整ったからなんだろう。自分が知らないだけで、何が起きても不思議じゃないんだ。
ぼくたちには色んな可能性があると思う。その中の一つを育てるために他を犠牲にするのも勝手だし、できるだけたくさんの可能性の芽を伸ばそうと全力を尽くすのも勝手だ。だから、「らしくない」なんて言ってその人の可能性を横からジャマするようなことはしない方がいい。ましてや、自分で自分らしくないなんていう「枠」を作ってしまうのはもっとバカげている。雲は形も色もまったく一緒のものがないから見ていて飽きない。見ているそばから形を変える。ぼくたちも、雲のように自由に。
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| 2005年1月21日(金) |
| 青春の門。 |
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芦屋の図書館では毎週金曜日に「金曜シネサロン」と銘打って色んな映画を上映していて、今日は蔵原惟繕・深作欣二監督の『青春の門』(81年)でした。五木寛之の原作が好きで何度か読んだことがありますが、映画は初めてでした。昭和初期の福岡・筑豊炭鉱の町に生まれた伊吹信介が、強い父や優しい義母、温かい町の人々に囲まれて、貧困、差別、戦後の動乱といった環境の中で青春の門をくぐっていきます。原作は第一巻の筑豊篇に始まって、自立篇、放浪篇、堕落篇、望郷篇、再起篇と全六巻に渡る長編なのですが、映画はそのうちの筑豊篇を題材にしていました。青年の瑞々しい感性と、当時の筑豊地方の荒々しい情熱が映画の中に、そして信介の中に同居していて、心が激しく揺さぶられました。男も女も、義理を重んじる熱い人たちがいました。菅原文太、若山富三郎、渡瀬恒彦、鶴田浩二といった男くさい俳優が勢ぞろいする中で、信介役の佐藤浩市(当時21歳)が新鮮でした。恋人の織江役は杉田かおるだったのですが、最近の杉田かおるを知っている人がこの映画を観るのと、この映画を観たことのある人が最近の杉田かおるを見るのとでは、何かとずい分違ってきそうな感じがしました。信介の義母さん役の松坂慶子がものすごく魅力的でした。
それにしても、青春って何だ?(ってドカベンの主題歌みたいになってしまったがそれはさておき、)青春って何なんだろう?
青春の門は一体いくつあるんだ? ノックしたら誰か応えてくれるのか?
勝手に入っていっていいのか? 出るのも自由か? 答えは風の中か? 高校や大学の受験に四苦八苦するのも青春だろうし、恋することも失恋することも、一人で悩んで一人で夜を明かすことも、毎日テキトーに過ごすことも、鏡の前に立って髪型ばっかり気にすることも、全てを虚しく感じることも、それを振り切って前を向くことも、清志郎に熱を上げることも、とにかく、なんせ毎日が青春だ。今この瞬間も青春だ。じゃあ青春の門をくぐってばかりでいつになったら大人になれるんだ? それとも青春は永遠か? いつになったら色んなことが見えてくるんだ?
なんていつまでも言っているわけにはいかないんだ。
会場となった2階の集会室は、予想通り、おいさんとおばさんばかりだった(おいさんの半分以上は、帽子をかぶっていた)。彼ら彼女らは、今も青春か?
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| 2005年1月20日(木) |
| 大寒。 |
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今日は大寒というらしく、とても寒い一日だった。机の照明のタッチセンサーが反応しないぐらい指先が冷たくなっていた。夜には肌を切り裂きそうなほどに空気が澄んでいて、星もきれいに大きく見えた。正月に勝浦に帰った時は、もっと夜空に星が賑わっていた。高校の時にクラスのみんなと近くの川原でキャンプをしたことがあった。夜にはみんなで寝そべって星を眺めた。他のみんなが次から次へと流れ星を見つける中、ぼくだけなかなか見つけることができなかった。そこで、一つの星に狙いを定めて、その星が流れるまで待つつもりでじぃっと見つめていたら、(たぶん目の錯覚で)その星がぐるぐる回り始めたような気がしてびっくりした。結局、その日は一つも流れ星は見えなかった。
星といえば、王子さまが帰っていった星はどれなのだろうかと夜空を見上げてみた。星から来たのがかわいらしい王子さまだったからよかったけれど、あれがごっつい風貌の怪獣とかだったらどうなっていたんだろう? と思っていると、ウルトラマンを思い出した。ぼくたちの世代が知っているウルトラマンの中で最強だったウルトラマンタロウは、モチロンという怪獣と月で三日三晩、相撲をとっていた。お餅が大好きで餅つきをしに月から地球にやってきた怪獣なのだが、地球は怪獣の来る場所じゃないということで、ウルトラマンタロウがモチロンの大好きな相撲の相手をするという条件で、地球から帰したのだった(たしか)。
今日みたいに寒い夜は、そんなことでも考えて気を紛らさないととてもじゃないけど外なんか歩いていられない。
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| 2005年1月19日(水) |
| 両刃の感受性。 |
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忌野清志郎がストーンズの"Ruby Tuesday"を歌っている。これまではどんなに歌が上手くて英語の発音がきれいな人でも、日本人が英語の歌を歌っているのを聴いて感心したことはなく、むしろ、調子に乗っているみたいに感じることが多かった。でも清志郎が歌う "Ruby Tuesday"は何の違和感もなく聴くことができる。英語の歌詞を翻訳して日本語で歌っている人もいるが、そういうのもあんまり好きじゃない。でも、清志郎の『デイ・ドリーム・ビリーバー』は大好きだ。贔屓としか言いようがない。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いと言うが、まさにその逆で、袈裟ごと坊主にメロメロだ。でも、誰かを嫌いになってその人のやることなすこと全てにイチイチ文句をつけているよりは、健康的だと思う。
J.アーヴィングの『未亡人の一年』の中で、主人公のルースが誰かに向かって悪態をつくシーンがあった。それを聞いていたルースの小説(ルースは小説家)の愛読者である警官が、悪態をつくっていうのはつまり過剰に反応するということだけど、それは豊かな感受性の裏返しだ、みたいなことを言っていた(嬉しいことを言うじゃないか!)。でもよっぽどのことがない限り、周りの人に対して攻撃的であったり否定的であったりはしたくない。だから、自分に感受性というものがあるならば、それは悪態や溜め息につながるように作用させるんじゃなく、できれば前向きな気持ちを促進してくれるような対象に向けていたい。たとえば清志郎のように純粋な人とか。
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| 2005年1月18日(火) |
| Circle Unbroken。 |
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いま日本には何人の人がいるんだろう。たとえば、普段よく会う人やよく連絡を取り合う人を1人か2人挙げて、その1人か2人の友達も同じように仲のいい人を1人2人挙げて、それをどんどん繰り返していけば、日本にいる全ての人に行き着くことはできるのかな? どこまでも途切れずに、最後まで友達の輪が広がっていけばいいと思う。その関係は家族でもいいし、友人でも恋人でも師匠と弟子でもいい。とにかく、誰からもつないでもらえない人がいなければいいと思う。一人で生きていくんだと鼻息を荒くしている若者たちもたくさんいるだろうけど、そういう人も含めて、実際に一人で生きている人間なんているわけがない。誰かの愛情に支えられているからこそ、一人で頑張るんだと偉そうなことを言っていられるんだ。でもそんなことに気づかない人もいると思う。たとえば体調を崩して寝込んだ時に誰がそばにいてくれるだろう。あの人が住んでいる地域に台風が来て、あるいは地震が起きて、心配して駆けつけてくれる人が誰かいるだろうか。たとえば都会なんかで周りを見渡して人がうじゃうじゃいるからといって、誰かとつながっている感覚を持てるとは限らない。そういう「輪」の感覚は、大切なような気がする。
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| 2005年1月17日(月) |
| 希望。 |
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10年前の今日、吹田の社員寮で寝ていたぼくはベッドから転がり落ちただけで幸いにして怪我もなく、その日から始まった目まぐるしい日々の中でたくさんのことを学んだ。でも、「学んだ」とかそんな冷静なことを言っていられない方がたくさんいることをぼくは知っている。あんな大地震が来るなんて、誰も夢にも思っていなかった。あんなに街が燃えて、家が燃えて、色んな大きなものが崩れて上から落ちてきて、昨日までとは全く違う毎日が始まってしまった。全てが「自然災害」だったとは言い切れない部分もあったと言われている。でも、怒りの矛先をどこに向けることもできず、哀しみを抱えて、哀しみに支配されそうになりながら、それでもしっかりと抱えたまま、一生懸命に生きている人がいることをぼくは知っている。昔、「一生懸命」というのは命をかけて一つのことをやり遂げることだと父さんに教わった。それならば、「生きる」ことに命をかける人の一生懸命さは何よりも尊いと思う。今でも夢だったと思いたいと思っている人もいるかもしれない。優しかった街の記憶が、自分に降りかかった出来事と整合しない。慣れ親しんだ街なのに、見覚えがなくなってしまう。それほど不安で心細いことはないはずだ。そこに腰を落ち着けてこれから頑張ろうとしていた人もいたはずなのに、夢を見ていた矢先だったかもしれないのに。でもやっぱり想い出のいっぱい詰まった街だから、好きな人たちと暮らした町だから、10年かけてこんなにステキに歩んできた人たちがいる。これほど勇気づけられることはない。
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| 2005年1月16日(日) |
| 「寒」。 |
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さっむいなぁ、しかし……、が最近の口グセになってきた。ぼくは寒いのが苦手で、冬でも半ズボンをはいている小学生なんかを見かけると呆れて物も言えない。東京で初めて冬を迎えた時は、あまりの寒さにぼくには越せそうにないと本気で悩んだ。どうにか東京の冬を四回乗り切って、こっちに戻ってきたら芦屋は芦屋で寒いし、ぼくは一体どこに住めばいいんだろう?
正月に勝浦に帰ると、あんまり寒いと思った記憶がない。こっちでいる時のように夜に出歩くことがほとんどないからかもしれないけれど、それにしてもやっぱり温暖な気候だと思う。でも、今はうちの実家の辺りでは南海大地震の噂で持ちきりだ。津波が何メートルの高さでやってくるとか、その場合はどこが避難場所になるとか。不安を煽っているだけのようにも思える行政の対応にはイマイチ納得がいかないけれど、うちの父さんたちも寝室に靴を置いておいたり有事の際にすぐに持ち出せるように色んなものをリュックに詰めておいたり、家の耐震検査をしてもらったり、個人でできることはやっているようだ。そんなことを考えていると、暖かいからといって勝浦が次の引越し先になる可能性も少ない。でもホントは、そんなご都合主義的考え方をしている自分がイヤだ。守るべきものを持って、そこが寒かろうが不便だろうが文句があろうが、しがみつくようにしてでもしっかりと根を張って頑張っている人を尊敬する。「さっむいなぁ、しかし……」なんて口にしたところで余計に寒さを実感するだけだ。だから寒いならあったかい格好をして、寒いとか寒くないとかそんなことが何の基準にもならない環境を作って、やるべきことに集中しよう。
上の数行だけで「寒」という字を4つも使ってしまった。これだけ集中して同じ漢字を見ると、よく知っているはずのものでも「これでよかったのかなぁ」と不安になってくることがある。「寒」もおかしく見えてきた。「ゲシュタルトの崩壊」というらしい。久しぶりにこういう現象を体験した。それにしても寒い。
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| 2005年1月15日(土) |
| バランスボール。 |
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腰の張りが取れないので、1年以上ぶりにバランスボールを膨らませた。場所をとるし、表面がゴム製なので部屋中の埃を集めてくるのがイヤで空気を抜いて小さくたたんで押入れの隅っこに片付けていたのだけど、座っているだけでも楽しいスグレモノだ。昔サッカーボールに空気を入れるために買った空気入れは大道芸人とかがプードルを作るために風船を膨らませる時なんかにもよく使っているぐらいの大きさのもので、直径が50cmぐらいあるバランスボールを膨らませるには30分近くかかった。それだけですでに上腕と大胸筋あたりのいいトレーニングになった。なったけどそれは予定外に付随してきた効果なので、それに満足せず、さっそくぽわんぽわんとボールに身を委ねた。用途はストレッチだけじゃなく、色んな体勢で腹筋や背筋にも遊び感覚で刺激を与えられるので、BGMがかかっていたりすると、かかっている音楽によって刺激の質とか量が変わってくるのはぼくの性格のせいだ。狭い部屋でやっていると、バランスを崩した時にベッドで頭を打ったりすることもあって注意していないと危険なんだけど、そういうのも含めて楽しく一人でワイワイ言いながら30分ほど体を動かした。部屋の中でTVを見ながらでも手軽に出来るので、けっこうオススメです。
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| 2005年1月14日(金) |
| 母。 |
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朝から何となく頭が痛かった。寒い日が続くから肩が凝っているんだと思う。おでこを冷やしてみたり、ストレッチをしてみたり、外に出て軽く近所を走ってきたり、どうにかほぐそうとしてみたけれどイマイチ効果がなかったので、お湯を沸かして生姜湯を飲んだ。正月に実家に帰った時に母が持たせてくれたものだ。いまだにぼくを子供扱いする母は、ぼくがこっちに帰る時に自転車を押して駅まで見送りに来てくれた。途中、ぼくに持たせるつもりで買っていた生姜湯を渡すの忘れたと言って、自転車で一旦戻っていった。ぼくは芦屋でも買えるからええよ、と言ったんだけど、取りに帰らせて、とまで言われて取りに戻ってもらった。その生姜湯を、今日飲んだ。あったかかった。
その日、母親は弁当まで作ってくれた。一口で食べ終わるぐらいのキャベツの千切りが入っていて、そんなのを食べるのにわざわざソースも何も要らないのに、魚の形をした弁当に入れる時のソース入れにわざわざソースを入れてくれていた。次にそれをぼくが使う機会はないだろうし、今度帰る時に持って帰ることもないだろうけど、なんとなく洗って置いておいた。
今度帰った時には肩でも揉んでやろうと思った(たぶん帰った時にはそんなことはすっかり忘れていると思うけど)。
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| 2005年1月13日(木) |
| 礼を尽くす。 |
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久しぶりに新聞の勧誘が来た。お断りした。「3ヶ月でいいですから。じゃ、1ヶ月!」と言われて、どうしてそんなしょうもない協力をしないといけないのかと思う。「○○もありますよ!」……って、自分たちの扱っている新聞なら何でもいいから契約させようというスタンスも気に入らない。洗剤も要らない。自分で買う。
ぼくは昔からそれほど一生懸命に新聞を読む方じゃなく、最近は新聞を取ってすらいないけれど、図書館に行くと手に取る新聞はだいたい決まっている。実家で昔から取っていた新聞と、もう1紙、いつの間にか数ある新聞の中から何となく面白いと思うようになった新聞だ。特にこだわりのないぼくでさえ、数紙を選べる状況であればその中から特定のものを選ぶそれなりの理由がある。あってないような理由だけど(それでもそれなりの理由なんで)、そこに違う新聞を持ってくるのであれば、何かそれらしい理由がほしい。比較検討できる材料がほしい。はじめから客の情に訴えるようなやり方はダメだと思う。TVのコマーシャルを見ていても、フリーダイヤルの番号を語呂合わせで覚えさせるようなのとかは、覚えたところでかける気にはならない。
ぼくは居留守は使わないし、電話がかかってきても一応丁寧に対応するようにしている。ノルマがあったり、何軒もすげなく追い返されたり、色々大変な背景があるんだとは思うけど、本当ならそんなことはこっちの知ったこっちゃないんだから、自分の事情を押し付けちゃいけない。相手が察してくれるならそれは有り難い話だけど、押し付けるのはダメだ。事情なんて誰もが抱えている。だからそれを尊重しあって、その上で同じ土俵に立ちたいものだ。誰も何に対しても卑下する必要はなく、尽くし合うべきは礼だと思う。
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| 2005年1月12日(水) |
| 雪の思い出。 |
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寒いはずだ。朝から雪が降っていた。
雪といえば、ぼくは冬でも半ズボンで学校に行く小学生だった。6年間それで通した。「風邪ひくがんだ!」と母親に怒られながらも、ぼくは頑として長ズボンをはこうとしなかった。学校に行く直前までコタツに入って足を温めて、そして冷めないうちにダッシュして学校まで行っていた。本宮小学校はダッシュすれば家から2、3分で着く距離だった。それにしても、ぼくはすでに意地っ張りだったんだ(でも上はモコモコの綿とかが入ったようなのを着ていたことを覚えている)。本宮には小学校1年から4年まで住んでいたのだけど、冬になると一面真っ白になることもあった。休み時間や体育の時間に雪合戦をするぐらい、雪が日常の中にあった。半ズボンのぼくは、太ももを狙われてでぇらい冷たい思いをした。でもぼくは逆境に追い込まれると俄然張り切るタイプなので、そんなことではへこたれなかった。どういう現象か知らないけれど、太ももに白い粉がふいてきたみたいになっても、へこたれなかった。強い子だったんだ。強がってでも強い自分を(少なくとも6年間は)演じ続けられる子だったんだ。
見栄っていうのは、大切だと思う(誰もが持つべきという意味じゃなく、ぼくは持っていたいという意味で)。そして、見栄を張っていられるうちに頑張って実力をつけて、ふと肩の荷を降ろした時に今度こそ本当にカッコよくなっていられるようになりたいと思っている。カッコいいっていうのは、しっかりした自分を持っているということじゃないかなぁと思う(周りが長ズボンをはいてくる中、自分一人だけでも半ズボンで通すなんていうのは、カッコよさレベルでいうと、限りなく0に近くて対象外だけど)。そして見栄なんて、自己満足でしかない。でも、それが高いレベルでの自己満足であれば「あり」だと思う。ある意味で「究極の選択」だ。ぼくは決心している。
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| 2005年1月11日(火) |
| ガソリンスタンドの思い出。 |
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朝になっても北向きの部屋には陽が射さず、日が高く昇っても暖かくもならず、ストレッチをしたり腿上げをしたりしてみたところで寒くてしょうがなかったから、外へ歩きに出ました。通りかかったガソリンスタンドで働く人たちは、手袋もはめずに車の窓ガラスを拭き、元気よく挨拶していました。
ガソリンスタンドといえば、以前かなりお世話になったことがあります。心斎橋の近くで働いていた頃、車を吹田の寮まで乗って帰ってくれと先輩に頼まれ、道順も教えてくれたのだけど当時ぼくは大阪で車に乗ったことがなく、新御堂筋も何も知らなくて、だけどどうやら有名な道らしいから知らないと言うことが恥ずかしくて、分かったフリをしてフンフンと相槌を打ち、さて弱ったなと思いながら車を出しました。車に乗るつもりがなかったので眼鏡も持ってなくて標識もロクに見えず、雨まで降り出し、残業時間の方が長いぐらいに残業をしていた頃だったので街にはほとんど明かりも灯っていなくて、案の定あっという間に道に迷い、さんざんウロウロした挙句、やっと開いているガソリンスタンドを見つけて入ったのでした。丁寧に教えてくれるんだけど土地勘のないぼくにはちんぷんかんぷんで、それに気付いたお兄さんが紙に書いてくれて、それでようやくどうやらあと2、3回曲がればよく知っている道に出るらしいということが分かり、ほっと一安心して無事帰り着くことができたのです。目印となる万博公園の観覧車の明かりが見えた時は本当に嬉しくて、ガソリンスタンドのお兄さんが頼もしく、本当なら翌日にでも改めてお礼を言いに行きたかったのだけど、翌日にはもうぼくが自由に乗れる車がなかったために(そして車があったとしてもそのガソリンスタンドがどこだったのかさえ怪しくて)そのままにしてしまったのですが、あの時のガソリンスタンドのお兄さん、どうもありがとうございました。
そんなことを思い出しながら、ひとしきり歩いて体が温まったところで部屋に帰ってきて、再び翻訳に取り掛かりました。もしも引越しを考えている方がいるなら、窓が北向きにしかついていない部屋は避けた方がいいですよ。
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| 2005年1月10日(月) |
| 「夢かなと思ったっす」 |
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大久保選手がスペインリーグ移籍後初戦にしてフル出場を果たし、1ゴール1アシストをマークした。いぇ〜い! もちろんゴールを期待していたけれど、まさかヘディングで決めるなんて……(周りに簡単に予想させないということは、魅力につながる大切な要素だ)。でも大久保選手が目指しているのはゴールすること、チームが勝つことであって、それが右足だろうが左足だろうが頭だろうが身体のどこに当たって入ろうが、そんなことは関係ないんだろうな。そういうがむしゃらな姿勢が、見ていてとても清々しい。キーパーの動きもきちんと見えていたらしい。でも「夢かなと思ったっす」とも言っていた。はにかみながら試合後のインタビューに答える大久保選手の表情を見ていると、きっと充実しているんだろうなと思った。
そんな大久保選手も日本代表では年末のドイツ戦でFWとして連続ノーゴールの最長記録を作ってしまったみたいだけど、そんなトリビアには興味がない。大久保選手が所属チームや日本代表で必要とされるFWになるべく毎日励んでいて、それが昨日みたいに日々の試合の中で結果として表われて、そして今頃はおそらく既に次を見据えているはずだし、そうやってどんどんモチベーションを高めて成長していく過程が、観ているぼくたちにとっても勇気となり、自分の生活態度を振り返り、改めるきっかけとなる。
頑張っていない人を見つけて自分と比較して安心したり、頑張っている人の欠点を探し出してきて批判するんじゃなくて、自分以上に頑張っている人の素晴らしい部分を認めて、自分も周りから認めてもらえる部分を持てるよう、そして自分でも自信を持てるよう、努力していきたい。(どこの書店をのぞいても一番目立つところで平積みになって)並ぶ自分の訳書を見て、「夢かと思たわ」と言いたい。そのチャンスが、今年はぼくの予定では3回あるはず。
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| 2005年1月9日(日) |
| 芦屋ロックガーデン。 |
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朝起きて、思い立って芦屋ロックガーデンを登ることにしました。登山用の装備は何も持っていないので、普通のスニーカーに毛糸の手袋、数年前に買ったものの一度も使用したことのないスノボ用ジャケットを着込み、阪急の芦屋川駅を越え、川に沿って北上し、立ち並ぶどれもこれもゴージャスな館に見とれながら高座の滝に着いた時点で、けっこうへばっていました。ここから始まるハイキングコースには3種類ぐらいのルートがあるみたいだけど、自分がどのルートを辿っているかも知らないままに、標識に従って風吹岩を目指しました。岩の上から吊るされた鎖に掴まったり、両手両足をフル活用して岩にへばりつくようにして登らないといけない所もあり、それなりにスリルがありました。途中で何度も振り返り、少し雪も散らついていたりして、見下ろす大阪湾や神戸の街並みにはハッとするものがありました。
ウリ坊が出没するという可愛い噂が有名な場所なのですが、ウリ坊がいるということは当然そのそばには母親イノシシがいて、すぐ目の前にその姿を見ると、ものすごい迫力でした。思わずちょっと引き返したりしてしまいました。看板には、餌付けされていて人間にも馴れていると書かれていて、確かに他の登山客の方たちは平気な顔ですぐそばを歩いたりしていたのですが、ぼくは実は「ちょっと引き返した」程度ではなく、遠くの方にウリ坊の姿が見えた時点ですでに腰が引けていて、道なき道を下りて小川を横切ってでもイノシシとの遭遇を避けようとしたぐらい、ビビりました。
今日は初回ということで往復で約2時間、それにしても身体を動かして汗をかくのは気持ちいい。八月には富士山に登ることになっているので、その時は今日とは比べものにならないほど大変なことになるはずなので、それまでに足腰を鍛えておかないと。数年前に初めて登った時はあまりにも富士登山について無知だったためにそれほど達成感がなかったので、今回はそれなりに経験を積んで臨みたいと思います。
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| 2005年1月8日(土) |
| 久しぶりに夢の話。 |
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うつ伏せに寝て、胸をちょっと丸めて布団との隙間にできた狭いスペースで、器を作るように合わせた両の掌に柿ピーをいっぱい盛られている夢を見た。眠いんだけどその姿勢がしんどくて、でもぐたっとしてしまえば自分の身体で柿ピーをつぶしてしまうし、非常に無理な体勢で寝ていた。目が覚めて、だから寝辛かったのかと気がついた……。なんだったんだ、この夢は???
滅多に食べない柿ピーを正月に実家で少量食べはしたけれど、だからといって夢にまで出てくるほど印象深いイベントだったわけではない。それとも何か他の要因があるのだろうか? 柿ピーとぼくとの、ぼくも知らない関連性……。以前はこんなに夢を見る方じゃなかったように思うのだけど、最近やたらと夢を見る。おかしな夢が多いような気もする。これまでも見た夢のことを何回か日記に書いてきたけれど、今年はさらに注意してみようと思う。自分の無意識の領域にある何かに気づくことができるかもしれない(こんなことなら大学で受講していた心理学の授業をもう少し真面目に聞いていればよかった)。
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| 2005年1月7日(金) |
| 『大いなる勇者』。 |
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西部開拓時代、R.レッドフォード演じるジェレマイア・ジョンソンは都会での暮らしに見切りをつけ、山に生きる道を求めるのですが、都会で何があったのかは分かりません。その点も含めて非常に興味深く魅力的な男の物語です。
山に生きることを選んだということは、そこに自分の居場所を求めたということですが、だからといってそこでは自分の思い通りになるわけではもちろんありません。思うように獲物は獲れないし、思わぬ災難にも遭遇するし、風の吹くままに旅をするとはいっても自然は過酷で、男の選んだ道は苛酷でした。いつの時代も、ままならないのが世の中です。だけど、自ら選択するというアクションをとった以上、その後に起こる出来事へのリアクションにも責任を取る覚悟を決めるのがかっこいい大人の取るべき態度です。何を約束されたわけでもないのです。ただ、その道を往くことを選んだというだけ。おそらくルールは、「立ち止まっちゃダメ」ということに尽きるはずです。前半は山に生きる人々や先住民たちとの交流なども描かれていてじんわりとした印象を受けましたが、後半に入ると横柄な開拓民を助けたことから殺戮、復讐劇に展開し、一気に緊張の度合いが高まります。
ぼくはこれまで、「夕日に向かって西へ、ロッキー山脈を左だ」と道案内されたことはないし、別れ際に「風の匂いと地平線に気をつけろ」という言葉を吐いたこともありません。それにしてもレッドフォードにはテンガロンがよく似合う。S.ポラック監督です。
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| 2005年1月6日(木) |
| 『イマジン』を聴きながら。 |
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精一杯の誠意が軽視されたり、丸っきり無視される結果に終わったり、裏切られたり、それでも相手は平気な顔をしていたり。遣り切れない。些細なことでも積み重なるとけっこう堪える……。本人にそんなつもりはないと思いたいけど、そんなつもりがなかったところで、もうそれまでと全く同じようには付き合えなくなってしまう。軽い調子で言えたらいいんだけど、自分がもう一方の当事者である以上、なかなかそういうわけにもいかない。となると、その人とは少なからず疎遠になってしまう。せっかく積み重ねてきた信頼とか前向きな気持ちとかが、ガラガラと崩れてゆく。悲しいことだ。ぼくはきっと、世渡りが下手すぎる。もっと図太く、テキトーに生きたいと思うこともある。一方で、ぼくの誠意なんてぼくの勝手で尽くしただけのことだから、それに応えるかどうかはぼくの方から求めるべき性質のものじゃないとも思う。ただ、約束は守ってほしいし、自分の都合だけで勝手に話を進めていってほしくない。それだけなのに、ぼくは望みすぎだろうか。それとも、際限なく相手を信じたり、諦めずに誠意を尽くし続けるべきなのだろうか。時々、自分のやっていることが分からなくなることがある。「悲しい記憶の数ばかり飽和の量より増えたなら忘れるよりほかないじゃありませんか」という唄もあるが、確かにそうだ。忘れられるものなら忘れてしまいたい。でも、忘れて何が解決するわけでもないということもまた真実だ。そして、そうだ! こんな時には『星の王子さま』を読めばいいんだ! と思って、久しぶりに読んだ。しみじみとした気分になれた。それで具体的にイヤだった気持ちが晴れたわけではないけれど、それでも想像してみることで世界が変わって見えることもあるということは、強く思えた。
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| 2005年1月5日(水) |
| 年賀状。 |
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さすがに最近ではぼく宛ての年賀状が勝浦に届くことはなくなり、だからこっちに戻ってくるのが少し楽しみでもありました。義理で出す相手が減った(というかなくなった)ため、もらう年賀状ももらって嬉しいものばかりです。久しく音沙汰のなかった方からも届いていたりすると、なんだかこそばゆい感じがします。
学校を卒業したり、転勤になったり転職したり、会社を辞めたり、引っ越して遠くに行ってしまったり、色んな事情で会う機会がぐっと減った友達の方が圧倒的に多く、だけど、それでぼくの中でのみんなの存在が薄れるということはなく、かえって思い出すことが多くなっています。遠くにいる友や家族の存在を支えに一年を過ごし、そうやって過ぎていくぼくにとっての一年一年が、だんだん短く感じられるようになってきています。年末が来るたびに、今年もまた年賀状を書く時期になってきたな、と普通に思ったりします。その間に一年という歳月が過ぎているということを、それほど意識しないままに。
ぼくは普段、一週間単位、一ヶ月単位、三ヶ月単位、一年単位でそれぞれ計画を立てるのですが、だからいつも時間に追われているようなところがあって、特に最近は一年があっという間です。一年が終わろうという頃にはだいたい焦っています。だけどそこで、焦っていようがしないといけないことがどれだけ山積みになっていようが年賀状を書くということは、一年の区切りとして、また次の一年に向けて強く意識するきっかけにもなるし、ぼくにとってはとても有り難いことです。だから、来年は1月1日にきちんと届くように早めに書くようにします。新年の挨拶が遅くなって失礼しました。
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| 2005年1月4日(火) |
| あけましておめでとうございます。 |
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特急くろしお号で帰ってきました。紀伊勝浦を14:32に出て、新大阪に到着したのが18:35。隣県だというのに4時間! しかも停車の度にその数駅前ぐらいから律儀に徐行を始め、通過する駅のホームでは新聞を読みながら歩く人に追い越される始末……。こういう車内では何が起きてもいちいち腹立たしく、通路を挟んで斜め前に座っていたおじさんが超高速で貧乏揺すりを始め、気にしないでおこうと思って窓の外を眺めていても視界の隅っこでとらえてしまい、でも直接被害を被っているわけではないので何とも文句の言いようもなく、そうこうしているうちに貧乏揺すりが終わったなと思っていると今度は歯ぎしりタイム。なんて自由な人なんだ……。それが白浜から天王寺まで。きっと靴も歯も磨り減るのが人より早いはずだ。でも、新年早々そんなことでイライラしていてもしょうがないし、結局は無事に帰ってこられたわけだし、気持ちを切り替えて頑張ります(当然です)。
本年もどうぞ宜しくお願いします。
以下は勝浦に帰っていた間の日記です。
2005.01.01
昨日の長旅のせいか、新年早々、腰が痛かった……。特急電車で本を読むのは苦手だし、車窓の景色を眺めて時間を過ごすには夜が遅すぎる電車になってしまったので、アルバム5枚分のMDを持っていたのだけど、それを全部聞き終えてやっと白浜に到着するぐらい、そこからさらに約1時間半、やっぱり勝浦は遠かった。しかも途中で鹿が線路を横切ったとかで、緊急停車までしていた。奈良か! それでも、真っ暗な窓の外、遠くの方に漁火がちらついていたり、民家から洩れる明かりが暖かだったり、徐行して通り過ぎる無人駅の水銀灯の侘しさがそれなりに懐かしかったり、いつもは大きな海を見たくて日が高いうちに到着する電車を選んで帰っていたけれど、今回は急遽変更したために思いがけず遅い電車になり、おかげでいつもとは違う雰囲気を楽しめた。
で、朝から腰が痛かったんだけど、そんなことにはかまってくれないのが小さい子供で、昼過ぎからは姪っ子の美結ちゃんと理那ちゃんが遊びに来て、近くの公園に行って鉄棒をしたり、大人がくぐることは想定していないはずの大きさの輪っかが連なった遊具をくぐりまくったり、家に戻って絵を描いたり、ダンボの大きなぬいぐるみと戯れたり、夕方までめいっぱい遊びました。大勢集まって、明るく楽しい一日でした。二人の姪っ子はいつの間にか8歳と6歳になっていた(6歳と4歳ぐらいのつもりだったのに……)。
2005.01.02
今日は昼から父さんと二人で「狗子ノ川(くじのかわ)」を歩いてきました。普段の父さんと母さんの散歩コースの一つです。家から車で10分ほど走ったところで山に入っていって、そこに広がる集落の外周に当たる道を歩く約30分のコースです。四方を山に囲まれて、一日のうち日の当たる時間はかなり短いと思われる家々が、田んぼや畑の合間に立っていました。山を越えるとその向こうの宇久井に抜けるのですが、その山道も背の高い杉や檜に囲まれて鬱蒼としていました。二年前の正月にはここでフクロウを見かけました。銃声も頻繁に聞こえるようなところです。集落の中を小川が流れ、水が冷たそうでした。日の当たる短い間はゆったりとしていて畳の上などにごろんと横になると気持ちいいだろうなぁと思えましたが、いったん日が射さなくなると急に気温も下がって、暗くなるだろうし、住環境としては厳しいはずです。でも、ぼくはもしかしたら都会よりもこういう田舎の方が合っているのかもしれません。ただ、虫は苦手です……。
2005.01.03
午前中、父さんと二人で家の壁のペンキ塗りをしました。二階の窓から屋根に降りて、剥げかけたペンキをガリガリと擦り落とし、その上から塗りなおしました。見違えるようにきれいになったということは全然なく、でもそれなりに汚らしかったところが目立たなくはなったかな……。
昼からは久野っぴが来て、コーヒーなどを飲みながら話をしました。仕事っぷりを聞いていると、改めてぼくももっと頑張らないとという気持ちになりました。ということで今年の目標ですが、どうしようかな……。「3冊!」ということにしておきます。ですからみなさん、昨年はこのHPの中で一番更新の少なかった(あるいは「なかった」) "Works" のページも今年は要チェックですよ!
本年もどうぞ宜しくお願いします。
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