Diary
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2005年2月20日(木)〜28日(月)
ごぶさた!

2005.02.20
パソコンが壊れた。朝起きていつも通りに電源を入れると、一応起動はしているみたいなんだけど、ディスプレイが真っ暗なままだった。普段ならディスプレイの下部にある小さな液晶パネルに "Good Morning!"などと爽やかメッセージまで出てきてぼくの機嫌を伺ってくれるのに、そこも青いバックライトがつくだけだった。再起動しようにも電源を切ることすらできなくなっていた。かなりイヤな予感はしつつ、あえて冷静を装いながらマニュアルとかを引っ張り出してきてなんとかどうにかしようと試みた。それでも埒が明かず、メーカーのサポートセンターに電話した。めちゃくちゃ早口な人で、聞き取るのに必死だった。英語でもあるまいし。何を急いでいるのか、捲くし立てるようにああしろこうしろと懇切丁寧に教えてくれたけど、一旦機嫌を損ねたパソコンは持ち主に似たのか、相変わらずうんともすんとも言わず、どうやら修理に出さないと原因も分からないようだった。プロがそう言うんだからもうしょうがないと思って、潔く修理に出すことにした。買った店で五年間の延長保障サービスに入っていて良かった。サポートセンターの人の話では、色々交換とかすることになれば10万円近くかかるかもしれないということだったが、購入二年目なので修理費用の80%まで補償してくれるみたいだ。そして購入店に電話をすると、持ち込みのみの対応だと言う。こんな重いものを……。とりあえずダンボールに入れておいて、どうやって持ち込むかは明日以降考えることにしよう。
 それにしても何がどうなったのやら。翻訳も軌道に乗っていたところだったのに、まさかこんなところに落とし穴があったなんて……。


2005.02.21
いきなり不便だ。仕事にならないだけでなく、修理に出すためにどうやって持ち込もうか引越し業者さんのサービスなどを調べようにもインターネットがないと何もできない。ニュースや天気予報のチェックもできない。そこで初めてネットカフェに行った。30分で100円。ワードとかは使えないそうだ。それでもしばらくは調べものとかをしに通うことになりそうなので、今まで以上に効率を考えて進めないといけない。それにしても翻訳の原稿とか大切なデータはUSBフラッシュメモリにマメにコピーしておいて良かった。ほんの二、三ヶ月前に買ったメモリだけど、最近ではきちんとコピーをとってから一日を終えることが習慣になっていた。一日でも怠けていたらと思うとゾッとする。結局パソコンは宅急便で送っていいことにしてもらった(そりゃそうだろう)。
 昨日から思うこと――こんなメモ程度の分量でも、手で書くのはしんどい……。


2005.02.22
TVをつけることがほとんどない。でも、最近はたまたまTVをつけた時に、ライブドアの堀江社長が出演していることが多い。この間もニッポン放送の件でニュースに出ていた。キャスターと「識者」が二人で番組を仕切っていて、堀江社長には答える時間もロクに与えられていなかった。きちんと自分の考えていることを視聴者に分かってもらおうと説明を試みる堀江社長の発言をことごとく途中で遮っていた。挙句の果てには「どうしてそんなにTVに出演なさるんですか?」と訊いていた。キャスターや「識者」は、別にわたしたちがTV局を代表しているわけでもないしね、という無責任な立場を取れて気楽なもんだ。
 ぼくはインターネットにはかなり世話になっているけれどTVはあまり見なくて、ビデオを借りて見たりはするけれどケーブルTVやデジタル放送についてはほとんど何も知らなくて、堀江社長の言う「既存のメディアとインターネットの融合」についてもほとんど興味がないし、TVに双方向性やオンデマンドな情報伝達機能も求めない。でも、そういうインフラが整備されると何かと便利になるのだろうし、あって悪いわけじゃもちろんないし、社会にそういう側面ができることを待ち望んでいる人もいっぱいいるんだろうなとは思う。それを堀江社長は、「みんなが幸せになればいい」と表現していた。今やっていることはそのためなんだと。すると「識者」は、「それでニッポン放送はいくら儲かるんですか?」と質問していた。見ていた番組が悪かったのだと思う。
 ライブドアがこれまで株式交換やTOBで子会社にしてきた企業は何十社もあるらしい。それらの企業にも当然いま話題の「公共性」はあったはずだし、それなのに今回に限ってこんな騒動になっているというのもおかしな話だ。ニッポン放送やフジTVがこれまでの数十社と何が違うかといえば、みんながよく知っている会社で、大きな声で大きな力を振り回せる立場にあるというだけだ。安泰だった自分たちのフィールドに新しい風が吹き荒れることを恐れ、実態のよく分からない大義に守られた心地よさにしがみついているみたいに思えてくる。少なくとも堀江社長にはビジョンがあって、アクションを起こそうとしている。
 なんで堀江社長が悪者みたいに言われているのかが分からない。



2005.02.23
何度目だろう? また『路上』で挫折した。1月30日の日記にも書いたけど、好きになりたい小説で、何度となくチャレンジして、そのたびに100ページ前後で放り出している。これまでの経験を踏まえて、今回はあまり負担にならないようにと思って電車の中でだけ読むことにしていたのだけど、たとえば芦屋→梅田間は読んでも、帰りの梅田→芦屋間は、その日に買った本を読んだりして、なかなか進まない。結局今回は106ページまでだった(その間に8冊の和書と、2冊の洋書を読んだ)。何が苦手なんだろう? ここまで苦手意識を過剰に意識してしまうと、もう無理なような気がする。今度チャレンジするときは107ページからにしよう。


2005.02.24
インターネットが使えなくなって、翻訳のペースが少しだけおかしくなってきた。予定より半日分近く遅れている。家にいながらその都度、調べものを済ませることができていたのに、その手段がなくなって、後でまとめてネットカフェで調べるという方法に移行した。これまでもネットで解決しきれない部分は書店や図書館に行って調べたりしていたので、それほどがらっと変わったわけではないのだけど、やはり慣れた方法というのは微妙に変わるだけでどこか気持ち悪い。新しい靴を履いているみたいだ。でもそのうち慣れてくる。


2005.02.25
試写会の券が当たったので、心斎橋のパラダイス・スクエアで『Red, White & Blues』を観てきました。ブルースが本国アメリカで軽んじられていた50年代、イギリスの若者たちによって発見され、のちのブリティッシュ・ロックとして発展し、アメリカに逆輸入される形でオリジナルのブルースも見直されていった経緯を、B.B.キングやE.クラプトン、J.ベックらへのインタビュー、ライブ・シーンを交えながら辿ったドキュメンタリー映画です。
 ブルースという太い幹にそれぞれのアーティストが枝葉のように寄り添い、その中には風雪に耐えて独立した木のように太く育った枝もあれば、まだ芽を吹いたばかりの若い枝もあり、そうした全てをひっくるめて一本の大きな木として成立しているといったイメージで、そこはクラプトンやストーンズが子ども扱いされる世界でした。テクニックとかじゃなく、脈々と受け継がれながら古さを感じさせない伝統、そして負けじと逞しい想像力がぶつかり合う勢いを感じました。
 昔、聖飢魔Uのギタリストのエース清水が言っていたことだけど、たとえば早弾きは得意なんだけどちょっとアレンジを加えたりするともう何もできなくなる初心者がいて、そういう子に基礎から教えようとすると、「基礎なんかをやっていると自分のオリジナリティが失われる」みたいな反発を買うことが多かったらしく、だけどそこでエース清水が言っていたのは、「基礎はこれまで先人たちが築き上げたことを確認し、自分の土台となるべきものであって、それで失われるオリジナリティであれば、そもそも大したものじゃない」ということでした。ぼくは一気にエース清水のファンになりました。先人たちに敬意を払い、かつ先人たちの到達点に甘んじず、さらなる上を目指す姿勢に、当時中学生だったぼくは大人の男のカッコよさを感じたものです。そんなことも思い出しながら帰る道すがら、ベルボトムでも買って帰ろうかと思ったのですが、終電前だったので開いている店もなく、久しぶりに金曜日の酔いどれた終電に乗りこみました。

 監督は『リービング・ラスベガス』のマイク・フィギスです。


2005.02.26
朝から激しく冷たい雪が降っていた。やっぱり三寒四温だ(この場合、あまり「三」とか「四」とかいう数字にはこだわらなくていいんだと思う)。そろそろ春かなと思っていた矢先にこの雪だ。やるな、二月め。と思っていたら昼過ぎにはすっかり止んで、明るい日が射してきた。空気中の埃とか排気ガスとか、思惑とか策略とか、そんな諸々が全て洗い流されたみたいに、目の前が澄んでいた。あんまり気持ちよかったので、予定を変更して走りに出た。最近はウォーキングとかいって歩いて帰ってきたりすることが多かったけれど、今日は久しぶりにずっと走った。走ると、日々のしょうもない出来事や、しょうもない人間とのくだらないやりとりや、翻訳が半日分遅れてしまっていることや、実は今日もちょっと寝過ごしたことなど、大したことじゃないように思えてくる(でもパソコンだけは……)。


2005.02.27
あやうく20万円もするVAIOを買うところだった。すぐに見た目のカッコよさで決めたがる。要らない機能なのに、あった方が便利だと思ってしまう。
 修理に出しているパソコンがいつ直ってくるのか、そもそも果たして直るのかどうかもまだ分からないから、選択肢として、@直るにしても時間がかかるようであればノートPCを買う、Aサイアク直らなければデスクトップを買う、ということを考えていた。目途は来週中ぐらいだろうか。出費としては痛いけど、これ以上翻訳のペースを落とすわけにもいかないし、将来的にデスクトップとノートの二台を持つつもりではいたので、その時期が早くなっただけだと思えば、今度はどの機種にしようかと購買意欲がしゃしゃり出てきた。そしてVAIOを買いそうになっていたのだ。でもグッとこらえ、考え直してDELLにしよう! と思って難波にあるDELLの展示店に行ってみた。思っていた以上にカッコ良かったけど、1.9kgの本体は持ち運ぶには重かった(VAIOは1.38kg)。それに、その帰りにネットカフェでシミュレーションしてみると、結局VAIOと大差ない値段になることが分かった。ということは、ノートを買うならVAIOということになりそうだ。そうと決まれば早く買いたくなってきた。
 ちなみに今日ネットカフェで自分のHPを見て、ちょうど4000アクセス目だった。


2005.02.28
向かいの小学校がうるさくてかなわない。去年の運動会の季節にも、あんまりうるさいので電話したことがある。その日は少しボリュームを下げていたけど、また次の日からうるさかった。近くの人たちは何とも思っていないのだろうか? 本気で職員室か事務室まで行って苦情を言ってやろうかと考えた。でもきっと、不審者扱いされるだろうなと思った。生きにくい世の中だ。

2005年2月19日(土)
悪いクセ。

最近ちょっと暖かいような気がする。寒いのが当たり前だと思っているから少々の寒さでは寒いと感じないのか、それとも寒くなってかれこれ二、三ヶ月が経つので体が慣れてきたのか、それともただの気のせいなのか。いずれにしても最近は夜も朝も、数週間前ほど辛くはない。いいことだ、と思っていると、「三寒四温」という言葉があるらしい。三半規管みたいなものかと思っているとそうではなく、「三日ほど寒い日が続いた後に四日ほどあたたかい日が続き、これを交互にくりかえす現象(広辞苑)」だそうだ。ということは、二、三日寒くない日が続いたからといって気を抜いたらダメなんだ。だからもうちょっと、せめて三月に入るぐらいまでは気を引き締めていこうと思う(でも「中国北部・朝鮮などで冬季に見られる」ともあるので、もしかしたら日本では関係ないのかもしれない)。
 ところで人は、「三寒四温」とかそういうことに詳しいか、あるいは詳しくないかのどちらかだ(「三寒四温とかそういうこと」というのは、「日常では(おそらく)あまり使われなくて、だけど昔からの経験による知恵をことばにしたような有意義な表現」のこと)。ぼくは詳しくない。でも、先人たちの息吹のようなものが感じられる気がして、とても興味がある。だから、親しい人と話している時にそういう言葉が出てきたのであれば、「なに? なにそれ? どういうこと?」と訊けるんだけど、それほど打ち解けていない人の場合は、あんまりモノを知らないと思われるのもイヤなので、知っているフリをしてそのまま話を続けてその間に必死で見当をつけようとしたりする。何かにつけ見栄っ張りなのは悪いクセだ(「伊達」だからかもしれない)。でもそれが、もっと努力しなければ、と思う原動力にもなっている、とかすぐに屁理屈を言うのも悪いクセだ。
 ちなみに、「淳」が「伊達」とは逆に「すなおでかざりけのないこと(広辞苑)」というのも、ぼくにはとても興味深い。

2005年2月18日(金)
ヨーグルト生活。

順調に毎日ヨーグルトを食べています。パッケージにはでっかく「プロバイオティクス!」と書いてあります。なんのこっちゃよう分からんけど、なんせ体に良さそうです。よく分からないままに、ええことなんやろなぁと信じ込んでしまう場合が結構あるということに初めて気がついたのは、ネルドリップ方式の缶コーヒーが発売された時でした。CMでやたらネルドリップ、ネルドリップと言っていたことを覚えています。その時もなんのこっちゃよう分からんけど、なんせおいしいんやろなぁと思って買って飲んでいました。
 プロバイオティクスにしてもネルドリップ方式にしても、情報として正確なんだけど、情報として正確に消費者に認知されているわけではないと思います。言葉の持つ意味ではなく、イメージに訴えかける力(「なんかよう分からんけど、なんせ良さそうやなぁ」と思わせる力)を持っているんだと思います。イメージだけで話を進めるのはダメだけど、時々そんな手段に訴えるのも面白いなぁとは思います。でも実は怖いことなんだという認識がないと、危険ですね。
 あと、「リペア・リピッド&シルクプロテイン配合」なんていうのもあった。

2005年2月17日(木)
2月17日。

全ての堕落や不法を拭い去るため、神が地上に洪水を起こしたのが2月17日らしい(旧約聖書、創世記)。その日、「大いなる深遠の源がことごとく裂け、天の窓が開かれた」とある。
 そんなやり直し方ってありっすか !? という感じもするけど、希望の日だと思えばいいのかなと思う。今日はそんな日だったんだ。2月17日はばあちゃんの誕生日だから、ぼくはこじつけてでもそう思いたい。全ての堕落や不法が拭い去られた日、希望が芽生えた。それが、(ぼくの知る範囲での)伊達家の始まりだと思うと、なんだか誇らしくなる。希望の象徴の日に生まれたばあちゃんの娘の息子としては、しっかり生きんとアカンなぁと思う(ばあちゃん、見とってよ!)。そのためにも日々の暮らしや出会いに感謝して、そして夢を見る力を決してすり減らさずにいたい。毎日の生活と将来の夢、その達成が希望なんだと思う。
 何年か前にサンタモニカの安モーテルで聖書を開き、ノアの奮闘ぶりを読んで以来、毎年この日はそんなことを考える。

2005年2月16日(水)
進行方向に進む。

本を探しに図書館まで行ったのに、新聞だけ読んで帰ってきてしまうことがあります。髪を切ってもらいに行こうと思って出かけ、美容院の手前にある本屋さんに入ってしばらく立ち読みして、そのまま帰ってきてしまったこともあります。うっかりしていました。日記も、うっかりしているわけではないのですが、書き始めた時には思ってもいなかった方向に話が進んでしまうことが多々あります。
 だけど、翻訳に関してだけは今のところ、おかげさまでおかしな方向に流れていくこともなく、満足はしていないけれど、それなりに納得はした上で毎日を過ごすことができています(でももうちょっと正確に言うと、こうやって言ってしまうことで、言ってしまった以上それに見合う過ごし方をしないといけないというプレッシャーを自分に与えているという部分も、多少あります)。もう少し色んなことが一気に捗ればなぁと思うこともありますが、それは欲張りなことであって、これがぼくのペースなんだと思います。まだ目標とは呼べずに夢でしかないことや、大きい目標、まぁまぁ大きい目標、中くらいの目標、小さな目標、そして日々の目安があって、そのためにやらないといけないことがあって、要領が悪くても一つ一つ納得しながら覚えていって、途中で振り返っておかしいと思ったらまたちょっと戻ったりしながら、そうやって毎日過ごすことを心がけています。
 カヌーを真っ直ぐ進めるコツは、進行方向に顔を向けるということでした。俯いてしまいたい時も、よそ見をしたい時も、ちょっと立ち止まってみる時も、進みたい方向だけは見失わないよう、まだ用事を済ませていないのに帰ってきてしまったりしないよう、そして昨日よりは一歩でも二歩でも(できたら二歩か三歩、なんやったら五、六歩)前に進んだと言えるよう、自分をはぐらかしたりだけはしたくないと思っています。
 今日の日記も、こんな展開になるとは思っていませんでした。もっと展開力というか構成力というか、短いなりにまとまった文章を書く力をつけたいと思います(これは「まぁまぁ大きい目標」かな?)。そして、夢も含めて全ての目標を確実に達成しようかなぁ、なぁんて思っています。

2005年2月15日(火)
ボキャブラリー・ビルディングのための読書。

今のところ、昨年末からずっと懸念している花粉症の兆候は見られない。いつぐらいから本格的に花粉が飛散するのかも知らないし、ビビっているだけの状態がしばらく続くと、なかなかその兆候すら見えないことに拍子抜けして、そして緊張の糸が切れた頃に花粉がやってきたりする。何にしても悪い時のパターンはだいたいそんな感じだ。と思って、この間からヨーグルトを食べ始めた(昨日からやったかな?)。ヨーグルトに含まれるナントカという成分が体内でどうにか働いて、それで花粉症の症状を抑えてくれるらしい……。
 体にいいこととかトレーニングの方法とか、自分で実践しようと思ったことは、どういう理論なのか、自分にも当てはまるのか、一生懸命に読んだり聞いたりして自分で納得できたりイメージできたりしてから実践することになるんだけど、いったん実践すると決めてしまうと、実践することに決めた理由をすっかり忘れてしまう。だから、どうしてヨーグルトが花粉症にいいのかも今となっては説明できない。
 イメージだけが残っていてうまく伝えられないということが、ぼくには結構多いような気がする。何かそれを説明する言葉や単語を持っていればいいんだけど、どうも言いたいことを過不足なく伝えることができない。でも多分そういう時は、周りでよく聞く単語や表現を借りてこようとしている場合が多い。そうじゃなくて、自分の胸に手を当ててでも伝えたいことに集中すれば、それを表現する言葉は素直に出てくるような気がする。素直に出てくる言葉で表現すればいいんだと思う。でもそれは、意識しないと腹式呼吸がなかなかできないのと同じぐらい、難しい。そして出てくるべき言葉がそもそも貧困であれば表現も制限されるので、普段から自分で使える語彙を増やす努力をしないといけない。だから、本を読むのはいい。
 ヨーグルトが花粉症にいい理由は説明できないから、本を読むのがいいと思う理由をなんとなく説明してみた。

2005年2月14日(月)
スケジュール。

最近のぼくのスケジュール管理として、1週間単位がメインになってきている。だから、1ヶ月は30日というより、4週間といった方がしっくりくる。30じゃなくて4なので、あっという間に終わってしまって大変だ(小さい子供が五千円札1枚で五千円のお年玉をもらうより、千円札5枚でもらう方が喜ぶ感覚と、似ていなくもない)。そしていまだに翻訳に取り掛かる時はちょっと緊張したりするので、時々冗談でだけど、手のひらに「人」という字を書いて○で囲んで飲み込んでから始めたりする(←これは全国共通かな?)。少年野球の時、ネクスト・バッターズ・サークルでのぼくの儀式の一つでもあった。誰かに見られると恥ずかしいので、手のひらにできたマメをいじっているようなフリをしながらやっていた。でもしっかりバレていた。
 いま翻訳をしながら気をつけていることは、「慌てて進めてしまわない」ということだ。予定に余裕ができたりすると、明日の分、来週の分までちょっとでもやってしまおうと思ってしまいがちなんだけど、それをやり始めるとキリがないし、予定は立てる時に色んなことを総合的に考えて立てているわけだから、それより早く進めたり終わらせたりする必要はなく、だからその分、内容の充実を強く意識するようにしている。一通り終わらせた後も推敲という作業が残っているので、今の時点で翻訳としての完成度にそれほど神経質になることはないのだけど、それでもスピードとのバランスを考える必要はある。今回はそういう「翻訳そのもの」ではないところにいつも以上に気を配っているということもあって、最近は一週間があっという間だ。そして、一週間はあっという間だと思っているから、今度は早とちりして、まだ今週の木曜日なのにもう翌週の月曜日かと思ってしまったりすることもある(月曜日と木曜日が燃えるゴミの日なので、ぼくにとってはよく似ているのだ)。
 最終締切日は絶対だけど、スケジュールはあくまで目安なので、あんまりそれに振り回されるのは健康的じゃない。もっと時間と上手くつきあっていきたい。

2005年2月13日(日)
長閑だった。

横断歩道の白い部分だけを踏んで渡ったり、ブロックを敷き詰めたみたいな模様になっている歩道で境目の線を踏まないように歩いたりすることがある。別にどういうつもりもなく、ただなんとなく。『恋愛小説家』のジャック・ニコルソンもそんな人だった。でもあれは過剰に神経質な人という設定だった。ぼくはそういうわけじゃない。ただなんとなくそうすることもある、というだけだから。
 小さい頃、隣りの新宮市に買い物とかに行くと、アーケードになった商店街の道には大きい丸とか小さい丸の模様があしらってあって、そこでも丸から丸へとはみ出さないように両親の間を飛び跳ねながら歩いていた。周りの人に迷惑だし、両親も歩きづらいし、たぶん怒られながら飛び跳ねていたと思う。でも、そんなことができるぐらい、商店街とはいえ人も少なく、長閑な光景だったと思う。長閑な時代だったのかもしれない。ぼくにとって長閑でいられた時期ということかもしれない。梅田のホワイティなんかでそんなことはできない(もう子供じゃないしね)。でもそれ以上に人が多すぎる。そういえば、勝浦の駅前通りの突き当たりの角にあったばあちゃんの家にしばらく暮らしていた頃は、その道でサッカーをしていた。突き当たりが三叉路になっていて、突き当たりの壁をゴールに見立ててサッカーをしていた。両隣りは果物屋さんだったりおもちゃ屋さんだったり、そこも商店街だったんだけど、車も通っていたのにサッカーをしていた。でもそれはさすがに怒られた。駐車場で野球をしたこともあった。
 都会で暮らしていると、子供たちが安心して遊べるところがないことを憂うこともあるけれど、ぼくもこうして考えてみると本来遊んだりするべきじゃないところでよく遊んでいたんだなぁと思う。でも、遊び方も自由だったし、怒られ方も長閑だった。それは環境じゃなく、ぼくの内面なのかもしれない。

2005年2月12日(土)
嘘も隠しようもなく。

アメリカのジャズ・オルガニストのジミー・スミスが亡くなったという8日付のニュースを今日見た。79歳だったそうだ。数年前にジャケットのカッコよさだけで "ROOT DOWN" というライブアルバムを買って、それがあまりにもカッコよく、機会を見つけては友達にプレゼントしていた時期もある。「ファンク、R&B、ロックンロール……すべての音楽は偉大なるオルガン奏者ジミー・スミスに莫大な恩恵を受けていると言っても過言ではない」らしい。そこまで詳しくは知らないけれど、後に続くミュージシャンたちとも積極的に共演するなど後輩の育成にも力を入れていたようだし、形として残るもの以上に影響を与え、功績を残した人なんだと思う。理屈じゃなく、音楽に触れて慕われるということはミュージシャン冥利に尽きるんじゃないかと思う。
 BBSのページでも紹介のあった『木のいのち木のこころ(天)』の西岡常一さんもその本の中でおっしゃっているように、「出来上がった仕事は嘘も隠しようもなくその人の腕のまま」だ。それは半端じゃない心構えを持っていないとなかなか言えるセリフじゃない。仕事の成果が後世にまで残るということは当然のことなのに、「今」を強く意識するあまり意外と注目されていないことのような気がする。それとも後世に残るというのは結果であって、「今」を生ききることに全神経を傾けていればいいのだろうか? ぼくはどうだろう? どうもこうもない。嘘もつきたくないし、自分の作品をコソコソと隠すようなマネもしたくない。ならばそれだけの覚悟を持って取り組まないと。……ナントカ生命のCMみたいになってしまった。でもまぁ、あんまり力んでもよくないだろうから、やっぱりいつも通りにいこう。

2005年2月11日(金)
しぶくた。

今日はしぶくただった。「しぶくた」というのは、今日みたいに雨が降るでもなく、でも今にも降りそうで、寒いというよりはむしろ冷たい日、だとぼくは思っているのだけどイマイチ自信はない。勝浦弁だとは思うけど、勝浦でもあんまり聞かない。うちの母さんが使っているところしか聞いたことがないような気がする。
 言葉は小さい時に親や周りから聞いて覚えていくのが一般的だと思うけど、初めの頃は勘違いや思い込みがたくさんあったはずだ。聞いたことはあってもはっきりと意味や使い方を知らなかったり。でも親から、そうじゃないんだよ、それはこういう時に使うんだよ、と指摘されて自分の間違いに気がついて、そうやって一応「正しい」ボキャブラリーが形成されていくんだと思う。だから、「しぶくた」のように地元と思われる土地でも頻繁に聞かれる言葉じゃなく、しかも晴れの日や雨の日、あったかい日には使わないのだからそもそも使用頻度が低く、そうなると間違って、あるいは若干のニュアンスを捉え損なったまま覚えてしまっていても、「そうじゃないんだよ」と指摘される機会が少ないために正しく継承されていかないことになる。「しぶくた」という言葉を聞いたことのない人に言葉で説明するのはぼくには難しいけれど、でも「しぶくた」と聞けばぼくには具体的で個人的なイメージが懐かしい匂いとともに浮かび上がる。そんな言葉が、もしも正しく継承されていかずに廃れていくならば、それは哀しいことだと思う。
 ぼくは自分のボキャブラリーの中に、地方色の強いものなのかそれとも都会でも十分に通用するものなのか、判断に困るものがたくさんある。ものすごくたくさんある。そういう単語を実際に使う時には気を遣うけれど、気を遣うのと同じレベルの愛着を感じていることも事実だ。「しぶくた」もその一つです。

【しぶくた】雨が降るでもなく、でも今にも降りそうで、寒いというよりはむしろ冷たい日。 「今日は〜やな」、「昨日は〜やったな」

2005年2月10日(木)
傘をさす基準。

今日は雨も降っていないのに傘をさして歩いている人を5、6人見かけた。昨日の夜は少し雨が降ったみたいだし、今日も確かに雲行きは怪しかったけれど、降ってはいなかったのに。立ち止まって空を見上げ、しばらく突っ立ってみたけれど、やっぱり降っていなかった。
 ぼくは少々の雨なら傘をささない。カバンを持っていれば折りたたみの傘を放り込んで出かけることもあるけれど、折りたたみの傘はほとんど使ったことがない。たとえば駅からなら、折りたたんでいる傘を広げている間にさっさと歩けば家に着きそうに思う(もちろんそこまで近くはないんだけど)。それに広げて使った傘を狭い部屋の中に広げて乾かして、そしてまたきちんと折りたたむ手間を考えると、ちょっとぐらいなら濡れながら帰ろうかと思ってしまう。でも、靴の中に雨が滲みこんでこられるのは困る。あれはぐじゅぐじゅと気持ちが悪い。その辺が、ぼくが傘をさす/ささないの基準になっている。雨の程度と目的地までの距離を考えて、靴の中にまで滲みこんできそうであれば、傘をさす。大丈夫そうなら濡れながら帰る(だから夏にサンダルで出かけた時なんかは濡れながら帰ることが多い)。そして今日みたいに雨が降っていない日は、もちろんささない。

2005年2月9日(水)
リスペクト。

E.クラプトンが、二作連続でロバート・ジョンソンの曲をカバーしたアルバムを出している。ライナーノーツに自ら、「わたしはこれまでの人生を、ただひとりの男だけに衝き動かされ、揺り動かされるようにして生きてきた」と書いている。スローハンド、ギターの神様と呼ばれて久しいクラプトンがこうまで言い切り、今なお追い続ける対象がいるというのは、クラプトン本人にとっても刺激的なことなんだと思う。その証拠に、還暦を迎えてなお常に前作を上回る、あるいは前作とはまったく趣向の異なるアルバムを出し続けている。今回の『Sessions For Robert J』ではドイル・ブラムホールUという若いギタリストも起用されていて、他の誰よりもクラプトンの近くで演奏しているのが印象的だ。クラプトンがR.ジョンソンを見てきたように、今度は彼がクラプトンをそういう対象として見ていくのかもしれない。
 ぼくは大学に入った当初、二つ上の先輩を見てすごいと思ったことがある。努力家で、常に上を目指している方で、その思いは尊敬の念にまで発展しそうな勢いだった。それまで家族以外の人にそこまで影響を受けたことがなく、ある意味でぼくの自立心の表れか、と思ったりもした。だけどそれは一つの分野でのその先輩のすごさを見たに過ぎず、もっと落ち着いて全般的にその方を見た時に若干の疑問を抱くようになり、それでも一つの基準として意識し続け、最終的にがっかりしたことを覚えている。尊敬するということは、盲目的になってしまうと危険だなと反省するきっかけとなった。尊敬する人を持つと、自由な発想ができなくなるような気がしたからだ。でも、それで自由な発想ができなくなるなら、結局はぼくがそれだけの発想力しか持っていなかったということでしかなく、それを誰かを尊敬していたからだと考えるのは甚だしい見当違いだったと、今では分かる。
 尊敬する人物なんて意識して探したり見つけたりするようなものじゃないと思うけど、ちょっと羨ましい関係ではある。

2005年2月8日(火)
共演。

『ブラック・レイン』の後、松田優作の下にデ・ニーロから共演依頼が届いたという。尾崎豊は音楽活動のほかに小説も書いていて、親交のあった俳優の吉岡秀隆主演で映像化する予定だったという。実現していたら、と考えるだけでワクワクしてくる。そう簡単には妥協せず、決して自分に負けたりしない個が二人寄れば、すごいパワーが生まれそうだ。映画や音楽、スポーツの世界では先人たち、あるいは他の地で活躍する同世代のヒーローをリスペクトする姿勢がぼくたちにも分かりやすい形で在って、そういう純粋な気持ちに始まる「共演」は、見ていてとても楽しい。演っている人たちの内から込み上げてくるものが、見ているぼくたちにも伝わってくる。馴れあいのわざとらしさがない。
 ぼくは小さい時に野球をやっていて、その時は目標がものすごく明快だった。試合に勝つことだ。そのために練習をして弱点を克服し、大会での優勝はその延長線上にあった。打率を上げることではなく、試合に勝つこと。次の大会に進むことでもなくて、次の試合に勝つこと。そしてその目標を達成するために、お手本となる人がいた。身近なところで言えば一つ上の先輩で同じポジションの人だったり、もしくはTVでしか見たことのない同じポジションのプロ野球選手。目指す目標を明確にして、それでいてある程度の幅と柔軟性を持たせることができれば、単純に争うだけではなく、リスペクトという視点を伴ったものの見方ができるようになるのかもしれない。自分の目標を達成する上で、いつかはあの人と一緒にやってみたい、あの人の話を聞いてみたい。そんな関係は、本気を出している者同士のみが持ち得るもののような気がする。
 いつか誰かがぼくの存在に気がついて、ぼくと一緒に何かに挑戦したいと思ってくれるといいな。そういう時が来ることを夢見ながら、今は自分の分野でやるべきことに集中しようと思っている。このHPのタイトルを複数形にしているのも、そういう理由からです。もう一人のWild Heartは今、東京で頑張っている。三人目、四人目のWild Heartが出てきてくれると、さらに刺激になるはず。

2005年2月7日(月)
積極的な我慢。

昨日の女子テニス、東レ・パンパシフィック・オープンの決勝戦を観た。シャラポア選手は世界ランキング一位の試合巧者ダベンポート選手にオープンスペースを作られてはそこを狙われ、それでも諦めずに追いかけては拾い、時にはラケットを左手に持ち替えてまで打ち返そうとしながら、自分のペースに持ち込める時間帯が来るまで我慢していた。そしてタイブレークに持ち込み、接戦の末に勝利した。その執念は、妖精なんていうイメージからは程遠かった。
 第一セットの間はコタツに入ってパンとか食べながら観ていたのだけど、(白熱した試合にそれでは両者に失礼だと思って)後半はバランスボールの上で観た。

2005年2月6日(日)
苦手。

映画も小説も、怖いのが苦手です、ということを口にするのもダメなぐらい苦手です。それなのに、先日怖い小説を紹介されました(なんてことをしてくれるんだ……)。
 デ・ニーロが好きで特に何も考えずに映画館に足を運んだ『ケープ・フィアー』に全身が硬直してしまうかと思うぐらいの寒気を覚え、全然怖くないからといって笑顔ですすめられた『シックス・センス』を見た時はベッドの下とかが異常に気になり、『羊たちの沈黙』なんてもってのほかだし、M.ダグラスの『ゲーム』も途中で何度やめようと思ったことか。あんなにかわいらしいファンタジー、『シザーハンズ』でさえあれは怖い映画だと思い込んでいて最近まで見たことがなかった。大学の時にクラブで合宿に行って夜に集まって怖い話になった時も、ぼくはその場にいながら必死で他のことを考えて話なんか全然聞いていなかった。こうやって書いているだけでこれまでに見た怖い映画、これまでに聞いた怖い話を次から次へと思い出して怖くなってくる。今もとりあえず自分の背後を確認しておいた。やばい、やばい。そういえば小さい時は怖い夢もよく見た。そういう夢はなかなか忘れない。いまだに覚えている。小さい時はサンタさんを思い浮かべると、ものすごくリアルなおじいさんがニヤリと笑っていて、それも怖かった。
 でもぼくなりの怖いもの克服法も実はあって、それは最後まで見る、読む、聞く、ということだ。下手に途中で逃げ出したところですでに怖い気分にはなっているんだし、そこから先をどんどん自分の想像で膨らませてしまうだけだ。自分で想像するぼんやりとした、それでいて強烈に怖いイメージほど怖いものはない。だから、そういう時は覚悟を決めて最後まで頑張れば、それは確かに怖いけど怖いなりに話としては完結するので、想像した場合ほど広がりを持つことはない。今回も紹介された本について書かれた書評やレビューをいくつかすでに読んでしまったので、なんとなくではあるけれど大体の話の筋は分かってしまい、そうなるとぼくの想像力はどんどん怖い物語を造り出してしまう。だから、ぼくはその本を読むかもしれない。引きとめるなら今ですよ!

2005年2月5日(土)
エアメール。

体が鈍ってきたような気がして、久しぶりに走ってきた。何日ぶりだろう? しばらく走っていないと、走り始めて体が温まってくると血のめぐりがよくなるからか、太ももの辺りがかゆくなってくる。そういう段階をクリアすると、いい感じに体がほぐれて大変心地いい。最近は余計なことで集中力をそがれないようにと思って、下手をすると部屋の中での方がたくさん着込んでいるぐらい寒さ対策をしているのだけど、それでもやっぱり体は知らず知らずのうちに強ばっているようで、久しぶりに体を動かして気持ちよかった。
 帰ってきて郵便受けを確かめると、エアメールが届いていた。差出人の名前が書かれているのかなと思う箇所がかすれていてよく分からなかったが、前の会社で世話になったミーガンか、キャサリンか、パットか、二コールか、と懐かしい顔を思い浮かべながら開封すると、な、な、な、な、なんと! ブレンダン・オキャロルからだった。『マミー』の翻訳の際に直接連絡を取ることもなかったのだけど、続編はもちろん他の作品も大好きで、だからぜひご挨拶をと思って原作の出版社経由で手紙を出したのが一昨年の夏。その返事というわけでもなさそうで、なんで今頃??? という感じもあるのだけど、とても嬉しかった。日本で翻訳したことに対する礼状だった。自分が出した手紙は翻訳者から原作者への挨拶ではあるけれど、自分ではそれ以上にファンレターに近いニュアンスを込めて書いたので、読みながらニヤニヤしてしまった。読み終えてもニヤニヤしていた。今も机の上のメモスタンドにカードを立てかけて、ニヤニヤニヤニヤしている。何としても『チズラーズ』を頑張ろう。

2005年2月4日(金)
寝坊した。

朝目が覚めても寒いし、羽毛65%の布団はあったかいし、まだ目覚ましが鳴らないことをいいことに、ずっと布団の中で丸くなっていた。目覚ましより早く起きることがぼくの得意技だったのに、最近では目覚ましに起こされることが多くなっていて、それはそれでまだ十分に眠るだけの体力があるからだとか、そんな言い訳をして慰めていたんだけど、今日は久しぶりに目覚ましよりも早く目が覚めたことを密かに喜んでいた。喜んでいたらいつの間にかまた寝てしまって、それでもずっと目覚ましは鳴らなかった。いつだったか派手に蹴飛ばして壊してしまって自分で修理した目覚ましは時々おかしな時間に鳴ったりするので、最近は専ら携帯の目覚まし機能を使っている。次に目が覚めて、まだ目覚ましが鳴った気配がないのでおかしいと思ってその修理した方の本来の時計を見ると、とんでもない時間になっていた。びっくりして飛び起きた。マンガみたいだった。びっくりして飛び起きることってホンマにあるんや……と思った。携帯は充電が切れていた。毎週金曜日に図書館で開催されているシネサロンも諦めた。『愛と青春の旅立ち』の予定だったから見たかったんだけど、今月末ぐらいにTVでもやるみたいだし、昨夜あたりから(他の理由でだけど)諦める気持ちを準備し始めていたので、それほど悔しい思いはせずに済んだ。別に寝坊して誰かに迷惑をかけるような生活はしていないけど、とても腹立たしい。情けなくなってくる。うぉぉぉ〜っ!
 寝坊は去年の10月1日、堀江さんの出港式に行こうと思っていた時にもやらかしてしまった。堀江さんは、すでにケープホーンを通過し、現在では残りの行程の方が少なくなっているそうです。順調そうで何よりです。五月二十日に新西宮ヨットハーバーに戻ってこられるまでに、ぼくも何かしらを成し遂げていたいと思っている。五月の下旬といえば、ちょうど今取り組んでいる翻訳が終わる頃だ。それを確実に終わらせることと、あと三冊目となるべき本を探して軌道に乗せられるようにしようか。うん、そうしよう。
 寝坊みたいなしょうもないもんとは今日でバイバイだ。

2005年2月3日(木)
方言。

那智の滝が凍ったとニュースでやっていた。落差133メートルというのは日本一で、水が落ちて途中で出っ張った岩とかにぶつかって飛沫になって凍りつくみたいだった。那智の滝にはよく行った。車で那智山の麓あたりまで行くと、そこから大門坂という古道があって、滝の見えるところまで続いている。鬱蒼としていて、日が暮れると怖かったことを覚えている。
 出身はどこかと訊かれると、だいたい「和歌山の那智勝浦町です」と答えるのだけど、あまり知られていない。東京の人だけでなく、大阪や兵庫の人でも知らないことが多い。で、那智の滝とかがあるところだというと、聞いたことぐらいはあるみたいだ。それで、「紀伊半島をぐるっと回ってちょっと向こう側まで行ったところです」と答えると、「へぇ、」と言ってあんまりピンときていないような表情をされる。それなのに東京でも大阪でも、「関西人」と一括りにされることが多い。そう言われると今度はぼくの方が抵抗を感じる。なんせ新大阪から特急電車に乗って4時間もかかるところだ。高校を出て西宮に出てきた時も、言葉の違いに少し戸惑いを覚えた。ぼくたちの地元では、駅が一つ離れていると違う方言をしゃべっていた。だから小学校ぐらいの時はまだ大丈夫だけれど、中学、高校と校区の範囲が広がるにつれて、みんな友達のしゃべる言葉をおもしろがっていた。「〜している」というのを「〜しちゃぁる」という和歌山市出身の先生の言葉なんかおかしくてしょうがなかった。
 働くようになって、東京の人たちとも一緒に仕事をするようになると、「伊達くんは関西弁じゃないよね、どっちかというと東京弁に近いんじゃない?」と言われることが何度かあって驚いた。それは群馬出身の先輩と大阪出身の上司に言われたんだけど、横でその発言を聞いていた埼玉の先輩が、「そんなの全然違うよ!」と憤っていた。別にぼくが自分で「東京弁みたいでしょ?」と言ったわけでもないのに、なんとなく恥ずかしかった。東京外大では東京の人だけでなく大阪の人もいて、そこでもぼくは東京のしゃべり方でもなければ関西弁でもないという中途半端な感じを味わった。
 もともとの方言のままでは、目上の人に向かって丁寧にしゃべることが困難な感じがするので、先輩ができたり上司ができたりして、どうにかサバイバルしてきた結果だと思う。正月や夏に実家に帰ると、自然と方言に戻っている。でもうちは母さんが勝浦で、父さんが少し離れた古座で、駅でいうと五つぐらい離れているので、両親も微妙に話し言葉が違っている。しかもぼくは小学校1年から4年まで本宮で育った。そこは電車が通っていなかった。ぼくはおそらくその三つの地域の言葉をごちゃまぜにして使っている。そしてそれが、ぼくには今でも一番心地のいいしゃべり方だ。

2005年2月2日(水)
『卒業』。

ダスティン・ホフマンの『卒業』を観ました。何度も観ているはずなのに、どうも内容をはっきりと覚えていられません。サイモン&ガーファンクルの歌うテーマソングとか最後のシーンはよく覚えているのに、どういう人物が出てきてどういう関係になっていて、どうして最後がああいう展開になって、そもそもD.ホフマンの役どころは一体どういう設定だったのか、すっかり忘れてしまいます。そして今日、そういったモヤモヤがすっきりしたのと同時に、どうして覚えていられないのかも何となく判りました。あのD.ホフマンが大学を卒業したばかりの21歳という設定だからです。あり得ない……。だから混乱してしまうんだ。『卒業』から12年後の『クレイマー、クレイマー』でも、21年後の『レインマン』でも、あのままの風貌のD.ホフマンがいました(あり得ないという点では、『理由なき反抗』のジェームス・ディーンが16歳というのも、同じぐらいかそれ以上にあり得ない。お金持ちの息子で、不満を抱えているという境遇も似ているが、丸っきり対照的な二人だ)。
 でもそんなことを言っている自分の周りを見渡してみても、絶句するか引き返してしまうぐらい見た目と年齢がしっくりこない人は結構います。何かと大変なことも色々あるだろうなと察します。ぼくは逆に昔から年齢より幼く見られることが多く、それはそれでけっこう気を遣います。ぼくは言葉遣いよりも接し方が気になる方なので、別に言葉遣いだけを取り上げてどうこう言うことはないのですが、自分より年下の相手がぼくのことを年下と思いこんで話しかけてきて、でも話が進むにつれてその人も自分が勘違いしていたことに気づいて、自ら徐々に言葉遣いとかを改めていこうとしているということが度々あります。そんなこともあるので、早い段階で自分の年齢を明かした方がいいのか、でもそれは年齢による絶対的な上下関係を意識しているようにも受け止められかねないし、それはぼくの意図するところじゃないし、かといって後で訂正すると人によってはバツの悪い思いをさせてしまうことになるのかもしれないし、難しいです。
 同じような難しさは、車の運転をしていてもあります。たとえば細い道などで対向車に先を譲ってあげた時に、自分はどこを見ていればいいのかといつも困ります。相手は軽く手を上げるなりして会釈するかもしれないから相手のドライバーを見ていないとせっかく会釈してくれても気づかずに無視することになってしまって失礼だし、でももしかしたら相手のドライバーは会釈なんかしないでさっさとすれ違って行ってしまおうとするかもしれず、そうであればドライバーの目を見ていたぼくは会釈を要求していたみたいで押し付けがましい頑固者みたいだし、これも難しい。
 まるで『卒業』とは関係のない話になってしまった……。でも、こういった感じのぎこちなさから抜けだせないのがD.ホフマン演じるベンジャミンの特徴でもあった、というのは少し強引なこじつけかもしれないけれど。

2005年2月1日(火)
さすが二月。

さすが二月だ。さっそく朝から雪が降っていた。寒さが尋常じゃない。うちの父さんなら「じんこじんこする」と言っているはずだ。風の吹き方も強情で、強風が吹きぬけたかと思えば町全体に吹きだまっているみたいに大量の木の葉を巻き上げていったり、寒がり泣かせな一日だった。二月は寒いけれど短いのが救いだ。早く春になればいい、……とは思うけど、それはなんとなく時間の大切さを軽視しているみたいなので思わないようにしている。冬の間にしておかないといけないこと、あるいは冬の間だからできること、冬の間にしかできないこともあるはずだ。
 昨日はどういうわけか、色んな方から便りをもらった。寒くなってきたから身体を大切にね、とみんな労わってくれていた。嬉しいなぁ。手紙をもらったりメールをもらったりというのは今のぼくには大変心強い。新着メッセージは15分ごとにチェックするよう設定しているのだけど、次のチェックが待ちきれなくて手動でチェックすることもあるぐらいメールを待ち焦がれている。届くあてのないメールまで待っている。だから昨日は嬉しかった。泣いたろかと思ったぐらい。
 今ぼくは、(腰の調子はイマイチだけどそれ以外は)気力体力ともに充実しているような気がする。だからといって余裕をかましているとヤバイので気は引き締めているが、風邪なんか引く気がしない(だから心配しないで)。なんか知らんけど漲ってくる。「明日試合か?」と思うぐらい。時々こういうことがある。こういう状態が日常になればいいんだけど、こういう状態は滅多にない。

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