Diary
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2005年3月31日(木)
モグラマン。

夕べ寝る前に寺山修司の『書を捨てよ、町へ出よう』を読んだからというわけではないけれど、梅田に行ってきた(読んだからというわけではないじゃなく、用事があったからです。読む前から行く気満々でした)。『書を捨てよ、〜』はまだ第一章しか読んでいないので何とも言えないけれど、いつ書いたのかなぁと思う。血気盛んというか、丸ごと賛同することはできないけれど、それでも自分の内で肉体を破ってでも外に出ようとするぐらい大きくなる「気」のようなものを持て余している様子が痛いほど分かる。根底に流れる、小難しい大義とかじゃなくてもっと素朴な願望なんだ、というような根源的な動機は、確かに理性で押さえつけられるものじゃないと思う(ここでは「理性」じゃなく「嫉妬」と表現されていたけれど)。大人になるということが大人しくなるということとすりかえられているんじゃないかというやるせなさなんかも、びんびん感じられる。びんびん感じられた。そういう意味では、ぼくはとても共感できる。切実なまでに共感できる。
 そんな本を電車の中でも読みながら、梅田に着いた。用事があるといってもぼくの場合は大体において、そして今日も相変わらず、ブックファーストとヨドバシカメラとジュンク堂書店、そして今日はそのいつものルートに阪神百貨店をプラスして、その四つは地上に出ることなく行き来できる。書を捨てよ、と言われて書を捨てるどころか書を求めに行き、さらに町に出よと言われて町に出たもののそこは地下の世界で、これじゃダメだと思って地上に出た。以前東京の先輩が、大阪は地下街が広すぎると言っていたことがある。ぼくもどちらかと言えば大阪の方に慣れているので意識したことはなかったけれど、そう言われてみれば、東京よりもずっと地下街が発達している。どこまでも続いている。至るところに階段があって地上に出られるからいいけれど、考えてみれば結構怖い気もする。言ってみれば地下街の住民みたいなものだ。平日でも週末でも、いつ行っても地下に人がうじゃうじゃしている。そして終電を過ぎる頃には、誰もいなくなる。大きな荷物とかを持っている時は雨が降っていたりすると外を歩くのは面倒だし、地下でつながってくれていて良かったね、なんて呑気に言っているクセに、勝手なもんだ。そして外を歩くと、排気ガスがすごかった。文句を言い出したらキリがない。部屋と阪神電車と梅田の地下街。最近のぼくは太陽を知らない。

2005年3月30日(水)
オウンゴールの思い出。

日本がバーレーンに1−0で辛勝した。その1点は相手のオウンゴールだった。日本がずっと攻めていたし、ゴール前でのプレッシャーがあったからこそオウンゴールという結果に結びついたのだと思うけど、そういう勝ち負けとか試合内容とは別のところで、ぼくはオウンゴールを思うと哀しくなる(特にオウンゴールの経験や思い出があるわけじゃないけど)。でもエラーは何度かある。小学校4年生の時は兄が投げている時にライトを守っていて、何でもないライトフライに追いつかずに相手に得点を許してしまったし、中学1年の時には(またしても)ライトを守っていて、キャッチャーからファーストへの牽制球が逸れた時にカバーが遅れて外野の深いところまでボールが転がってしまい、それを追いかけている間にファーストランナーがホームインしてゲームセットになったこともある。中学2年では緊迫した試合の途中からリリーフとしてマウンドに上がって、バコバコ打たれてあっけなく負けた。しかもそれは3年の先輩たちの最後の大会の最後の試合だった。辛い辛い思い出だ。そういう、普通なら起こらないことが(たとえばその日限りの不注意や不調といったことが理由で)起きて、しかもそれが直接的な原因となって負けてしまうと、ガクガクと膝からも腰からも力が抜けてしまう。へなへなと座り込んでしまうというのは、本当にある現象だ。それまでやってきたこと、自分だけじゃなくてチームとしてやってきたことが、ものすごく虚しく感じられる。自分の周りにさぁ〜っと膜が張って包まれたみたいに、目の前のものが遠く見え、遠く聞こえるような感じになる。やってしもうたぁ……、というやつだ。一つのエラーやプレーだけが切り取られて取り上げられるものじゃないとは思うけど、サッカーや野球はチームでやるスポーツなので結果を受け止めないといけないのは自分だけじゃないから、本人にすればとりあえず大変なことをしでかしてしまったとしか思えない。だからこそ、何もかも全部を自分ひとりで完結させられる種目や環境がいいと思ったりすることもあるけれど、それは逆に甘えた発想であって、チームスポーツのいいところは、そんな一つのエラーでその選手をどうこういうようなしょうもないメンバーがいないというところだ。少なくともいいチームというのはそういうもののような気がする。気を遣うとかじゃなく、それまでの練習や試合や全ての経験を共にしてきた過程で、本気でそう思えるようになる。ぼくは特に上級生に混じって出ていた時のエラーだったから、申し訳なくて申し訳なくて、どんな顔をして何と謝っていいのか分からないままにベンチに引き上げたのだが、先輩たちは実に清々しく翌年の奮闘を祈ってくれた。同じチームのメンバーだったり、対戦を通じて知り合った相手選手とは、それ以外の人たちには分かりようもないつながりみたいなのが芽生える。ということを経験し、頭でも理解した上でなお、オウンゴールやエラーには切なくなる。それにしても今日の試合は勝って良かった。

2005年3月29日(火)
熊野の郷。

昨日で今月分として予定していたところまで翻訳が終わったので、昼過ぎから温泉に行ってきた。平日のお昼から温泉です。去年の暮れに株式会社キナンという地元の会社が店舗名を「熊野の郷」として鳴尾浜に作ったようで、兄が送ってくれたチケットとバスタオルを持って一人で出かけた。下駄でもつっかけて行きたい気分だったけど、持っていないので普通に靴を履いて出かけた。阪神甲子園駅から無料のシャトルバスが出ていて、10分ぐらいで着いた。黒っぽい床や壁が上品で、老舗の旅館に来たみたいな印象を受けた。平日の昼間だというのにそれなりに混雑していて、ほとんどがおじいちゃんだった。いつもは病院のロビーが集合場所やったけど、こっちの方がええなぁ、みたいなノリで、とても楽しそうな5人ぐらいずつの集団が3組ほどいた。ジェットバスや遠赤外線サウナ、露天風呂など、アトラクション的に面白そうなところは全ておじいちゃん軍団に占領されていた。初めのうちこそぼくも新入りだからと思って遠慮していたのだけど、遠慮をすることもタオルを腰に巻くこともなくいつまでもだらだらと陣取っている彼らに何を遠慮なんかする必要があるだろうかと思い、一つだけ空いているジェットバスや、少しだけスペースがあった遠赤外線サウナ室に、どんどん入っていってやった。おっ、なんな、この若いの? みたいな顔をされたかどうかは知らないけれど、そうでもしないと普通のお風呂に入っているしかできなかったんだからしょうがない。ああいう場合は、色んなことを気にすればそれだけ気分も悪くなるので、心を無にして存分に手足を伸ばして楽しんでやった。露天風呂では、文庫本を読んでいる人がいた。なかなかやるな! と思った。それからぼくはジェットバスに入ったりサウナに入ったりした後で再び露天風呂に行くと、まだその人は本を読んでいた。体はほんのりピンク色を通り越して、「大丈夫ですか?」と声をかけたくなるぐらいに赤くなっていた。もちろんそんな無粋なことをぼくがするわけもなく、その人もぼくの心配をよそに黙々と、あるいはぽたりぽたりと(汗を垂らしながら)、ページをめくっていた。そういえば今気がついたけど、ポカポカに温められた石板の上に寝転んで、ゆっくりカラダを芯から温める今話題のストーン・スパに行くのを忘れた。精神安定とリフレッシュに効果があるとされるマイナスイオンを発生するトルマリンと、生体電流を整え痛みの緩和に効果があるとされるゲルマニウムを使用した波動の大きい峰蘇石を使ったやつなのに。ゆっくりとカラダを温めて大地のヒーリングパワーを体感しようと思っていたのに。それはまた来月の楽しみにとっておこう。いずれにしても、温泉はやっぱり気持ちよく、風呂上りの甘〜いコーヒー牛乳もおいしく、前出のおじいちゃんたちも仲のいい友達を誘って楽しい時間を過ごしていたのだろうから、それをだらだらと、なんて悪いように思ってしまった未熟な自分をちょっと反省した。ちょっとだけ。

2005年3月28日(月)
jd ザ・マウンテンマン。

もう三月も終わりに近づいてきた。早いなぁ。この間、梅田のGAREにあるモンベル・ショップに行ってきた。カヌーをするようになってから何度も通うようになった店で、カヌー関連だけじゃなく、たくさんのアウトドア用品を置いていて、扱っているハイテクTシャツは着心地もいいし機能的にも優れものだし、店員さんたちもみんなその道のプロが集まっていて親切に色々と教えてくれるので、オススメです! 見ているだけでも楽しくて、以前は頻繁に通っていた。
 今回は夏の富士登山のために、靴について色々聞こうと思って入った。何年だったか前に登った時は、富士登山についてあまりに無知だった。あれだけ高い山に登るのだから、きっと汗だくになるだろうし、と思ってTシャツ一枚ぐらいで登るつもりだった。寝る時のためと万が一の雨を考えて、薄手のセーターとビニールのかっぱを持っていたからまだ良かったけれど、夜にはぐんと気温も下がるし、あんな装備で登っている人はもちろんいなかった。それに靴は、確か当時買ったばかりでお気に入りだったチペワのブーツを履いていった。重くて重くて、途中からは一歩一歩が必死だった。もっと軽いのを履いていくべきだったんだろうなぁと、服装以上に反省した。だけど、モンベルに並んでいたハイキング/トレッキング用のブーツも、かなり重かった。重さで踏み込んだ時の安定感が出るということだ。なるほど。富士山のように細かい砂利で足元が不安定な場合は、さらにくるぶしまできっちりホールドするハイカットじゃないと捻挫をする人も多いらしく、そういう点ではチペワのブーツは理想的だったんだ。やっぱり専門家の意見は聞くべきだなぁと改めて思った。次に登山用として買うなら、と勝手に思い描いていたイメージはむしろ近所を散歩するようなウォーキング用といった感じで、そのまま買っていたら、また反省するところだった。
 もう数年前になる前回は今よりずっと体力もあったはずだけど、それでも最後の方はかなりへばっていた。幸い、近くには六甲山もあることだし、近いうちに靴を購入して足慣らしも兼ねて、しばらく「ぷち」マウンテンマンになりきってみようと思う。

2005年3月27日(日)
終わり方。

映画を観たり本を読んだりしていて、終わり方の大切さ、みたいなことを考えることがある。結末に近づくにつれて途中までの盛り上がりが嘘のように萎んでいったり、終わらせるために終わっていくように感じてしまったり、続編あるいは完結編として作られた作品がイマイチだったりすると、やっぱり印象として良くなくなってしまう。途中に不可解な部分があるよりも、終わり方が不可解な方が、残念だなぁと思う。ぼくは「創作」活動はしていないので今のところそれほど強くどうにかしないといけないという切迫感はないけれど、本を読んでいる時や読み終えた時に単純に感想を持つだけでなく、作者の意図を考え込んだりぐらいはする。残念だなぁと思ってしまったとしても、無責任な一読者、あるいは一観客が簡単に満足しないような結末にした意図は何なんだろう、というふうに。だから、残念だなぁ、と思うような映画や小説の方が、結果的に何度も繰り返し観たり読んだりしているかもしれない。そういう楽しみ方もありだ。
 でもそれは、「完結している」からこそできることなんだ。映画にしても小説にしても、作品として完結している。完結した世界(≒エピソード)として観ているし、読んでいる。映画が終わった後に主人公はどうしただろうなぁと思うことはあっても、そこからはさらにぼくの想像というフィクションの範疇になる。完結していないノンフィクションの世界としての代表が、ぼくたちの人生だ。ぼくたちの人生は、(もうしばらくは)続いていく。そういう基準で言えば、映画や小説とは両極端に位置していると言える。だけどもう一つの真実として、ぼくたちは映画や小説から生きる勇気や知恵をもらって、そこからヒントを得たりしながらエピソードを積み重ね、一つ一つのエピソードに納得ができるようにと願いながら毎日を過ごしている。だからそれぞれの終わり方については具体的に考えることができるけど、もっと大きな意味ではぼくたちは都合よく勝手に終わったりはできない。死んでも続くつもりで夢を見て、明日死んでも悔いはないという覚悟で今日を生きなければならず、しかもそれはずっと続いていく。あるいはそれを、ずっと続けていく。ぼくはこの日記に関してはいつまでも終わらせるつもりはない。終わる前に始めないといけないこともまだたくさん残っているし、始めたからには簡単に終わらせるわけにはいかないこともある。そういうノンフィクションとしてのぼくを、少しずつでも紹介していけたらいいなと考えているんです。

2005年3月26日(土)
疲れ目解消のススメ。

毎日毎日パソコンに向かっている。メジャーで測ってみたら、60センチぐらいしか離れていないところから一日中パソコンの画面を見ているわけだ。昔、TVを見るときは1.5メートルだったか2メートルだったか離れないとダメだと言って、TVから1.5メートルだったか2メートルだったか離れたところにビニールテープを貼られていた。畳の上に。そして当然ぼくたちは、空中はオッケーやろ? とか言いながら上半身を乗り出してできるだけ近くで見たりしていた。今はほとんどTVを見ないし、たまにつけても机のところからイスに座ったまま見たりするので、2メートルぐらい離れてはいるけれど、狭い部屋で2メートル離れると今度はその反対側に置いてあるパソコンにその分近くなるわけで、そうでなくてもパソコンというものは(キーボードがいくらワイヤレスとはいえ)、それほどディスプレイから離れて使うものじゃないので、普通に使えば60センチぐらいの距離から、しかもじっと見入ることになる。眼鏡を(最近、「めガね」と真ん中にアクセントを置くようになってきた。以前は「メがね」が普通だったのに。 ……いずれにしても眼鏡を)使い分けてはいるけれど、それでも良くないんだろうなぁ。しかも翻訳の休憩中には本を読んだりして、やっぱり目を使っている。せめて窓の外に山とかが見えれば、たまに目を休めたりもできるのだけど、あいにく窓の外にはすぐ近くに向かいのマンションと阪神高速が見えるだけなのでダメだ。ブルーベリージャムもずい分と前になくなった。目が疲れると肩も凝ってくるし、肩こりは体の歪みの原因にもなるらしいし、良くないことだらけだ。でもたぶん、目の周りやこめかみの辺りをマッサージしたり、体を大きくストレッチすることはいつの間にか習慣になっているので大丈夫だろう。VDT(Visual Display Terminal)症候群という言葉もあるみたいだけど、パソコンを使わないわけにはいかないので、知らないうちにまばたきが減少していたりしないように気をつけよう。みなさんも目は大切にしてくださいね。心の状態にも影響が出てくることがあるそうですよ。目の周りを指圧するときは、眼球をあまり圧迫したらダメみたいです。注意しましょう。

2005年3月25日(金)
わざわざ外からHPを更新する贅沢。

昨日パソコンを買って、エアエッジにも加入しました。だから、今日は外で日記を書いています。そして外から更新するつもりです、わざわざ。嬉しくて、というより嬉しがって。
 パソコンを初めて買ったのは会社を辞めて東京に行ってからだから、もう8年ぐらい前のことです。当時はぼくが勤めていた会社でもWindowsを搭載したパソコンが導入されるちょうど前後ぐらいで、EPOACEとかを使ってデータ処理をよくやらされていました。EPOACEは全く理解できなかったけれど、Windowsは分からないままに使っているとそのうち分かるようになってきて、ユーザーに大変フレンドリーだと思ったことを覚えています。そして会社を辞め、翻訳をする上で必要だと思って自分でもパソコンを買い、ダイアルアップでインターネットに接続できる環境を整えました。メールもとても便利でした。それからISDNに替え、芦屋に来てからはPCを今使っているスリムなデスクトップに買い替え、ADSLにしました。プリンタも複合機にしたので自分の部屋でコピーまで取れるようになりました。そして昨日サブノートを購入、とうとうモバイルです。携帯電話でさえほんの二年前までは持っていなかったのに。しかもこういう日記を自分のHPに載せているなんて。8年前には考えられなかったことです。だけど今では当たり前になってしまっています。むしろ、ないと困ります。ぼくは翻訳をするようになってパソコンを買ったので原稿用紙に書いていくというやり方は経験したことがないけれど、翻訳の進め方としては、パソコンが使えた方が圧倒的にいいはずです。だけど本当は、消しゴムを替えるタイミングに悩みながら原稿用紙にがりがりと書いては消し、原稿用紙を真っ黒、あるいは真っ赤にしながら、夏の日なら汗で紙が手に引っついたりしながら、麦茶のグラスの中で氷が溶ける音や風鈴の音色に耳を傾けたり、冬の日ならばたくさん服を着込んでその上にさらに「じゃぱにーず」を着て、ストーブの上にヤカンを乗せてお湯とか沸かしながら、机に向かいたかった。ぼくは時々、直接自分では知らない世界に憧れることがあります。現実逃避というには本気すぎるぐらい。その話はまたいつか。とにかく外出先からもHPの更新ができるようになっちゃいました。4拍子で言うと、「なっ、ちゃい、まし、た」。3拍子なら、「なっ、ちゃっ、た」。

【じゃぱにーず】半纏、綿入れ羽織のこと。いかにも日本的なので、うちでは(おそらく父さんの代から)こう呼ぶようになった。川口家限定。 「母さん、ぼくのじゃぱにーず、どこにあるん?」、「あんた、じゃぱにーず着とかんと寒いがんだ」

2005年3月24日(木)
猫曰く、

一、得難き機会は凡ての動物をして、好まざることをも敢てせしむ。
一、凡ての動物は直覚的に事物の適不適を予知す。
一、危きに臨めば平常なし能わざるところのものを為し能う。之を天祐という。
一、凡ての安楽は困苦を通過せざるべからず。

う〜ん、ホントその通りだ(この四つの真理は本編の文脈の中でこそ本当の意味を理解できるので、ぜひ読んでみてください! 抱腹絶倒です)。『坊っちゃん』にしても、この『吾輩は猫である』にしても、とても面白い。『坊っちゃん』は小さい頃になんとなく読んだことがあったけれど、『吾輩は猫である』の方は、冒頭の「吾輩は猫である。名前はまだ無い」以降は全く知らなかった。どうして知っている気になっていたのだろう??? こんな面白い作品を読まずして読んだ気になっていたなんて、恥ずかしい限りだ。坊っちゃんをああいいう性格に設定したり、猫を主人公に持ってきたりした時点で、もう面白くなるべくして面白くなっている部分があるように思う。もちろんそれぞれのエピソードや人物の相関なんかも大切な要素には違いないんだけど、やっぱり主役の魅力は小説に限らず、偉大だと思う(山田がいるからこそ岩鬼が魅力的に見えてドカベンが盛り上がり、清志郎がいてこそチャボはチャボであり得てRCは伝説になったんだと思う)。それにしても文庫本の表紙をぺらっとめくったところや前の千円札で見かけた作者は深く物思いに沈んだような浮かない顔をしていたので、きっと気難しい人だったんだろうなぁと思っていたけれど、この二冊を知ってしまった今では、もし会えたとしてもそれほど緊張せずに話せそうだ。え、ほんで夏目くんはどうなん? 猫、ホンマに好きなん? とか言いながら。もしも会えたら、さんざん千円札を山折り谷折りして遊んだことも謝ろう。

2005年3月23日(水)
消しゴムを捨てるタイミング。

先日、ようやく消しゴムを替えた。替えたといっても、もう何年も前に使いかけたまま引き出しの中にしまってあったやつに替えただけで、新しいのを買ったわけじゃない。で、この間その代わりにゴミ箱行きとなったのは、直径1センチもないほど小さくなっていた。それでも、いくらなんでもこれじゃみっともないから、という理由で捨てただけで、別に使っている分には不自由はしていなかった。消しゴムを本格的に使う機会というのは最近ではそれほどなく、今日はここまで翻訳が進んだ、という意味で行間に鉛筆で斜めに線を引いて、次の日そこから始める時に消すだけだから、軽くなぞるように一回擦ってそれで用は足りる。一日に休憩を何回か入れるので、3回ぐらい、多くて5、6回使う程度だ。だけど、誰に見られるわけでもないのに見栄を張って新しい(新しくはないけれど)消しゴムに替えてみると、それでもすでに使いかけなので半分ぐらいの大きさになっているのだけど、その大きさに驚く。机の上で余裕があるようにさえ見える。先代の消しゴムはいつの間にか鉛筆立ての後ろの方に転がっていっていたりして、落ち着きのない子供のようなかわいらしさがあったけれど、今のは使う時に「ちょっと失礼します」という感じがするぐらいどっしりと貫禄がある。頼もしい限りだ。
 ところで消しゴムを替えるタイミングは、難しいと思う。ボールペンのようにインクがなくなったという明確な使い終わりがないし、お茶碗のように割れて使えなくなることもないし、なかなか使い終わらないので失くさない限り買い替える必要もない。でも多分、今回のようにもうコロコロと転がるようになって、もう替えてもいいんじゃないかなと思った時が替え時なんだと思う。それが直径1センチだろうが2センチだろうが、そこまで使えば十分だ。それよりもそんなことをいつまでも考えていて何かが手につかなくなったりでもしたら、それこそ大変だ。
 それにしても、どうでもいいことを書いている比率が最近、高くなってきたような気がする……。

2005年3月22日(火)
洗濯完了。

昨日は早く寝たので、今朝はその分早く起き、しかも窓の外には雨、雨、雨。いぇ〜い! 今日は花粉も飛ばないだろう。雨の日は鬱陶しく感じる時もあるけれど、今日みたいにしっとりと落ち着いて感じられる時もある。きっと気分次第なんだ。勝手なもんだ。毎日生きていれば、いい日も悪い日もそりゃあるだろう。いい日はその日を楽しんで、悪い日でも悲しい気分なんかぶっとばしちまって、いい日を待ちながら頑張ればいいんだ。昨日のうちに体内に積もらせてしまった花粉は、今日の雨ですっかり洗い流そう。昨日ほとんど何もできなかった分、今日は一気に翻訳を進めたい。と張り切っていると、10時ちょうどに図書館から連絡があり、頼んでいた本が入っているという。朝のうちに昨日の残りの翻訳をして、昼過ぎに傘をさして図書館に足を運んだ。空き地の隅っこで、たんぽぽが五分咲きぐらいの黄色い花をつけていた。う〜ん、今日はなんだかいい気分だ。図書館の新聞コーナーで寝そべってソファを占拠しているおじさんのことも許せてしまう。たんぽぽは大好きだ。「ぽぽ」という部分が特にかわいい。小学生の頃、校庭の隅で葉を広げているオオバコを見つけて、黄色い花が咲くのを待ちわびていたことがある。どうやらたんぽぽじゃないと気がついたのは、ずい分と後になってからだった。そんなことはどうだっていい。とにかく今日は、一日すこぶる調子がよかった。こんな日はうれしい。

2005年3月21日(月)
鬼の居ぬ間に洗濯。

よく晴れた一日だった。いつもより少し早く起きた俺は、寝ぼけ眼のまま早朝の阪神電車に乗り込んだ。晴れ上がった空にいつになく気分もよく、梅田に出てショッピングとしゃれこむつもりだった。『ロックの感受性』を読みながら、時折車窓を流れる景色に目を休め、車内は三連休最後の一日を楽しむ親子連れで賑わっていた。すると、何かがおかしい。俺の何かがおかしいんだ。涙がぽろぽろ止まらない。ぽろぽろぽろぽろ止まらねぇんだ。鼻がぐすぐすする。ぐすぐすぐすぐすしやがるんだ。か、花粉症じゃねぇか……。花粉の飛散量が去年に比べて30倍とも言われている今年、迫り来る恐怖に怯えながらも昨日まではその兆候すらなく、ひそかに自信を深めつつあった矢先の出来事だった。まじかよ……。街には宇宙的なデザインのマスクをした連中がうじゃうじゃしている。そんなマネはできないと思っている俺に、優しく手を差し伸べてきた奴がいた。マツモトと名乗る黄色い看板が目印の、異常にテンションの高い奴らだ。「ぃらっしゃぃませぇぇぇぇええ!」と甲高く間の伸びた声で客を引きやがる。何年か前にも世話になったことがある。安くはないが、見事に症状を鎮めてくれる魔法のようなクスリを置いている。その時の記憶が鮮明に甦った。手に負えないこの症状から逃れられるなら……、俺は魅惑の黄色いマツモトに誘われるように店に入った。だが、成人(15才以上)は、1回1錠、1日3回、服用してください。服用間隔は4時間以上おいて……なんて小うるさい条件をつけてくるような奴らの言うことを律儀に守るほど、俺はこじんまりとしちゃいねぇんだよ、なんてな。俺は一人でくすりと笑い、店を出た。とりあえず症状を抑えようなんてセコいマネをするつもりはさらさらないんだよ。よっしゃ、体調改善だ! そして買いもんもそこそこに帰りの電車に乗り、部屋に辿り着くと玄関で服をバタバタと叩き、熱い風呂に入り、昨日買ってきていたイチゴでビタミンCを補給し、あったかい紅茶をいれて飲み、夜の翻訳セッションに備えた。 ……それでもダメだ、目がしぱしぱする。チキショー、こうなりゃ寝てやる。とりあえず寝てやる。明日は雨が降るらしい。雨が降れば花粉も大人しくなるだろう。花粉の飛ばぬ雨の日に翻訳。

2005年3月20日(日)
すごいな。……すごいか?

そうか、今日は三連休の二日目やったんか(相変わらず曜日とか祝日感覚に疎いわ)。春分の日ぃやもんね。ってことは明日からは昼の方が夜より長なるいうことやったっけ??? こういうのも「三寒四温」と一緒で、詳しい人と詳しない人がおるけど、ぼくは詳しない方やわ。春分の日ぃが祝日に制定されている理由として、「自然をたたえ、生物をいつくしむ」ことを趣旨としてんねんやって。祝日法に書いとったわ。国民の祝日は一年のうちにけっこういっぱいあって、それぞれに「趣旨」が設けられてるみたいやけど、小さい時は学校や家で教えられて、「趣旨」に合うような態度を(その日ぃに限らず)求められた(具体的に求められたわけちゃうけど、そんな雰囲気があったような気がする)。だけどある程度大きなったら、特に人から言われいでも、たとえば「自然をたたえ、生物をいつくしむ」気持ちはいつの間にか育まれてんねんなぁって思う。そう思たら、すごいな。
 ……ぼくは、すごいな、てよぅ思う。この日記書いとって、国民の祝日って年に何日あんねんやろ思て調べてみたら、14日あった。もっと多いような気ぃしとったから、恐る恐る計算してみた。会社に勤めとった頃、年間120日ぐらい休みがあった(そんなこと覚えとんのは、へぇ、三分の一も休めるんや……、ってかなり感動したからなんやけど)。そのうち土日が100日ぐらいで、お盆休みが5日で正月休みも5日やとしたら、残りがだいたい10日になって、なんせ雑な計算やから誤差はあるけど、だいたい合う。で、それを、すごいな、思た。国民の祝日は14日以上あるようには思たけど、じゃあ何日な言われたら、まるで見当もつかんかった。でも、大雑把にでも計算してみたら、大雑把にでも答え出るんや思て、すごいな、と……。ぼくはじっくり取り組むことができることと、取り組む前からフリーズしてしまうことがはっきりしとって、計算が伴うもんは後者なんよ。せやけど、土日が100日ぐらいで……、とかいうんのは計算いうほどでもないし、せやから、とりあえず苦手や思とったことでも実はぼくにもできることがあるはずで、今までもそうやって避けてきたこととかがあるように思う。避けてきたようなことを、何かのはずみでやってみて、意外に分かったりできたりしたら、すごいな、て思う。別にすごないのに。こういうとこが子供じみてて自分でもイヤやわ。せやからもっと落ち着こ思て。

2005年3月19日(土)
超高所恐怖症。

昼過ぎに外を歩いていると、空のずっと高いところ、雲よりもずっとずっと上の方に、白い月が出ていた。なんとなく、あそこに行くというのはどういうことかなと考えてみた。ロマンを感じてもよさそうなぐらいの想像なのに、あまりの高さに足がすくみそうになった。腰が抜けそうなぐらい。月に降りたって実際に歩いているところをシリアスに想像しても、メルヘンチックに足をぶらぶらさせながら月に腰かけているところを想像しても、本屋さんに向かって普通に地上を歩いていたぼくの視点からするとどっちにしてもとてつもなく高いところだし、(他にも誰かがいたとして)ちょっと冗談で後ろから押されたりすると、ぼくはとてつもなく高いところからまっ逆さまに落ちてしまう。昔よく見ていた堺正章の『西遊記』で、孫悟空が妖怪にやられるか何かで空高く舞い上がり、空を突き抜けて宇宙にまで飛んでいってしまい、そこからまっ逆さまに落ちてきて頭から地面に埋もれ、突き出た足だけピクピクさせているというシーンがあった。まさにそのイメージだった。足がすくむのももっともだ。こういうことがよくある。勝手に一人で想像して、怖がったり面白がったり。そういえば、毎日欠かさずにチェックしているサイトがあって、そこでも最近は月に関するエピソードが描かれているので、その影響もあったかもしれない。
 とにかくぼくは、超高所恐怖症(←「超」高所恐怖症ではなく、「超高所」恐怖症)かもしれないと初めて思った。

2005年3月18日(金)
What'd I Say。

ようやく『Ray』を観ました。二時間五十分を長く感じない作品でしたが、観終えてかなり複雑な気分になりました。描かれているレイ・チャールズに、とてもじゃないけれど好感が持てないのです。コーラスに女性を迎えては奥さんのことも省みずに取っ替え引っ換えし、周囲の注意にも耳を貸さずに惨めなまでにヘロインに溺れ、成功の裏側でやりたい放題のレイの日常が描かれていました。音楽のジャンルにも既成概念にも、人種差別にも負けずに囚われずにオリジナリティ溢れる音楽を発表できたのはヘロインに頼っていたからか、と勘ぐってしまいかねません。だけど幼い時に弟を亡くし、そのことにずっと責任を感じ、それと時を前後して自身は失明して暗闇に生きることを強いられ、それらが故郷を離れた後も成功を収めた後も、常にトラウマとなってレイの心を支配していたということもまた、事実のようです。そして何があっても目が見えないことを理由にしないようにと厳しく躾けられた母の優しい面影を、レイは大きくなってからも忘れることはありませんでした。人間としての弱いレイも、優しいレイも、意固地なレイも、深い深い苦悩を紛らしきれずにさらに苦悩するレイも、美化されることなく描かれていました。そういう全てをひっくるめた彼の人生そのものが彼の中で音楽となり、誰よりも何よりも音楽と共に生きることを選んだ彼の姿勢には、やはり誰も何を言うこともできないのだと思いました。
 それにしても複雑な感想を強要する映画だ。だけど「基本的に」事実に基づいた話なので、一人の人間の人生を振り返ってそれを単純に良かった悪かった、好きだ嫌いだと言えるはずもなく、そういう点では誠実な映画だったと思います。

2005年3月17日(木)
耳を澄ます。

それほど大げさではなく、喜びも怒りも、哀しみも楽しさも、全ての感情を包み込んだような曲に出会うことが、たまにある。聴いていて、これまでに経験した色んな感情をことごとくもう一度一気に経験させられたような、ずっと昔のモノクロの記憶の中の世界に連れて行かれたような気分になる。たぶんそれは、ぼくにも共感できる世界が歌われているということだと思う。そして、そんな曲に出会ったことで、また新しい喜怒哀楽を迫られる――。
 周りに音楽が流れている時、音だけを聴いているんじゃないと思う。音だけを聴かせているのでもないと思う。表情がある。「表現力」ということかもしれない。伝えたいことがあるんだ、という気持ちが声や表情を通して伝わってくる。そして、それが自分の感情を激しく揺さぶるような場合、土手っ腹にずど〜ん!……と響いてくる。しみじみと染み入ってくる。しみじみと激しく、鷲掴みにされる。喉元まで出かかっているのにあともうちょっとのところで思い出しきれない時のような、そんな居ても立ってもいられない気分になる。だからソワソワしてくる。その世界に没頭していたくて、集中しようと自分に言い聞かせながら、それなのに自分の足でどこかに向かいたい衝動に駆られる。そこまで魂を揺さぶられるということが、嬉しくて楽しくて、悔しくてしょうがない。共感できる世界というのは、その時点ですでにぼくの中にも存在していた世界ということでもある。でも、ぼくは気が付いていなかったということなんだ。もしくは、ぼくにはそれを表現する力がなかったということだ。でもやっぱり表現力だけの問題じゃない。表現する前に、自分をどれだけ知っていたかということだ。自分の気持ちにどれだけ耳を澄ましてきたかということだ。突き詰めようとすると、イ〜ッとなってくる種類のものがある。内面の世界がその最たるものの一つのような気がする。ぼくにとってはそうだ。無限の広がりを感じながら、暗闇の中だったり薄い膜のようなものに包まれていたりして、一つ一つを確認していくことがなかなかできない。これからは「耳を澄ます」ということをテーマに、日々を生きてみようと思う(なんて地味なんだろう……)。自分を知ろうと意識することは今さら初めてではないけれど、これまでは甘かった。もっと深く、もっともっと貪欲に。イメージは、澄ました耳、内面に向けた目が『マトリックス』に出てきたイカみたいな敵機のセンチネルで、自分の心の一番奥で蠢くものがネオやモーフィアスが乗り込むネブカドネザル号だ。センチネルは潜んでいるネブカドネザルを見つけたぐらいでは満足せず、ぺったりと張り付き、がしっとしがみつき、メリメリと外皮を剥ぎ、中を覗き込み、コアの部分を破壊しようとした。破壊までする必要はないけれど、ぼくもそれぐらいの執念で自分の奥底に下りていきたいと思う。そうすれば、自分の無意識や意識の世界を外に向けて(今よりは上手く)表現することができるようになれそうだ。
 ちなみに今日こんなことを考えるきっかけになった曲は、仲井戸 "CHABO"麗市の『はぐれた遠い子供達へ』です。

2005年3月16日(水)
Bedtime Story。

梅田を歩いていると、ベッドサイドテーブルを安く売っていたので、ついつい買ってしまった。ぼくの生活パターンとして、一日中どこにも行かずに翻訳をしていることが多く、翻訳しかせずに一日を終えるのもなんなんで、ベッドに入ってからホットレモンを飲みながらしばらく本を読むことにしている。だから、ベッドサイドテーブルがあると、とても便利なんだ。深夜に一人、ホットレモンを飲みながら本でも読んで一息つくのは、冴えて高ぶった神経を落ち着かせるのにとても有効だ、なんて言っていないで早く寝ないと。

2005年3月15日(火)
鳥羽水族館。

鳥羽水族館に行ってきました。めちゃ楽しかった。入ってすぐのところにある「コーラルリーフダイビング」というおおきな水槽では熱帯魚やウミガメがゆったりと泳いでいて、その中でも長さんみたいな厚ぼったい下くちびるをして愛嬌たっぷりのメガネモチノウオは存在感がありました。脇に設けられた小さい別の水槽ではイソギンチャクの触手の間にたわむれるクマノミがかわいかったです。「ニモ、ニモ!」と小さい子供から若い女性まで、人気は群を抜いていました。入館してさっそく心を奪われ、それからもカブトガニやオオベソオウムガイといった古代の生物っぽい彼らが意外と普通に生きていたり、フグや伊勢エビやスナメリが我こそは地元のヒーローとばかりに余裕を見せていたり、進化の途中みたいなナマズのでっかいのがクネクネしていたり、ぼくの知らない世界、もしも放り込まれたらと思うと弱虫のぼくは全身鳥肌だらけになってしまう世界がそこにはありました。「流氷の天使」と呼ばれている(らしい)クリオネも女の人には人気があるようで、たくさんの人が携帯のカメラで撮っていました。「海獣の王国」では、オットセイやゴマフアザラシ、ハイイロアザラシがものすごい高速で狭い水槽の中を泳いでいました。しかも裏返って。みんながみんな、ことごとく裏返って泳いでいました。つまりお腹を上にして、背中を下にして。それが何故なのかは最後までわかりませんでしたが、とにかくみんな、得意げに裏返って泳いでいるのです。その様子はまるで、「俺、裏返って泳げるねんで!」「なに言うてんねん、それぐらい俺もできるわ!」「わたしだってできるわよ!」みたいな感じでした。あと、ラッコはやっぱりかわいかった。まるでシャンプーしているみたいに両手で頭を掻いていたり、水槽の下に沈んでいる貝を拾っては水面に浮かび、でもそれがもう食べた後の殻だけだと分かると再び潜り、それを何度も何度も繰り返していました。水族館に行ったのは何年かぶりですが、ラッコはいつ見てもとにかく食べているような気がします。その割には太っているわけでもなく、やっぱりあれだけクルクルとスクリューのように回りながら泳ぐのが秘訣かなぁと思いながら見ていました。体幹を回旋させる運動は色んなジムとかでも基礎のようだし、それをラッコはおそらくどこかで見て、自分たちも実践しているのだと思います。あとおかしかったのは、ミシシッピ・ワニの解説です。ぼくなんかよりもよっぽどでっかいワニが三匹、というよりは三頭、いかにも凶暴そうにどしっと構えていて、だけどその解説には、「性格は比較的温和で、基本は魚食性ですが、人を襲った記録もあります」とあるのです。もう比較論も基本も何も信用できません! そんな見どころたくさんの鳥羽水族館ですが、何と言ってもハイライトはタツノオトシゴです! 自分でも内心びっくりしていたのですが、ぼくは心をがしっと鷲掴みにされたみたいにその場からなかなか離れられませんでした。周りで鮮やかなブルーやイエローの熱帯魚が泳いでいる中、タツノオトシゴだけは別の時空に生きているようで、それでいてその水槽のメイン・キャラである熱帯魚が自分の前を泳ぎぬけようとすると首をくいっと引っ込めるようにして進路を譲ってあげたりと自分の立場をわきまえた「大人」の対応を見せるし、体のどこを動かしている様子もなくただ浮遊しているように進む姿や、だけど実際には小さな背びれを超高速で動かしている姿などには、ぼくたちと何も変わらず、何かを内に抱えて「今」を生きていることを実感させられ、とにかく魅かれました。それにしても自分がまさかこんなに水族館ではしゃげるなんて、そしてタツノオトシゴにこれほどまでに魅かれるなんて、新しすぎる発見だ。

2005年3月14日(月)
袖を振り合わせたところで……。

これまでぼくは何度か引越しを繰り返していて、そのたびにずっと両隣りとお向かいさんには真面目に挨拶に行っていた。近所づきあいを期待してというよりは、黙っていつの間にか隣りの部屋に住み始めているということに違和感を覚えていたからだ。でも、東京で何度目かの引越しをした時に、隣りの部屋のチャイムを鳴らすと中から返事が聞こえたので、「隣りに引っ越してきたダテといいます」と外から挨拶をしたのだけど、それっきり出てきてもらえなかったことがある。二度目のチャイムには返事すらしてもらえなかった。梨まで買っていたのに。でもまぁ、何と言っても都会は怖いところなので例えば女性なら軽々しくドアを開けるようなことはしない方がいいかもしれないし、そういうものなのかなと努めて思うことにした。でもだからといってそういう人ばかりでもなく、きちんと挨拶を返してくれて、帰省していたといってお菓子を持ってきてくれたり、ぼくも実家からみかんを送ってもらった時にはお裾分けを持っていったり、それなりの付き合いがあった人もいる。でも挨拶に行って相手にされずに外で少しの間とはいえ待ちぼうけている時の寂しさには切実なものがあるので、近所に挨拶もせずに住み始めることに違和感は感じながらも、この部屋に引っ越してきた時はどこにも挨拶に行かなかった。だから隣りで泣いている女の人がどんな人なのかも知らない。面識だけでもあれば、今ほどは苛立たしくも思わないような気がするんだけど。
 住み始めてからも、階段などの共用部分で会った時に挨拶をしない人が多い。東京でも大阪でもそれは一緒だ。下手に声をかけると「え? 誰やったっけ?」みたいな顔で見られたりする。知らんよ、ぼくも! という感じだ。同じアパートに住んでいるか、同じアパートに住んでいる人に関係のある人だろうから挨拶をしているだけですよ! 他生の縁みたいなことを言っているつもりもないし、挨拶ぐらいそんなに珍しい行為でもないと思うんだけど……。
 頑固じじいみたいに思われそうだ。将来的には頑固じじいになるかもしれないけれど、今はまだ違う。将来的にはなるかもしれないけれど。

2005年3月13日(日)
雪を見て、犬について考えた。

今日は雪がすごかった。昼過ぎにちらほらと降り始め、サクラが散っているみたいでキレイだな、などと思いながら歩いていたら、どんどんどんどん降り出し、雪片も大きくなり、視界がだんだん暗くなり、灰色になり、白くなっていった。そしてぼくの顔にも雪が積もり、体に積もり、前が見えなくなるぐらい眼鏡にも積もり、眼鏡と顔のせまい隙間にも巧みに吹き込み、このまま雪だるまになるかと思った。三月も半ばだというのに、なかなかに趣深い時期だ。遊び心の化身みたいな雪は一片ごとにマイペースだった。降るスピードも向きも違う。左に流されるように落ちてきているのかと思えば、その向こうには右に向かって激しく吹き付けている層があったり、それらを突き抜けるようにこっちに向かって勢いよく攻めてくる群れもある。そして少しでも長く楽しんでいたいと言っているみたいに舞い上がる雪はP.ギャリコの『雪のひとひら』みたいだな、とか思っていると、急に止んだりする。なんて自由なんだ。犬じゃなくても喜び庭駆け回りたくなる。ぼくは犬を飼ったことがないから分からないけど、犬は本当に雪が好きなのかな。それともただ物珍しくてはしゃいでいるだけなのだろうか? そういえばぼくは、犬に似ているとよく言われる。それに、一言もそんなことは言っていないのに犬好きだと思われたりもする。むしろ苦手なんだけど。大学の頃からぼちぼちと言われるようになり、あんまり相手にしていなかったのだけど、卒業して就職した会社の先輩の家に遊びに言った時に、先輩の奥さんにじっと見つめられ、「伊達くんってさぁ、」と切り出され、何を言われるのかとドギマギしながら「はいっ」と返事をすると、「犬に似てるよねぇ」としみじみ言われた。初対面なのに。その日を境に自分でも意識するようになり、みんなの言っている意味がなんとなく分かるような気がしてきて、そして今では犬似の自分を自覚している……。
 雪を見て犬のことを考えていると、それはいつの間にか自分のことになっていた。

2005年3月12日(土)
大迷惑。

国道43号線をはさんで向かいにある小学校の騒々しさにも呆れるけれど、実は隣りの部屋も尋常じゃなくうるさい。男女間がややこしくなっているらしく、ここ数ヶ月、住人である女性の方が遠吠えのような声で泣いたり、低く太い声でしくしく泣いたり、雄たけびのような声を上げたり、それはそれはこの世のものとは思えない。この間なんかは夜中の三時過ぎにどうやら電話をしていたようなのだけど、だんだん雲行きが怪しくなり、電話が終わって半時間もしないうちにドタドタと部屋の前まで歩いてくる足音が聞こえ、ものすごい音を立ててドアを開け、ものすごい音を立ててドアを閉める音が聞こえた。もう一方の当事者の男性だ。電話じゃ埒が明かなくて、やって来たのだろう。それから部屋の中でどすどすと落ち着きなく歩き回る音や、嵐の夜に長距離トラックが何台も走る国道の向こうとこっちで会話を試みているような大声が、壁越しにというよりは重厚なサラウンド・スピーカーシステムを通してといった方がしっくりくるぐらいの迫力で聞こえてきた。それがしばらく続き、あと一回大きな声を出せばピンポンを鳴らして注意しようと思ってベッドから起き上がって出て行く用意をしていたのだが(それなのに)、それっきり静まり返ってしまい、しょうがないからまたベッドに戻った。なんとなく収まりが悪く、寝付けないままにぼくは本を読みながら朝を迎えた。ああまで激しい日はさすがにそれほど頻繁にはないけれど、それでも壁越しにうるさいなぁと思うぐらいのケンカは、隔日ぐらいのペースである。きわめてプライベートな問題のようなのでぼくはできるだけ我慢をしてあげようと初めのうちは思っていたのだけど、こうも日常化しているのであれば、彼女たちにも(というか彼女たちには)今の心理状態にある程度慣れてもらって、感情のほとばしりを特に深夜は理性的に処理するということを覚えてほしいと思う。あるいは願う。
 それにしてもこの辺りは騒音がひどすぎる。

2005年3月11日(金)
表現者。

音楽に、とても魅かれる。ぼくは何の楽器を演奏することもできないけれど、強く憧れる。言葉とメロディがタッグを組んで、その相乗効果はものすごく加速度的で、描く曲線はとどまるところを知らず、勢いよく右肩目指してまっしぐらに上がっていく。それぞれにオリジナルな二つがピュアに重なり合うとき、その威力は数倍増する。それはミックとキース、ジョンとポール、あるいは清志郎とチャボのように(この間の『僕らの音楽』はご覧になりましたか? 相変わらずソウルフルなロックが健在で、ぼくはビデオに録って何度も観ています!)、もしくはデ・ニーロとスコセッシ監督のように、口数以上に多くを語り、表現がハンパじゃなく深遠なものになる。
 ぼくは自分の気持ちをどうにかありのままに表現したくて、なんとか言葉を紡ごうとするけれど、それは手段としては一辺倒なもののように感じてしまう。もしもピアノが弾けたなら、と思ってしまう(もちろんそれ以前にぼくの「言葉力のなさ」によるのだけど)。「人は生まれながらにしてなくなってしまったあるべき半身を捜し求めて右往左往している」というようなことを本で読んだ。色んなレベルで解釈することができるが、何かを求めるということは自己内でのその部分の欠落を、意識的あるいは無意識的に、認識しているということだ。だから求めるという行為には哀しみが伴う。欠落している部分を、能力的に欠落した手段で求めているぼくは、実は求めているあるべき、あるいはありたいと願う姿が、まだよく分からない。だけどその認識、その告白の過程が生活なのだとも思う。短絡的にないものねだりをするのはぼくの悪いクセだ。あるもの、持てるものを大切に育て、それで表現することに専念したいと思う。ぼくの場合、それは翻訳に他ならない。

 ……本当はこんな決意表明みたいなことをいつまでも書き連ねていたくはない。確かなことは、ぼくにはやらないといけないことがあって、しかもそれはできるだけ早急にやるにこしたことはなく、そしてそのための決意みたいなものはもうとっくの昔に済ませたはずということだ。朝、昼、晩、深夜、明け方、朝、昼、晩……とぼくの気分は移ろいやすく、激しく浮き沈みを繰り返す。やる気に満ち満ちていたかと思えば、振り向いた瞬間にあくびをしていたりする。実力のない者には、自由は堪える。でもそこに遣り甲斐を感じる。びしびし感じる。ということは、ぼくは間違ってはいないんだ。

2005年3月10日(木)
写真について。

このHPの最初のページに、ぼくら兄弟の小さい頃の写真を何枚か使っていますが、ぼくはちなみに二人兄弟の弟なので、ちっこい方です。あんまりぷくぷくしていて今のぼくからは想像できないと時々言われるのですが、昔はあんなんでした。今も一生懸命食べて、もっと大きくなろうと努力はしているのですが……。そして少年野球の時の写真では、バッターがぼくです。キャッチャーの方ではありませんよ。

2005年3月9日(水)
春ですね。

今日なんかはとても暖かく、もうすっかり春ですね。『Ray』を観ようと思って、コンビニで上映館と時間を調べ、梅田に出た。きちんと昼ごはんも済ませ、時間に余裕を持ってナビオTOHOプレックスの前まで行くと、「本日分売り切れ」の張り紙がしてあった。アカデミー効果か、それとも水曜日のレディス・デー効果か、平日なのでまさかこんなことになっているなんて思ってもいなかった。それでも梅田でやっているのはここだけだし、憤慨したところでどうしようもなく、自分でも意外なぐらいすっきりと気持ちを切り替えて、いつものカフェで本を読むことにした。でもその前に、と思い直してヨドバシカメラに寄った。急ぐ必要はないのだけどノートPCをほぼ買うつもりになっていて、最近は梅田に行くたびにヨドバシカメラに立ち寄っては購入予定の機種をいじっている。だから、最近ぼくの頭の中では「わっかっもぅのぉ、あっつっまぁるぅ、うっめっだぁにっは〜……」とヨドバシ・ソングがリピートしていることが多い。そして今日もひとしきりがちゃがちゃとやってから、DTタワー内のシアトルでキャラメル・ラテを飲みながら、野田知佑さんの『新・放浪記』を読んだ。いつ読んでも小気味がよく、勇気がわいてくる本だ。キャラメル・ラテもおいしくて、だけど空調の関係か、禁煙席にまで漂ってくるタバコの煙が気になりだしたところで席を立った。何をしたということもないのだけど、久しぶりにのんびりと気持ちの休まる一日だった。

2005年3月8日(火)
胸いっぱいの愛を。

昨日ブックファーストで何気なく手に取った音楽雑誌に、最近のジミー・ペイジの写真が載っていた。葉加瀬太郎かと思った。その下にあったツェッペリン時代の写真と比べるまでもなく、辛くなってすぐにページを閉じた。その攻撃的なギタープレイとは裏腹に、昔からポスターや写真に納まっているジミー・ペイジは少し神経質そうで、両足を抱えて体育座りをしているような写真もあったりする。ライブ映像を見ていても、ロバート・プラントがシャツの胸を大きくはだけてレザーのパンツをはきこなしている横で、シャツをきちんとズボンに入れて毛糸のチョッキを着ていたりする。それでもそんなことにお構いなく、観ている者を圧倒するパワーがあった。観ている者だけでなく、ボーカリストをも挑発するような、バンド内での断定的な牽引力があった。
 「青春とは、人生で一番やせこけている時期のことだ」という言葉を思い出す。だけど肥えてしまったジミー・ペイジを見るのが辛いなんて、本人にはいい迷惑だろう。本人には何の非もない。しかも写真を一枚見ただけで、ぼくは最近のジミー・ペイジがどういう活動をしているのかも知らない。おそらくぼくはとても失礼なことを言っている。でも確かに、ぼくが「ジミー・ペイジが好きだ」と言う時、それは今のジミー・ペイジではない。漲るエネルギーに胸いっぱいの愛を込めて、怒涛のようにギターを弾いていたジミー・ペイジが好きなんだ。
 でもぼくは、ツェッペリンからはもう十分すぎるほどのエネルギーをもらっている。他人にとやかく言われるのは好きじゃないけれど、とやかく言われる立場に立たないと始まらないことも知っている。そして、とやかく言われている人たちのことは、好き嫌いはあっても、とりあえずそれだけでスゴイと思う。とやかく言うよりは、とやかく言われる人間になりたい。

2005年3月7日(月)
ブックファーストの中のカフェ。

最近は本屋さんと言えば、たいてい梅田のブックファーストです。今日は初めて3Fにあるカフェに入りました。本屋さんのフロアとは壁で仕切られているので、入ってみないとどういうレイアウトになっているのかとか全然分からず、これまでは敬遠していたのだけど、入ってみると白い壁が清潔で、大きな窓に向かって座るカウンター席が7〜8席と二人がけのテーブル席が4つぐらい、広くはないんだけど明るくて静かで、落ち着けました。窓に面したカウンター席は出窓のようになった机の奥行きが広く、お洒落なカフェにありがちな窮屈感はありませんでした。コーヒーは300円で、マイルド・ブレンドとヨーロピアン・ブレンド、ストロング・ブレンドの三種類があって、今日はマイルド・ブレンドを飲んだんだけどおいしかったです。こぽこぽとものすごくゆっくりと淹れていて、注文してから出てくるまでけっこう時間がかかったんだけど、こっちもゆっくりしたいわけだし、別にコーヒーをそれほどすぐに飲みたいというわけでもないので、かえってそういうところもいいかもしれません。イスも豪華なフカフカ・ソファとかじゃないけれど、背もたれが背中にうまくフィットして、座り心地が良かったです。そして何よりも、本屋さんの中にあるのがぼくには嬉しいです。最近は家でコーヒーばかり飲んでいてあんまり良くないかなと思っているので、外では飲まないようにしていたんだけど、ブックファーストに行った時にはふらっと立ち寄ってしまいそうです。

2005年3月6日(日)
田舎もん。

父さんと母さんが、父さんの妹夫婦と一緒に金沢に行くということで、乗り換えの新大阪で一緒にご飯を食べた。芦屋に住んでいる従姉のゆうこちゃんもきて、久しぶりで懐かしかった。ぼくは従兄姉の中で一番下で、だからというわけでもないけれど昔から親戚で集まったりしてもみんなの中でしゃべるということがあまりなく、それは今もほとんど変わっていない。だから今日も特に何を話したわけじゃないけど、串橋のおいちゃんが最後に「頑張って」と言ってくれたことが嬉しかった。四人の親を見送って、ゆうこちゃんと二人で少し歩きながら、だけどやっぱり特に何を話すわけでなく、でもそれなりの近況みたいなのを報告しあった。ゆうこちゃんには、小さい頃一緒にキャンプに行った時に泳ぎを教えてもらったことがある。ぼくは幼稚園時代に、イスに座ると太ももがつぶれるようにぷくっと太くなることを恥ずかしく思っていたぐらい幼い頃から自尊心が強く(?)、泳げない自分を強烈に恥ずかしく思いながら教わったことを憶えている。
 そんな感じでなんだか和やかな気分で御堂筋に乗り、梅田で降りた時だった。地下鉄のホームから改札に上がるエスカレーターに足をかけたばかりのあたりで一人のおばあちゃんがもがいているのが見えた。一見なにをしているのだろうと思う光景ではあったけど、間違いなくエスカレーターに足をとられ、エスカレーターがエスカレートしていくペースについていけず、ひっくり返りそうになり、手すりにしがみついて「ひゃっ、ひゃっ」と声にならない声をあげながら踏ん張っていたのだ。ぼくはかなり遠くからその様子に気づき、ダッシュした。おばあちゃんを後ろから抱えてやると、それでもしばらくは足をバタバタしていたけれど、ようやく落ち着くとすっかりぼくに体を預けて一息ついていた。その頃になってようやく夫と思われる男性がエスカレーターを上から下りてきた。上りのエスカレーターなので思うように進めないようで、結局合流できたのはエスカレーターを上りきった辺りだった。その間おばあちゃんは、ぼくに支えられたまま「こんなん乗ったの初めてで……」と言っていた。おじいちゃんは「すいません、ありがとうございます」と何度も言っていた。「ちゃんと手をつないであげていてくださいね」とだけ声をかけて、きちんとエスカレーターから降りたことを確認して、ぼくは阪神電車のホームに急いだ。エスカレーター付近には人だかりができていた。ぼくはひどく落ち着かない気分になっていた。おばあちゃんはあのまま頭から落っこちていたかもしれない。あの数十秒間を果てしなく長く感じていたはずだ。なのに、誰も助けようとしていなかった。ぼくは勝浦から出てきて初めて阪急電車に乗った時、特急券を買わずに特急に乗っちゃダメだと思って、でも教えられたのが特急のホームだったので、ずっとそこで各駅電車を待っていたことがある。小さい頃に大阪に連れてきてもらって、今日のおばあちゃんのようにエスカレーターに足を取られてデパートで大騒ぎしたこともある。田舎もんはそんなもんだ。特に時刻表を気にしなくても次から次へとホームに滑り込んでくる電車や、歩かずとも上まで運んでくれるエスカレーターが当然の都会の人には分からないことなのかもしれない。ぼくが躊躇わずにダッシュできたのも、そういう田舎者としての自分が染み付いているからなのかもしれない。だけど、困っている人を大勢に混じって見物しているような人間にはなりたくない。
 今日のおじいちゃんもおばあちゃんも、しきりにお礼を言ってくれた。ぼくはそれがかえって恥ずかしくて、ロクに返事もせずに逃げるように二人と別れてしまった。
何に対してか誰に対してか分からないけれど、何かが腹立たしくて、無性に哀しくて、ぼくは泣きそうだった。せっかくいい気分だったのに、空も青く晴れていたのに、とても遣り切れない気持ちでいっぱいだった。老いて夫婦で都会に遊びに来た田舎のおじいちゃんとおばあちゃんが困っている時に誰も手を差し伸べないなんて、うじゃうじゃと人間がいる中で無力な孤独感を味わうなんて、あっていいことじゃない。高齢になっていくら安く電車に乗れたとしても、安く映画を観られるとしても、そんなのは成熟した世の中とは言えない。ぼくは腹が立っている。非常に憤っている。向かっている方向が間違っている。今日はあれからずっと、なんだか落ち着かない。

2005年3月5日(土)
音楽の効用。

昨日は自分でも思いがけないことを書き連ねてしまった。本当は、音楽はとても身近なものだ、みたいなことを書きたかったんだ。ぼくがTVを見ないようにしているのは、どんな番組でも(下手をするとCMでさえも)食い入るように見入ってしまって、他に何も手につかなくなるからなのだけど、音楽の場合は聴きながら日記もかけるし本も読めるし、翻訳までできてしまう。それだけじゃない。おそらく音楽がない場合よりも、頭も働いている、ような気がする。
 適当にCDラックから選んで聴いているようでいて、その時の気分に合わせて選んでいるのだと思う。頼りない自分の駆動力に勢いをつけてくれたり、ざわざわした気分を鎮めてくれたり、叱咤してくれたり、聴く前と聴いた後でぼくの目の前の世界はがらりと変わる。もしくは、ぼくの心の有りようががらりと変わる。ぼくは音楽家に対しては最大級の敬意を払いたいと常々思っている。なかなか色んなことをすっかり忘れて心を休めることのできる時間が持てなくなった最近は、音楽がなければとてもじゃないけどここまで気持ちを引き締めていられないと思う。楽曲に励まされたり、アーティストに思いを馳せた時に自分を省みたり、音楽に助けられているという思いが強い。そう思える音楽に出会えていることが幸せであり、今度はどうにかぼくが少しでもそれに近い効用を持てるものを提供できないかと、必死で考え続けている。

2005年3月4日(金)
音楽の思い出。

小さい頃、家にジャズのレコードセットが5巻ぐらいあった。「ジャズ」という言葉を知らなかったぼくは「ジョーズ」みたいなものだと思い、怖いので近づかないようにしていた。
 初めて買ってもらったレコードは、イモ欽トリオの『ポテトボーイズNO.1』だった。
 父さんが風邪を引いて二階の部屋で寝ていた時、ぼくは何度も呼ばれて寺尾聰の『ルビーの指輪』を歌わされた。ぼくはイヤだったんだけど、風邪で退屈している父さんのことを思って一生懸命歌っていたのに、けっこう大きくなってから、「退屈しのぎに呼んだらホイホイやってきて調子よう歌いやったな」みたいなことを言われてショックだった。
 本宮小学校で全校生徒での合唱があったとき、みんなは歌っているのにぼくとしげたんと田口くんだけピアニカを吹かされた。合唱なのに。理由は明かされなかったけど、傷ついた。舞台に並んだ時、ピアニカ担当の三人は隅っこの方に押しやられ、その時の写真にぼくと田口くんはかろうじて写っていたけど、しげたんはカーテンの陰に隠れてちょっとしか写っていなかったことを覚えている。
 ベストテンを見ていて、何週も続けて一位だった西城秀樹の『ヤングマン』が一位じゃなくなっていた時に泣いた。父さんが母さんに「淳はなんで泣きやるんな?」と聞いていたのを、布団の中で聞いていた。
 ラジオで海援隊特集をやっていたのでカセットに録ろうとしていると、父さんがその横にいっぱいラジオを持ってきてアンテナを立て始め、おかげで電波が分散されたのかノイズがいっぱい入ってちゃんと録れなくなってしまい、父さんとケンカした。父さんの言い分は、「いっぱいアンテナ立てた方がきれいに入ると思った」ということだった。そういうもんなんか???
 中学の時、誕生日に友達から聖飢魔Uの『蝋人形の館』をもらって、それを聴いていてクラブに遅刻した。多分、唯一の遅刻。
 初めて買ったCDは、E.クラプトンの『STORY』というベスト盤だった。
 初めて行ったライブは、大阪城ホールの長渕剛だった。
 夏休みに長野県の山奥の旅館でバイトをしていたときに持っていっていたマドンナの『アイム・ブレスレス』とジョン・ボン・ジョヴィの『ブレイズ・オブ・グローリー』は、辛かった思い出とセットになってしまって、バイト後も半年近く聴けなかった。
 オールスタンディングのライブはもうこりごりだ。
 去年クラプトンのコンサートで泣いた。 

2005年3月3日(木)
Welcome Back Home!

やっとパソコンが帰ってきた。わーい! 結局、リカバリ・ディスクだけで済んだということで、修理費用はかからなかった。まったく人騒がせなパソコンだ。さっそくつないで、色々インストールし直したり、壁紙をジェームス・ディーンに戻したり、メールやなんかの設定をし直したり、スクリーン・セーバーをジェームス・ディーンに戻したり、紙に書いていた日記をまとめたり、なんやかんやで一日かかった。でもどうにかほぼ元通りになりそうで一安心です。今回の件で、PCが壊れると結構慌てふためくことになってしまうことがよく分かったので、何か対策を考えないといけないと思いました。
 しばらく日記の更新をしていなかったということもあり、何人かの方から心配していると連絡をいただいたきしました。どうもありがとう。ぼくは元気です。


2005.03.01
パソコンがどうやら直ったらしい。OSの不具合とかで、ずっと使っていると稀にあるらしい。とは言っても、ぼくにとっては初めてのことだったし、かなり焦った。しかもリカバリ・ディスクを使って「購入時の状態」に戻したということなので、いろんな設定やデータが全部消滅した。でもフラッシュメモリのおかげで翻訳の原稿は大丈夫だし、あと気になるのはこれまでのメールのやりとりだ。サーバに残っていればいいんだけど。機械の問題はよく分からないから受け入れるしかないんだけど、稀にあるなんて簡単に言われても困るなぁ。


2005.03.02
G.オーウェルの『動物農場』を読みました。立派な理想を掲げて全ての動物が平等である社会の建設を目指していたはずなのに、いつの頃からか指導者の豚たちは権力を握り、地位を確立し、安定を求め、腐敗し、堕落していきました。必ずしもロシア革命や社会主義的ファシズムだけの話じゃないように思いました。よく似た例は身近にいくらでも見つけられそうです。現在の立場、境遇に甘んじてしまうと、安きに流れてしまうのはもしかしたら普遍的なパターンなのかもしれません。ぼくはまだ何も確立していないので、こんな呑気な感想を言ってられるけど、色んな些細な部分でたくさん妥協して、それに気がつかないフリをしたり、あるいはそれは些細なことだからと自分の都合のいいように解釈しようとしたりしてきたはずです。心して毎日を過ごそうと思いました。夢に見そうです。

*2月の分はこちらです。

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