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| 2005年4月30日(土) |
| 涙。 |
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涙があふれる。こぼれる。浮かぶ。伝う。とまらない。ちょちょぎれる。出ちゃう……。色んな表現があるけれど、今日ふと気がついた。涙は、「ぷしゅっと噴き出る」こともある。メガネをかけるようになったから分かったことだけど、メガネをしている時に泣くとレンズの裏側から、つまり目から直接、涙のしぶきが細かい点々になってぴゃっぴゃっと付着する。でももしかしたら、涙がじわっと湧いてきたところで目をぎゅっとつぶるからその時にびしゃっとハネるのかもしれない。もしくは、感情の起伏の大きさと関係があるのかもしれない。激しく揺さぶられた時にはぶしゃっと噴き出て、心を両手でふわっと支えられたような時にはぶわぶわと溢れてくるとか。
今日は涙が噴き出ることに気づいた驚きでそんな細かいところまで注意していなかったので、今度泣く時にはその辺りにも気をつけておこう。最近は何かとよく泣いているので、今度泣く時なんて意外とすぐかもしれない。
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| 2005年4月29日(金) |
| 夢は便利にできている。 |
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実は昨日の夢にはもう少しおまけみたいな部分があって、まっ逆さまに墜落していく間に視界の隅っこの方で捉えていたシーンなんだけど、藤子不二雄の『怪物くん』に出てくるドラキュラが猛スピードで自転車を漕いでいた。彼が目指しているのは公園のすべり台で、すべり台を発射台にして、下から勢いよく自転車で登っていってそのまま飛び立とうとしているのだ。どうやら原作では確か空を飛べたはずのドラキュラもぼくの夢の中では勝手が違うらしく、飛び方を自分なりに工夫したのだろう。いずれにしてもぼくもドラキュラも、飛べないクセになんとかして飛ぼうとしているという点では同じ立場にあるといえた。ただ、ドラキュラの場合は誰かと戦う予定があるようで、約束の場所に遅刻しそうなので自転車で行くことにしたのだが、足をフルに回転させながら「うわぁ、こんなことやったら武器の説明書、昨日のうちに読んどくんやったざます〜」とぼくなのかドラキュラなのかよく分からない口調で独り言を言っていた。「武器」というのは、どうしてまっ逆さまに墜落中のぼくに分かったのかは分からないが、シルクハットとステッキとマントのことで、それは武器にも早変わりする優れものなのだが、なんせ前日に購入したばかりなのでどうすれば武器になるのかドラキュラはまだ知らず、だけど今さら説明書を読んでいたら遅刻するという葛藤と、ドラキュラは自転車を漕ぎながら闘っていたのだ(そしてぼくは墜落中だった)。よく分からない夢(の一部)だ。だから昨日は省略したのだけど、今日になってもどうにも頭から離れないので、一応書いた。それにしても落ちていく恐怖の中で、並行して進行していたドラキュラの心境がどうして分かったのだろう? 夢はけっこう便利にできている。
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| 2005年4月28日(木) |
| 普通は空なんか飛べないものだ。 |
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久しぶりに空を飛ぶ夢を見た。でも今回は、空を「飛ぼうとする」夢だった。古い高層マンションがたくさん立ち並ぶ発展しそこなった新興住宅地みたいなところで、ぼくはそのうちのけっこう上の階の一室に住んでいて、そこのベランダから飛び立とうとしていた。マンションの谷間に風や雨が吹き荒れる嵐の日で、その激しい気流に乗るタイミングを計っているところだった。ぼくは何があったのか一人ムキになっていて、どうしても一人で飛んでいくと(誰に対してか分からないけれど)言い張っていた。その割りに飛ぶ自信がないのだ。だけどそれを(誰からか分からないけれど)ひた隠しにしたままベランダに出て、手すりにおへその辺りを乗せて一応前のめりになりながら、逡巡しているのだ。どうやら力が入りすぎているとうまく気流に乗れずに落ちてしまうようで、ぼくは手すりにしがみついたまま、まずは体の力を抜いてぶらぶらと足元の小さな気流に乗る練習をしていた。そして、いつまでも躊躇っていることがイヤになって、もういけるだろうと勝手に判断し、手を離し、ベランダからふわっと投げ出され、それなりにうまく飛びたてたかなと思った途端にそのまままっ逆さまに下の倉庫のような建物の屋根を目指して墜落していった。風船を膨らますように圧倒的な量の空気が口から入ってきて息もできず唾も飲み込めず、ものすごいスピードで迫り来る倉庫の屋根だけがその時のぼくの現実で、「うわっ、うわっ、うわぁぁぁぁあああ〜」という自分の声で目が覚めた。汗をびっしょりかいていた。
これはきっと、「早まるな」ということだ。ぼくは今、逡巡している。もうええ加減にせぇよ、と(誰にかは分からないが)言われそうなぐらい、ぐずぐずぐずぐず逡巡している。そしてぼくにはありがちなのだけど、とりあえず始めてしまえば「なんとかなる」と思ってしまう。今も思いそうだ。この夢のように、イマイチ自信がないままに飛び立ってしまう。小学校の時も、本宮から勝浦に転校してくると校庭を囲む山を使った鬼ごっこが流行っていて、みんなは1年生の時からの遊びなので慣れているのだけどぼくにとっては初めての山で、足を滑らせて落ちるところなんかを想像して内心とてもびくびくしていたのだけど、そんな弱気なところをクラスメートの前で見せるわけにもいかず、みんなにできるんだから自分にもできる、なんとかなるだろうと言い聞かせて、どんな斜面でも走りまくっていた(この一文めちゃ長い)。ひやっとしたことは何度もあったけれど、木にしがみついたりして、どうにか大きな怪我もせずに無事卒業した。でもあれはけっこうヤバかった。昼休みの遊びとしてはドッヂボールと人気を二分していて、ぼくは当然ドッヂボールを主張するのだけど、だからといって山での鬼ごっこに対してあからさまに嫌な顔をすると苦手だということがバレそうだから、たまには喜んで参加したり、とにかく不自然だった。しかも実はあまり好きじゃないということはバレていた。
だから(というわけでもないけれど)、本当は「なんとかなる」じゃなくて「なんとかする」と思えないといけないんだ。運とかその時の調子とか(あるのかないのかも分からない)自分の潜在能力とか、何か偶然の力に頼っていてはダメなんだ。だけど「なんとかする」と強く思えば、そのためにはどうすればいいのかと具体的な手段を考えることにつながる。たとえば、あそこまでは一気に駆け抜けてあの木に掴まる、あそこは落ち葉が溜まっているから足を滑らせやすい、だからこっちのルートで行く、とか。するとイメージしやすくなる。なんとかしよう。
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| 2005年4月27日(水) |
| True Spirit of the Viking??? |
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この間の日記に書いたノルウェーのソフトウェア会社のCEOが、公約どおり大西洋の横断を開始したそうだ。広報担当マネージャーも「CEOの発言を公表した自責の念から」ゴムボート(!)で併走しているらしい。なんてピュアなコンビなんだ。ホットチョコレートを作って待つアイスランドの母親は気が気じゃないだろうけど、少なくとも遠く離れた日本に我が子のファンが一人増えたと思えば、この勇気ある挑戦を積極的に応援する気になるかな???
と思っていたら、二日目にして中断となったようだ。ゴムボートがパンクし、乗っていた広報担当マネージャーがカナヅチだったためにCEOが救助し、それからは断念したということらしいが……。中途半端に要約されたニュースじゃ要領を得ないのでOpera社のHPをのぞいてみると、
太平洋横断の宣言後、
・この時期のノルウェー海の水温に慣れるため、自宅の風呂に水を張って体を馴染ませる練習を開始。
・近所のプールで何往復か泳ぐ。「トレーニングを開始するのが遅かったかもしれない。お腹の周りの脂肪がブイの代わりになって、さらに体温をキープしてくれることを期待する」
出発前のCEOのコメント;
「地図がなければアメリカまでなんてとてもじゃないけど泳いでいけない。あいにくウェットスーツにはポケットが付いていないので、広報担当マネージャーがボートで併走してくれて良かった。話し相手にもなるし」
そして二日目の朝、
ボートがパンクし、CEOが広報担当者を「勇敢にも」救助するシーンを近所の人が「偶然」目撃、「驚くべき高性能な望遠レンズ」を装備したカメラで「見事なまでに鮮明な」写真を撮ることに成功。
とあった。
なるほど、そういうことか。まんまとおちょくられた感じだが、こういうニュースにはホッとする。
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| 2005年4月26日(火) |
| 感覚のズレ。 |
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「安全第一」というのは、部外者が考えるほど掲げているだけの標語じゃないとぼくは聞いたことがある。それでも同じ環境の中に長く身を置いていると、感覚は麻痺してしまうものなのかもしれない。「安全第一」という看板は日常の風景の中に溶け込んでしまっていたのだろうか? ここまで企業や公的機関による事故・事件・不祥事が後を絶たず、その度に誠実さの欠片も見られない事故後の対応を見せられると、せせこましい企業風土のようなものを感じてしまう。一般の人々とは相容れない感覚を、堂々と曝け出しているようにさえ見える。
伊丹駅でのオーバーランは8Mではなく40Mだったらしい。運転士と車掌が口裏を合わせていたという。「8Mは誤り」じゃなくて「ウソ」だ。「ウソ」を「誤り」と表現する大いなる感覚のズレ。遺体の安置所となった体育館に呼ばれたがJR西日本からは謝罪の言葉もなかったと悔しがり、哀しみをこらえる遺族がいる。その頃JR西日本はTVカメラに向かって謝り、置き石の可能性を強調していた。その置き石も粉砕痕があったというだけで、今のところ事故との因果関係はむしろ極めて低いようだ。被害者や家族の心情を気遣うことなく、自分たちの責任を最小限にとどめたい一心でカメラに向かってアピールする。カメラに向かって頭を下げる時、誰のことを考え、何を思っていたのだろう? ぼくはカメラ越しに頭を下げられても困る。謝るべき相手はカメラじゃない。茶の間でTVを見ている視聴者でもない。背広を着てJRの腕章をして現場に入り込み、仲間内でへらへらと談笑している職員たちの姿もニュースで見た。自社が引き起こした事故で500名を超す死傷者を出した現場にいながら、何を笑うことがあったのだろう。もはや事故じゃなく、事件だ。
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| 2005年4月25日(月) |
| ぼくたちの希望。 |
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朝から、とんでもないニュースが飛び込んできた。JR福知山線の脱線事故。直前に停車予定の伊丹駅を通過してしまい、戻って乗客を乗降車させていたために若干の遅れが生じてしまったためかどうか、それからは乗客が怖いと感じるぐらいのスピードで走っていたという証言もあった。そうだとすると、若い運転士さんの強すぎる責任感が招いてしまった事故ということになるのかもしれない。秒刻みで電車が到着する緻密さが求められ、加速性と安全面が秤に掛けられる社会には、思わぬ脆さが常に紙一重で潜んでいる。記者会見で記者の剣幕に押されて俯くしかないJR西日本の担当者の姿を見た。でもぼくたちはみんな、日頃はJRの常に正確な運行能力に当たり前のように世話になっている。今回の事故は、社会のこうした二面性にも一部起因しているようにも思える。置き石の可能性もあるという。それはもう一つの問題だ。こっちはもっと複雑に入り組み、歪んでいる。いずれにしても、運転士さんも含め、全ての乗客、関係者にとってあまりにも突然やってきて、もしかしたらしばらくの間は電車に対する恐怖を植えつけてしまうかもしれないほど悲惨だった。物事に本当に因果なんてあるのだろうか。たまたま乗り遅れた人や、伊丹駅で乗った人、降りた人、その時間帯にまだベッドの中にいたぼく、果たせなかった約束、それでもおそらくこれまで通りに続いていくしかない社会……。ぼくたちのささやかな人生に、ささやかな夢を見る機会がこういう形で奪われていくことはとてもやるせない。まだ車内に閉じ込められたままの人がいるという。それを懸命に救出しようとしている人たちがいる。みんなの希望だ。
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| 2005年4月24日(日) |
| 通説。 |
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久しぶりに、西宮のヨットハーバーに行った。今回は自転車で。西宮大橋がかなり急な坂になっていて、走るよりもしんどかった。そして芝生の上に寝っ転がると青い空に新緑が眩しく、とても開放的で気持ちよかった。『富嶽百景』を読んだ。富士山の絵はどれを見てもたいてい頂上が鋭角に描かれているけれど、実は東西縦断で124度、南北が117度らしい。絵で富士のすらりと高い美しさを見ているから実際に富士を見た時にも「ワンダフル」だと思うけど、本当はのろくさと拡がり、しかも裾野の割に低い山なのだ、と太宰治は言っている。
確かにそういう通説に影響を受けた先入観は厄介だと思う。ぼくは『ハックルベリイ・フィンの冒険』よりも『トム・ソーヤーの冒険』の方が面白かったんだけど、『ハックルベリイ〜』の方が文学史上は素晴らしいものとされていて、そういう固定的伝統的見解が大好きな学生たちが集まった授業でぼくは肩身の狭い思いをした経験がある。だけどそういうぼくも、以前カーラジオから流れてきたDJのロック通ぶった語りが鼻につき、「偉そうに、ぷんぷんっ!」などと思いながら聴いていたのだが、番組の終わりに実はそれがCharだったと知って、偉そうなことを言っていたのは自分だったなぁとちょっと反省したことがある。でもそれにしたって、別にCharだからといってしゃべっている内容やしゃべり方が素晴らしいとは限らないのだし、確かにあのラジオ番組は(ぼくという偏ったリスナーにとっては)あまり面白くなかったのだから、色んな意見や感想があっていいんだよね? と不安ながらも別に間違っていたわけじゃないと思い込みたいような、ちょっと複雑な気分になった。通説が通説になるにはそれなりのというかかなりしっかりした理由があるのだろうから、その辺にも着目しながら先人たちの教えは尊重し、だからといって自分の目で確かめることを忘れないで意見や好みを持ちたいと思う。ものの良し悪しの基準は難しいけれど、好き嫌いの基準なら個人のレベルで責任を持てる。
富士山の美しさはこの夏に行く予定なのでその時に確認することにしよう。それにしても、Charに対して「ロック通ぶった」と思ってしまったことは恥ずかしい限りだ。
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| 2005年4月23日(土) |
| イメージの共有。 |
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最近赤ペンはよく使うのだけど、鉛筆やボールペン、万年筆を使うことが少なくなった。字は「書く」というより「入力」するものになってしまいつつある。そして手元にあった携帯電話を見て、今では人は、「電話」と言われた時にどういう形をイメージするのだろうかと思った。携帯しか見たことがないという人はまだいないだろうけど、携帯しか持っていない人は少なくないようだし、家の電話には当然FAXがついているという人も多いだろう。子機の2、3個は当たり前かもしれない。ぼくが使っている電話は15年前のものだ。
文字の書き留め方や電話の形状以外にも、同じはずの行為や記号(≒単語)を媒体としつつ、そのイメージを共有できないものが増えつつあるんじゃないかと、今さらながら気になってきた。ペンを持つ代わりにキーボートを叩くようになり、本体からくるくるとつながった受話器を取る代わりに携帯のボタンを押すようになり、その他にも色んなところで時代は変わり、これまでなら当然のように共有していたイメージが消滅してしまうと、言葉を頼りにイメージを伝えたい者としては表現力勝負の部分が増えてくる。望むところでではあるのですが、一方で最近の物事の流動性を考えると、時代についていく必要性をひしひしと感じる。そうでなければ表現がイメージを捉えきれなくなってしまう。ダイヤルはもう回さないし、鉛筆も今では削らないのかもしれない、ということです。
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| 2005年4月22日(金) |
| 前か上を向いて歩く。 |
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ノルウェーのOpera Software社のCEOが、新しく公開したWebブラウザのダウンロード数が最初の四日間で100万を超えた場合、ノルウェーからアメリカまで泳ぐと宣言したらしい。途中で一度だけ、アイスランドにある母親の家に寄ってホットチョコレートを飲んで休憩する予定だという。社内ではこの時期のノルウェー海の水温を心配する声もあったようだが、「ちょっとはしゃぎすぎ(同社広報)」の感もあるCEOは大胆にも言い切ったようだ。よっぽど今回の作品に自信があったのだろう。だけどそれで満足せず、さらに結果を求めて新たな目標を設定して自分を追い込む姿勢に心意気が感じられる。勢いがある。CEOだなんて言うから何歳だろうと思っていると、なんと38歳だ。ぼくも躊躇している場合じゃない。最近は発奮するために自分に言い聞かせている時間が長すぎる。それでなくても時間が足りないと嘆いているのに。下手をすると一日のうちで言い聞かせている時間と嘆いている時間を足すと24時間になってしまうぐらいだ。でもだんだん暖かくなってきたし、最近は調子がいい。相変わらず根拠はないけれど、これからさらに調子がよくなる予感もしている。とりあえず今のところぼくは何の宣言もしないけど、心身ともに充実している。そんな時に
Opera Software社のCEOの宣言のようなニュースを聞かされると、ぼくは単純だからすぐに感化されてやる気に満ちる。たとえばカヌーをしていて急流に乗っても、うかうかしているとカーブを曲がりきれずにその向こうの澱んでいるところにはまり込んでしまうので流れに乗った時こそコースを確認して自分の目指す方向に向かって必死で漕がないといけないように、ぼくはたぶん今こそしっかり前を向いて歩を進めないといけない時期に来ているような気がする。幸せとか希望とか平和とか、そんなステキなものがその辺に落っこちているのならうつむいているのもいいかもしれないけれど、そんなことは多分ないので、いつも前か上を向いていようと思う。
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| 2005年4月21日(木) |
| 忘れ物奪還物語3。 |
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(つづき)
昨日姫路駅に電話をした時に言われた通り、朝の11時過ぎに西新町のお忘れ物センターに電話した。また最初から荷物の説明をして、姫路駅から届いているはずだと告げた。すると、「見当たりませんけど?」と即答された。あるいは訊き返された。探しもせずに適当なことを言うなんてひどいなぁと思いながら、「昨日は姫路駅で今日の午前11時までにそちらに着くように送ると言われました」とかなり感情を押し殺して言ってやった。するとようやく本気を出して探し出し、「あ、ありましたわ」とぬけぬけと言いやがった。胸ぐらの一つや二つ掴んでやりたかったが、電話越しではそれも叶わず、それにそもそもぼくはそんなことをしないので、だからそれを木曜日に取りに行きたいとだけ伝えると(この電話をしたのは火曜日)、免許証と認印を持ってくるように、とだけ言って電話を切ろうとするので慌ててそれを遮って、きっと駅構内にあるのだろうとは思いながら一応念のために所在地を確認した。すると、北側の階段を下りて改札を出て西に200M歩いて……、と説明が始まった。そんなことは西新町駅で訊けば分かることではあるけれど、どうしてこの電話の時に言ってくれようとしないのか、こっちが訊いたことにしか答えない姿勢がなんだか腑に落ちなかった。人の荷物を勝手に姫路まで持っていくなと言ってやりたいぐらい腑に落ちなかった。駅からそんな離れたところに電車内での忘れ物を保管しておくセンターがあるということ自体、訳が分からない。もう理屈じゃなく、相手の言うこと為すこと全てにイチイチ腹が立つようになっていた。電車に荷物を置き忘れたなんて、たぶん初めての経験だ。だから、こんなイヤな気分になるなんていうことも知らなかった。
そして今日、三宮を越え、明石を越え、はるばる西新町まで行って来た。無人駅だった。電話でお忘れ物センターの場所を聞いておいて良かったと思っていると、次から次へと、10歩進むごとぐらいに「お忘れ物センターはこちら →」という看板が出てきた。改札を出て階段を下りたところに「お忘れ物センター あと200M→」という看板があり、そこを過ぎて3歩ぐらい歩くと、「お忘れ物センター あと150M→」という看板があった。3歩で50M歩いてしまった。親切な看板のおかげでお忘れ物センターはすぐに見つかり、そこに詰めていたおじさん二人も親切で、すぐに荷物を引き渡してくれた。昨日までの奮闘を考えると、あっけないほどだった。
とにかく三日ぶりに荷物が手元に帰ってきた。自分の不注意で忘れた荷物を無事に保管しておいてもらったなんていう感謝の気持ちは、申し訳ないけれどほとんどない。色んなところを引きずり回されて可哀相に、という感じだ。せっかく親切に荷物を保管しておいてくれたのだから、どうせなら電話での問い合わせにもせめて普通に対応してくれていたらぼくはもっと感謝できたのに、なんだか後味の悪い出来事だった(二ヶ月ぶりにニッポン放送を取り戻した日枝会長もこんな心境だったのかな。たぶん違うだろう)。そしてぼくは、変なモヤモヤを振り払うために久しぶりに走りに出かけた。が、臨港線に沿って杉の木が植わっていて、鼻がムズムズし始めた。こんな日は何かとツイてないなぁ、と思いながら半分程走ったところで引き返すことにした。引き返した頃から雨がポツポツと落ちてきて、もうすぐ家だという時に大きな粒が一つ、そしてどしゃ降りになった。そこからはダッシュして帰った。まぁまぁ何かと雨が洗い流してくれたみたいで、今は結構すっきりしている。ぼくはここに書いて、走って、雨に打たれてすっきりしたけれど、三日も連続でこんな日記を読んでくれたみなさんには、嫌な思いをさせてしまいっぱなしでごめんなさい。(終)
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| 2005年4月20日(水) |
| 忘れ物奪還物語2。 |
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(つづき)
結局自分で姫路駅に確認することになり、電話をするとやっぱりここでも紙袋や中味について一から説明を求められた。コントのようだった。
「白い紙袋で英語で○○と書いてあるやつなんです」
「紙袋ですか?」
「はい」
「中味は?」
「△△と××が入っています」
「それが紙袋に入っているんですね?」
「はい」
「で、中味は?」
「……」
寛平かと思った。なぁにぃがぁじゃぁ〜、だぁれぇがぁじゃぁ〜。どぉしてじゃぁ〜。そんな困難にも負けず、冷静さも失わず、それが自分の忘れ物だということを確認すると、取りに来いと言う。姫路まで。芦屋からは余裕で一時間以上かかる。ぼくなんかは素人だから車掌さんが持って乗って大阪まで届けてくれたらいいのに、と思うんだけど、それはできないらしい、いや、「そんなことはできるわけがない」らしい。持って乗っている間の管理責任とか色々あるんだろうなぁとそれは諦めて、でも今日すぐになんてぼくにも予定があってムリなので、今週中には行くから保管しておいていただけますかと言うと、そうなると姫路駅ではムリだから西新町のお忘れ物センターに届けることになる、いつまで保管できるかはそっちに問い合わせてくれという。特に終点の駅ならこういう問い合わせはいくらでもあるのだろうから、西新町のお忘れ物センターの保管システムがどうなっているかぐらい把握しておいてテキパキと教えてくれたらいのに、とにかく荷物は明日の午前11時までにお忘れ物センターに届くから、それ以降にそっちに電話するようにと言われた。結局、それ以降にそっちに電話するまでもう何もできることがなくなり、次の日電話することにした。
西新町か……、いずれにしても芦屋から一時間近くかかる。電車の中に忘れ物なんかするもんじゃない。それにしてもなんだか長い一日だった。(昨日の日記から始まって、ここまでが忘れ物をした日のこと。まだつづく)
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| 2005年4月19日(火) |
| 忘れ物奪還物語。 |
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昨日、いつになくたくさんの荷物を持って電車に乗った。そこそこ混んでいたので邪魔にならないように一つを網棚に乗せて、あとは膝の上に置いたり手に持ったりして終点の梅田に着いた。途中、隣りに座っていたかなりの高齢と思われるおじさんが、ブリーフケースの中から小難しい数学の公式などが書かれた英語の書類を取り出すのを見て、うわっ、天才や……、とか思っていたからかどうかは分からないが、網棚に荷物を置いたまま降りてしまった。電車は姫路を目指して折り返してしまった後だったけど急いで駅長室に行き、前から何両目に乗っていたとか、どの辺の網棚に置いていたとか、紙袋のデザインやら中味の詳細やら、できるだけ見つけてもらいやすいようにと思って詳しく説明した。三回説明した。一度目はまず忘れ物の届け出という形で先に述べたような感じで報告して、二度目は一度目の時にメモも取らずに呑気に対応してくれた助役さんが今度はメモを取るからということでもう一度説明して、そして最後に何故だか分からないけれどもう一度同じ説明を求められた。そしてその助役さんが特急が停まる何駅かに電話をしてくれたのだけどどこにも今のところ届けられていないということで、後は元町だったか明石だったかと、終点の姫路で確認するしかないのだけど、その二駅にぼくの荷物を乗せた電車が到着するにはまだ時間があるから今は確認できないということになった。すると助役さんは、もうやるべきことは全部やったとばかりに「ということですわ」と言って席を立ち、奥に引っ込んでしまおうとした。カウンターを乗り越えて引っ掴まえてやろうかと思ったが、それは思うだけに留めておいて、相変わらずカウンター越しに「元町や姫路への確認はしてもらえないんですか」と訊くと、「じゃあ、確認しとこか」と言って、いかにももう帰れみたいな雰囲気を出してきた。何時になったらその二駅での確認ができるとか、一日のうちに各駅に届けられた落し物は最終的にどこか一箇所に集められるとか、そうだとしたらいつその確認ができて、そこでなかったらもう諦めるしかないとか、大切なものを置き忘れてもしかしたら戻ってこないかもしれない状況でそれなりに気が動転している客を安心させるために順を追って説明できることはまだいくらでもあるのに、いちいち落し物の対応をしているのも面倒くさいとは思うけど、それにしてもなんで一つ一つの手順をぼくの方から確認しないといけないのか、ぼくはもうすぐ社会の色んなことに呆れそうだ。結局、元町や姫路にはどうすれば確認できるのかを聞きだして、駅長室を後にした。
向かいのうるさい小学校から逃れるために梅田のカフェで仕事をしようと思って重い荷物を持って出かけたのだけど、そんなことがあってどうにも集中できそうになく、結局また重い荷物を持ってとんぼ返りした。もう網棚には荷物を置かないぞ。(つづく)
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| 2005年4月18日(月) |
| 星座と流れ星。 |
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高校生の頃、クラスでキャンプに行ってみんなで川原に寝っ転がり、夜空を眺めていたことがある。みんなが流れ星を探し、見つけた者から満足してテントに引き返していく中、ぼくだけ最後まで流れ星を見つけることができなかった。途中からぼくは作戦を変え、一つの星に照準を定めた。その星が流れるまで、根気強く見ているつもりだった。すると、その星がぐるぐるぐるぐる回り始めたというか、ぶわぶわと揺れ始めたように見えてきた。もちろん星がそんな動きをするはずもなく、それはじっと同じ一点を見つめ続けたことによる目の錯覚だったと思う。星が動かないなら自分の目を回してしまえ! みたいな感じになってしまって、アカンわ、とだけ言い残してみんなの待つテントに引き返した。ぼくが勝手に選んだ一つの星に集中している間に他のところで流れた星はたくさんあったはずなのに、ぼくはそれをみすみす見逃してしまったのだ。
いつだったか、自分の活動が一個の点の集まりで終わっているような気がすると日記にも書いたことがあるけれど、今もその感覚は消えていない。でも、どこかで動き始めている何かを見逃しているんじゃないかと思う気持ちが最近少しある。ぼくが結びたい点と点以外にも、結びつこうとする点と点があるかもしれないし、それら全てはぼくの中で起きていることだけど、だからといってぼくが気づいていないものもきっとあるのだろう。もう少し自分の全体を見ていないといけないような気がしてきた。一個の集積としての全体、全体の中の一個。結局はどちらも同じことのようで、何かは決定的に違いそうだ。
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| 2005年4月17日(日) |
| ジグソーパズル。 |
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このHPを始めた頃、色んな切り口の文章を断片として書いて寄せ集めることで、ぼくという一つのまとまった像を浮かび上がらせたいなぁ、と考えていました。それなのに今は日記しか更新できていないことを深く反省しつつ、今のところは日記にその役割を託したいと思っています。ジグソーパズルみたいなイメージです。全てのピースが集まって一枚の絵が完成するのだけど、実はその逆で、一枚の絵がピースに切り分けられているんだということを意識しながら、ぼくの断片を一つ一つ日記という形で紹介していくイメージ。さらに言うと、これは背景の部分に当てはまるピース、これは端っこのピース、これはアンパンマンの頭の部分、これはメロンパンナちゃんの足……、といった感じで最初にピースを選り分けておくと当てはめていくのが容易になるように、全てのピースは複数の分野に分類することができます。各分野の中のそれぞれのピースを見分ける時に、境界がはっきりしていて分かりやすいものもあれば、次第に色が淡くなっていく空のようにピースの区分が難しいものもあります。アンパンマンとメロンパンナちゃんは別の人格だし、アンパンマンがその背景にある風景と一緒に一つの絵に納まっているというのは偶然だし、だけどそうした要素も含めて全てが一枚の絵の構成要素であることに変わりはなく、だからぼくの中に脈絡もなく無造作に散らかっているような断片を並べていったとしても、ぼくという一枚の絵が出来上がるんじゃないかなぁと思っています。そしてそれがぼくにとっても意外な形を取れば面白いし、でもそのためにはそもそも全体であるぼくの中に多岐に渡るものが包含されていないとダメなので、できるだけ外に出て色んなことを経験したいと思っています。
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| 2005年4月16日(土) |
| 5000。 |
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おかげさまで、アクセスカウンタが5000を超えました。これまでにこんなにたくさんの方がこのHPを訪れてくれたということは、ぼくにとってとても励みになっています。ありがとうございます。これからも宜しくお願いします。
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| 2005年4月15日(金) |
| 腕白でもいい。 |
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今日は朝からいい天気だった。以前塾の講師をしていた時に、朝の十時ぐらいに太陽の光を浴びたらその日は一日気分よく過ごせるんだと教え子から教わったことを思い出し、朝の十時に散歩した(この日記でしかぼくのことを知らない人には、ぼくが散歩ばっかりしているように思われているんじゃないかとちょっと気になってきた)。公園に差し掛かった時、ぶらんこで遊んでいる5歳にも満たないぐらいの孫と、それをすぐ横のベンチに座って見守っているおばあちゃんが話をしていた。小さなその公園を通り過ぎる短い間に聞こえてきた会話の断片を再現すると、
孫:この公園の桜も大きくなったね。
婆:そうやね。
孫:昔はもっと小さかったのに。
婆:ホントにねぇ。
孫:昔はここにすべり台もあったよね……。
おばあちゃんは何を思いながら孫の話を聞いていたのだろう。孫は去年よりも大きくなった自分、去年よりたくさんのことを知っている自分が誇らしくて、おばあちゃんがそれどころじゃないぐらい多くの物事を知っているということも知らずに、自慢げに話していたのだろう。やがて自分よりもよっぽどたくさんの物事を知っている人がいるということ、自分の知らないことが知っていること以上にたくさんあるということを知るのだろう。その時に卑屈にならず、謙虚になれたらいいと思う。腕白でもいい、たくましく育ってほしい。
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| 2005年4月14日(木) |
| もどかしい。 |
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眠ろうとしているのにどんどんどんどん目が冴えてきたり、部屋に帰ってきた途端に雨が止んだり、行き詰ったので風呂にでも入ろうかと思って気を緩めるとどこからともなくイメージが湧いてきたり、だからといって風呂とアイデアがいつでもセットになっているわけでもないし、風呂と机を行ったり来たりして、動物園の熊みたいだ。不安に苛まれたまま自信に満ち溢れた生活を求めて、自由になりたくてがんじがらめになっている。言葉を重ねれば重ねるほど気持ちから離れてしまうような気がする。だけど剥き出しの言葉ならきっと伝わる。笑っているのは楽しいからでも辛いからでもなく、下を向いていたって始まらないから。気の利いたことは言えないけれど、黙っているよりはマシだと思えるようになった。もどかしくても、どうもこうもない、ぼくが選んだ道なんだ。
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| 2005年4月13日(水) |
| イメージを解き放つ。 |
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「1000の言葉よりも3分間のロックンロール(佐野元春)」という言葉が、とても悔しい。多分その通りだ。ぼくのボキャブラリー不足を差し引いても、言葉だけではどうにも伝えきれないと思うことがある。本を読んで、イメージがありありと思い浮かぶ――そんな良書を読んでどれだけイメージを引き寄せても、翻訳して手放す時に伝えきれる言葉をぼくは持たない。とても残念だ。もどかしくて、息苦しい。圧倒的に言葉を積み重ねた小説よりもよっぽど少ない言葉数をメロディに乗せる音楽は、それでも時に小説以上のイメージを運ぶ。感情を激しく揺さぶる。ぶるぶる揺さぶる。だけど、とぼくは考える。だけどぼくは音楽家じゃない。堂々と翻訳家と名乗るのは少し恥ずかしいけれど、今感じているその恥ずかしさを噛み締めながら、翻訳家を名乗っている。ぼくは翻訳家だ。翻訳家として、ロックンロールなら3分間で伝えられることを、必要なら1000の言葉を駆使してでも伝えたい。原作者のイメージを握り締め、そこから感じたあらゆる想いを言葉に込めて、ぼくは読者に届けたい。言葉では伝えきれないものは確かにあると思う。だけどそこで諦めたりしないで、得意な楽器はボキャブラリーさ、と自信を持ってうそぶくことのできる日がいつか来ることを夢見ながら、言葉にこだわっていきたい。
そしてぼくが考えたもう一つのことは、言葉を補えるものが他にあるということ。原稿のままじゃ作品とは呼べない。ぼくは翻訳を一つの作品と考える。ぼくには原作を読んでそれをイメージ通りに翻訳書として読者に届ける義務がある。イメージを解き放ち、作品としての翻訳書を作りたい。
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| 2005年4月12日(火) |
| 何をした? |
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桜の写真を撮り始めて一週間以上経過した。まだ蕾だった桜が咲いて、その周りに大勢の人が集まって、風に吹かれて、雨に打たれて、散って、人の姿もまばらになって、葉桜の季節になった。ぼくはその間、何をした? 本を読んで、インターネットで調べものをして、イメージを膨らませて、ああでもないこうでもないと考えて、それを日本語で表して、具体的な成果は30ページ程度の進捗。それだけ。自分の年齢を分母にして、経過する時間を分子にしたような過ごし方をしてしまわないよう、子供の頃と変わらぬ密度で毎日を暮らせるよう、新しい目標を立てた。もう少し具体的になったら発表します、たぶん。みんなに言って、言ったからには今さら引っ込めるわけにはいかなくなって、もうやるしかないという状態が好きだ。
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| 2005年4月11日(月) |
| そんなイメージ。 |
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何でもそうだと思うけど、バランスを崩してしまうと何が何だか分からなくなってしまうことがある。中味は大したことはないのに容器だけ大きくなってしまったら容器を持て余してしまうし、まだそんな準備はできていないという時に先に先にと進んでしまうとどっかで躓くかもしれないし、だからといって同じところにばかり居座ってしまうと足腰が弱ってしまうし、昔の栄光が忘れられずに無理をすると翌日は決まって筋肉痛に苦しむことになる。だから、自分が今どんな状態にあるのかということを知る必要がある。知った上でなら、少々無理をしてもバランスを崩しても、十分に持ちこたえられる。
だからぼくは、ジーンズを洗う時のように自分の体を裏返してみたいと思う。こんな所に隠しリベットが付いているのはビンテージ物だ、なんてことになるかもしれない。あるいはスーツをクリーニングに出す前にポケットの中を確認するように、自分の体を隅々まで確かめたい。そして、500円玉でも見つかったらめっけものだ。自分の知らない自分がまだまだ残っていればいいと思う。もしくはウィンドウズのエクスプローラがツリー状にコンピュータ内のファイルを整理して表示するように、自分の持つあらゆる要素をツリー状に関連付けたい。意外とかなりの下位層にまで至る自分でも予期せぬ要素が見つかったりするかもしれない。
それでも今の自分には経験に基づいた思い込みとか臆病とかがへばりついているはずだから、そんなアンバランスなものを確かめたり修正したりするよりは、一度全てをリセットできればいいなぁ、と思ったりもする。だけどそれも無理な話だから、イメージはやっぱりジーンズを裏返して洗濯機でザブザブ洗って、膝が出ないように逆さに吊って一晩干して、乾いたところで自分の足に馴染ませる
"Shrink to Fit" といったところだろうか。そして、自分にぴったり合ったお気に入りの501をはいたところで、ごちゃごちゃ考えるのはそれぐらいにして活動を再開、新しいことにも挑戦、そんな気分です。
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| 2005年4月10日(日) |
| ああ、いやだ。 |
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今日は夜にも少し、芦屋川を歩いてきた。桜がライトアップされていてきれいだったんだけど、ゴミが散乱していてひどかった。それはもう、大変にひどかった。街を美しく、ゴミは持ち帰りましょう、という看板のすぐ横に、ぼくの腰の辺りの高さにまでゴミの山がうずたかく積まれていた。それが何箇所にもあった。一応固めて置いてあったりして、その中途半端な心がけがかえって鬱陶しい。置いて帰っちゃダメなものは、どれだけきちんと隅の方に置こうがダメなんです。いつも午前中に歩いている時には、あんなゴミの山は見たことがなかったので、おそらく毎日誰かが掃除してくれているんだと思う。そしてその日の夜にはまた同じようにゴミの山が残される。掃除する方は遣り切れないだろうな。同じような光景は夏の浜辺でもよく起きるようだし、あと電車の中で缶コーヒーなんかを飲んで、空き缶を足元にけっこうきちんと置いて下車したりする人もいる。そういうのは、見ていてとてもいやらしい。ああ、いやだ。
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| 2005年4月9日(土) |
| 楽しみだな。 |
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やっちまったよ、とうとうやっちまった。先日不意に花粉症の襲撃を喰らって以来、外から帰ってくると部屋の前で服をバタバタと叩き、できるだけヨーグルトも毎日食べ、シャワーで済まさず真面目にお湯をためて風呂に入り、洗濯物は部屋の中に干し(けっこう必死じゃねぇか、俺……)、おかげであれからは花粉症に悩まされるなんてことはなかったんだ。なのに今日、いつもと違う時間に外に出て、すると途端に鼻がむずむずしやがる。どうにも治まらなくって、俺は引き出しを開けたんだ。だけどこの間あんな威勢のいいことを言っちまったもんだから、俺の家には花粉症のクスリなんて便利なやつはねえ。そこで俺は考えたんだ。普通の風邪薬でも効くんだろうか? ってな。普通の風邪薬なら、いつ買ったなんて忘れっちまったけど引き出しの奥の方に見つかったからな。実を言えば、考えたなんてほんの一瞬だ。次の瞬間にはお湯を沸かしてた。風邪だろうが花粉症だろうが、症状がよく似てるんだからきっと効くに違いねぇって寸法さ。へへ。そしてそのクスリに手を出しちまったんだ。するとどうだい、みるみる調子が良くなるじゃねぇか。へっ、さすがだな、パブロンさんよ。と思っていると、なんだ、こりゃ? 眠くなってくるじゃねぇか! どんどんどんどん眠くなってくるじゃねぇか!! そして俺はなんと、寝ちまったじゃねぇか!!! 鼻がムズムズするのも忘れて、寝ちまったじゃねぇぇかぁぁああ!!!! ……zzz、いけねぇ、いけねぇ、寝てる場合じゃねえぇんだ! と思って目が覚めた途端に、また鼻がムズムズしやがる。なんだよ、こりゃ? 眠らせてその間だけ花粉症を忘れさせようって魂胆かよ!!! おもしれぇ。風邪薬なんかじゃ効かねぇってことだな。一筋縄じゃいかねぇ野郎ってのは相手にとって不足はねぇよ。こうなりゃ根競べみてぇなもんだな。お前がいつまで飛散してられるか、俺がいつまで堪えてられるか。言っとくけど俺は根競べに関しちゃちょっとは知れた顔なんだぜ。飛散が収まるのはGW明けだろうって言われてるからな、その頃お前がどんな顔して俺の前から去っていくのか、楽しみだな。
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| 2005年4月8日(金) |
| さくらもち。 |
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桜餅とは、ピンクの丸い薄皮(というにはちょっと厚いかな、というぐらいの厚さの皮)に餡子を乗せて半分に折り、それを塩漬けした桜の葉っぱで包んだもので、口の中に入れると薄皮の部分がじゅわぁぁぁぁ、……ととろける感じがして、そこに餡子の上品な甘さと桜の葉っぱの塩味が絶妙に交じり合い、さらに玉露を飲んだりするとえも言いわれぬまろやかさが口の中に広がるんだ、と言って聞かない人がいる。「ご飯粒とか食べてる場合ちゃう」らしい。広辞苑によると、ご飯粒(というか蒸した道明寺粉)で作るのは関西風らしい(勝浦は関西に入れてもらえるのかどうか微妙なところだけど、桜餅は確かご飯粒で作っていたような気がする。勝浦のことを関西だと言われた時に軽い抵抗を感じるのだけど、でも桜餅はご飯粒で作ってるやろ? と言われたら釈然としないながらも大人しく頷くしかない)。
ぼくは東京に住んでいたこともあり(と言ってもそのうち2年は千葉の松戸で1年半は神奈川の川崎だから、「東京」に住んでいたのは半年ぐらいなんだけど)、よく食べ物のことで関西と関東の違いみたいな話になると、そこんとこどうなん? と訊かれることがある。あるのだけど、期待に応えて答えられたことはない。うどんの出汁が違うとかも気がつかなかったし、東京の人たちとお好み焼きを食べに行って混ぜたりひっくり返したりをすっかり任されそうになって焦ったこともあるし、たこ焼きが大好きだと思い込まれていたり、大阪ではうどんよりも蕎麦を選ぶと「東京か!」と言われたり、食べ物に関してはぼくにはよく分からない基準がたくさん存在するようだ(東京で気がついたのは、「歌舞伎揚げ」が「ぼんち揚げ」のことだということと、あとはエスカレーターでの立ち位置が逆だということぐらいだ。大阪では右側に立って左側は歩く人のために空けておくけれど、東京ではそれが逆で、大阪に帰ってきて間もない頃に左に立っていて、後ろから来たおじさんに「お、いつから左に立つようになったんな? ここは東京か?」と言われたことがある。意地悪なおじさんだ。しかもそれは食べ物に関することではない)。そんなぐらいだから、桜餅もご飯粒で作っていた「ような気がする」としか言えない。
いずれにしても今日は、食べ物に関して関東と関西では違う、みたいな話を題材に、実はどうやら自分のクセのようだと薄々気がついている( )の多用にチャレンジしてみました(半分近くカッコの中に入っていると思います)。
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| 2005年4月7日(木) |
| 特に悩んでいる様子はなかった??? |
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今日の午後、都営地下鉄大江戸線の春日駅で、総務省の男性職員(25)が電車に飛び込んで自殺したというニュースを読んだ。30本が運休し、約1万1000人の乗客に影響が出たらしい。同省によると、職員は特に悩んでいる様子はなかったという。
まさに『傘がない』の世界だ。一人の人間の「特に悩んでいる様子」など、誰も知るはずがない。運休した30本、影響を受けた約1万1000人の乗客。今日は雨だというのに傘がない、君に逢いに行かなくちゃ。一人の人間の些細な悩みを気にして生きるほどみんな暇じゃない。ぼくがデジカメと文庫本を持って芦屋川沿いを歩いている頃、東京では一人の若者が自殺を選んだ。ぼくより八つも若い。若かった。「特に悩んでいる様子はなかった」という発表には、どういう意味があるのだろう。ぼくは今でこそ「死ぬ」ということをそれほど具体的に身近に思うことが少なくなったけれど、これまで一度もそういうことを想像しなかったわけではない。「死ぬ」というのはどういうことだろう、と考えるきっかけ、考えさせられるきっかけ、考えるほど思いつめた状況、には何度か直面した。そして、「死ぬ」前と後の世界はどうつながっているのだろう、それを知るには「死ぬ」しかないのだろうか、さっき横を通り過ぎていったトラックのタイヤに巻き込まれていたらその答えは見つかっていただろうか、と考えた。でもそんなことは誰にも言わなかった。本当に悩んでいる人は、そう簡単に打ち明けたりはしない。何かをきっかけに「死」を自分にも関係のあることとしてとらえることは、誰もが人生のどこかの段階で経験することの一つだと思う。ある程度大きくなれば誰だって二つ以上の顔を持っているものだ。語弊がある言い方かもしれないけれど、ぼくは死を選ぶ人の気持ちが分からないではない。個人的には何があっても死んじゃダメだと考えるけれど、自ら死を選んだ人には、大変だったんだね、もうゆっくり休んでいいんだよ、と声をかけたいと思う。
ニュースが伝えることは事実の断片だけど、そこにコメントを添えた時、必ず具体的な私意が込められる。断片的な事実を編集するとき以上に、恣意的な私意が込められる。一人の人間が死を選んだことに対して、「特に悩んでいる様子はなかった」というコメントに見え隠れする軽薄な私意がとても哀しい。
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| 2005年4月6日(水) |
| まさに春。 |
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最近の芦屋川は連日、桜を見に来た人たちで賑わっている。桜は国道2号線よりも上の方にあって、ぼくの部屋からすぐに川に出てもしばらくは松の木があるばかりで春らしい賑わいはないけれど、上流に向かって歩いていくと、だんだん人の姿が増えてくる。大学生ぐらいのグループがシートを広げてバーベキューをしていたり、カップルが並んで座っていたり、バドミントンをしていたり、家族で散歩をしていたり、孫がおじいちゃんと一緒に川に足をつけて遊んでいたり、とても微笑ましい。そしてぼくも川原に下りて腰を下ろす。すると膝の上を知らない犬が駆けていく。世の中は春だ。人も犬も気分が軽やかになる春だ。夏日だとか、冬の寒気がぶり返すだとか、いつを基準にしているのか知らないけれど、今まさに生きているこの日は春なんだ。統計を土台にイチイチ比較なんかしていないで、その日の春を感じてウキウキしていたい。
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| 2005年4月5日(火) |
| 桜の観察。 |
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この間の日記にも書いたように、昨日から近所の桜を撮影しています。本当は、部屋を出たところの道に何本か並んでいる写真を同じアングルから撮り続けて、蕾をつけてから咲き始め、やがて満開になって散りゆく様子がパラパラ漫画的連続性を持って紹介できたらおもしろいかなぁと思っていたのですが、毎日同じ角度から撮影するのは意外と難しく、それに撮ろうと思っていた桜がある辺りには電線が密集していて、どうしても電線が写ってしまったり、なかなか思うようにいきませんでした。写真を撮るのは難しいなぁと、この数日で痛感しています。見ているつもりで見えていなかったものに気付くからだと思います。
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| 2005年4月4日(月) |
| 衣替え。 |
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四月に入り、桜もぼちぼち咲き始め、コートを脱ぎたい季節だけれど、まだ手放せない。ぼくは服の着方が下手で、出かける前にはベランダに出てみたり、ちょっと玄関を開けてみたりして外の様子を一応確かめたりもするのだけど、たいてい失敗する。暑すぎたり、寒すぎたり。昨日失敗したからといって今日の気温は昨日の気温とは違うので今日の服装の参考にはならないし。そういうところが(そういうところも?)ぼくは子供じみている。たまにはスーツなんかをぱりっと着こなしてしゅっとしていたいと思ったりもするけれど、今日もぼくはジーンズにデニムのシャツ、その上にジャンバーを着て、これじゃ高校の時から何にも変わっていない。本当に何にも変わっていない。暖かくなったからそろそろ衣替え、なんてことよりも、いい加減もう少し落ち着いた服装の似合う大人の雰囲気をまといたい。
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| 2005年4月3日(日) |
| どうなんだ。 |
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たとえばこの世を野球場に例えた時に、自分のプレーは観客を感動させられているのか。スタンドからブーイングやペットボトルが飛んでこないと自信を持って言えるのか。
自分の立つべきところがマウンドならば、次の一球を投じるまで観客の期待を高めることはできているのか。キャッチャーはミットの中で手のひらを痛めているか。打者に集中力を保たせることはできているのか。もしくはすっかり打つ気を失くさせているか。そもそもぼくは投げる球を持っているのか。
あるいはバッターボックスに立っているのなら、相手投手を怯ませることはできているのか。自軍ベンチや塁上のランナーに、これで追加点が入ると少し余裕を与えてやることができているのか。
たとえそこがベンチでも、守備につく仲間を必死で盛りたてているか。バッターボックスに向かう仲間に心強いアドバイスを送ることができているか。攻守交替の時にバットを引き上げたり、キャッチャーにミットとマスクを渡してあげたり、そして先発に名を連ねるために精一杯を尽くしているか。
照明が落ちて、みんなが帰った後でも素振りを続けているか。たとえ負けても素直にその結果を受け止められるだけの努力をしていると言い切れるのか。
そして本当は、負けるつもりなんかないんだろ?
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| 2005年4月2日(土) |
| 身近なニュース。 |
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毎日のニュースの中に、もっと心温まるものや楽しいものもあればいいのになぁ、としみじみ思う。えええぇぇぇぇ! そんなことあったん!? マジで? うわぁ、その時そこにおりたかったわぁ!! なんや、もう、言うてよぉ、……というような。ものすごく地元に密着していたり、だけどそれは全国の皆さんに届けたくなるようなほのぼのとした出来事であったり、なんか知らんけど嬉しい気持ちにさせられるようなエピソードであったり、そんな身近で楽しいニュースがいい。誤解を恐れずに言うならば、もっと楽しく毎日を過ごしたい。
「身近」っていうのは出版業界では大ヒットにつながるキーワードらしい。内容が身近であったり、タイトルが身近であったり、著者が身近であったり、価格が身近(手頃)であったり。ちょっとなるほどと思った。たとえばサッカーの日本代表戦を見ていても、相手チームの国についてよく知っていたり、言葉がちょっとでも分かるとか、何かしら身近に感じることができれば、それだけそのゲームの面白さも増すと思う。だから欲を言えば、バーレーンの選手のインタビューなんかも、直接彼らの言葉を理解したいなぁと思ったりする(っていうのは翻訳家としては微妙な発言のような気もするけど……)。そこでさらに言うと、身近に感じられなければイマイチ魅力に欠けるということもあり得る(もちろん純粋にサッカーを楽しむという観点とは異なるので、試合が始まってしまえば関係のないことだとは思うけど)。それと同じで、たとえば@国内でも国外でも行ったことのない地域で、A散歩に出かけるぐらいの日常の中で起きたことで、Bだから当然それが自分のいる地域で起きていたとしてもおかしくないようなことで、Cほのぼのとするようなニュースが紹介されたら、へぇ、そんなことがあったんや、とその地域が身近に感じられそうだ。それだけじゃなく、積極的な関心を持つきっかけにもなって、じゃあ、今度の連休に行ってみようか、なんてことになるかもしれない。
TVの普及は(っていつの時代の話や???)距離を縮めたようでいて、実は距離を無意味にしてしまったんじゃないかと思ったりもする。土や風と一緒に生きている感じがしない。現実と虚構の区別が曖昧になってしまいそうだ。そういう意味で、たとえば東京のある特定の地域の桜を定期的に定点観測してくれる番組か、もしくはインターネット・サイトがあって、それを見れば芦屋にいながらにして東京の桜事情、ひいては局地に密着した気象状況なんかも実感できて、距離感と共に自然の生命を感じられたりしていいなと思う。……あ、あった! うまい具合にそういうブログがありました!(←下線部をクリックして、3月29日の「さくら色の誓い」というエントリーを参照してください)。 ということで、ぼくもそのアイデアを拝借して、近所の桜の観測を始めてみたいと思います。どういう形でその移り変わりをお伝えすればいいかをちょっと考えるので、来週からスタートということで、乞うご期待!
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| 2005年4月1日(金) |
| 新学期に向けて。 |
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今日から四月、新学期、新年度だ。新しい友達をたくさん作って、お昼になったらみんなで校庭に出て弁当を広げ、その後は五時間目が始まる直前までドッヂボールをしていたい。でもぼくは部屋にこもって今日も翻訳、明日も翻訳。比較的自由ではあるけれど、今日は朝から晴れて気持ちがいいからピクニックに行こう、というほど自由ではない(当たり前だ)。愛知万博でも弁当の持込みが解禁されたようだ。よかったよかった。ペットボトルや缶入りの飲み物が制限されるのは分かるけど、せっかく作ってきた弁当を入場前に食べないなら捨てろだなんて、呆れてものも言えない。そもそもぼくは、「捨てる」という解決方法があんまり好きじゃない。なかったことにする、というやり方はとても便利で魅力的に思えることも多く、ぼくもその誘惑に負けそうになることが何度もある。そしてぼくはその都度戦い、時に敗れ、時に克服している。簡単になかったことにできるようなものは、ぼくたちの周りには何もないはずだ。全部自分で作り出したというなら別だけど。たとえば一日かかって書いた日記が結局気に入らなくて、消してまた最初から書き直すのはぼくの勝手だ。ぼくがしんどい思いをするだけだし、誰の努力を無駄にすることもない。だけど弁当を作ったのはお母さんだし、素材を作ったのは農家の人だし、もっと思いつかないような色んな人が汗を流している。当然、こんなことは半分以上、自戒の意味を込めて書いている。ぼくはもっとモノや時間や、周りの人の好意や、親切や、存在といったものを大切にしないといけない。口にするのが簡単なことだけに、日頃の意識としては疎かになってしまう。
話を戻して、そして弁当の持込みが解禁されたら今度は出店していた飲食店から売上げへの影響を懸念する声が出ているという。どういう契約で出店を決めたかにもよるだろうけど、すでに影響があったんだよ、と言いたい。全く勝手なもんだ。「影響」なんて一言ですっと片付けられがちだけど、立場が違えば意味することが全く違ってくる。言葉が記号にすぎないことのいい例だ。伝えたいことを伝えるための一つの手段にすぎないということを、あらためて感じる。さらには万博記念弁当とか売っていながらそれすらも持ち込めないなんて、なんだそりゃ。全てがそうやって大きいものを中心に抱き合わされていくんだ。こういう一般の人々がルールだからという理由でルールに従う以外どうしようもできない状態を作り上げて、それを衛生上どうのこうのとか小・中学生の行事なら引率者が ……とか何とでも理屈をこねくり回して正当化しようとする姿勢がイヤだ。それはここでもやはり、鏡に映った自分を見せられているような気がするからだ。ぼくは理屈っぽくなることがある。それはたいていの場合、自信がない時だ。自分が揺らいでいる時だ。理屈を考え出すのは簡単で、後からいくらでも付け足すことができるけど、自分は絶対にごまかせない。そのことに気がつかなくなるほど擦れてしまう前に、理屈を持ち出す悪いクセを永久に放棄しよう。
それにしても、持ってきた弁当でお腹が痛くなったら万博は賠償責任でも引き受けてくれるつもりなのか? そもそも万博って一体何なんだ?
バナナは弁当に入るのか? ジュースを水筒に入れて持って行くのはありか? 家に帰るまでが遠足か? 小学生か? これも理屈か? 吹田や緑地公園の「跡地」に行った方が楽しそうだ。広々としたところでゆったりとフリスビーでもしたら楽しいだろうな。そういえば、フリスビーなんてもう10年以上やっていない。
そんな気分の悪くなるニュースもあれば、甲子園からは毎日爽やかなニュースが入ってくる。愛工大名電と天理の試合の9回裏だけ見た。眉を整えすぎているとか、帽子の型が不自然だとか、最近は色々不評も多いみたいだけど、集中している球児たちの表情は本当にいいもんだ。普段TVを見ていて眉を整えていない芸能人やプロスポーツ選手がいない時代に、高校生が眉を整えていけない理由もないと思う。それよりもここまで勝ち上がってきたこととか、今まさに負けようとしながらも諦めていない姿勢とか、そういうことを取り上げたらいいのに。普段の姿勢とかまでは知らないけれど、高校球児が(たとえ眉を剃りながらも)ボールに喰らいつこうとする姿には、どの世代の人が見ても感じることがきっとあるはずだ。彼らのように集中できる対象を見つけるために、大人は何を手伝ってあげられるかということを、もっと考えた方がいいと思う(どうや、大きく出たやろ?)。彼らを見ながら、自分を探した。遠い日の自分だけがかろうじて見つかった気がした。
たいていのことは二つ以上の見方、考え方ができる。そして、そういう人間が自分だけじゃなく周りにもたくさんいるということをきちんと理解した上で、頭で考える前の自分の直感をもう少し大切にできる人間でありたいと思う。そしてそれは相手を拒絶したり自分の殻に閉じこもったり、自分の直感を押し付けたりするためじゃなく、周りの人の理屈や直感と調和するために、その基準としてぼくは自分なりの揺るぎない正義みたいなものを持っていたいと思う。
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