葉桜の日

  「僕は、ホントは誰なんだろうね?」

鷺沢萠 著
新潮文庫
ISBN: 410132512X
葉桜の日


時々、特に何があったわけでもないのに不意に懐かしい思いに駆られたり、吹き抜けた風に懐かしい匂いを覚えたりすることがあるように、ふと読み返したくなる本がある。そんなふうにして十年近く付き合ってきたのがこの作品だ。折に触れて部分的に拾い読みをしたり、ポケットに突っこんで出かけて青空の下で読んだり、ベッドに入ったまま読み始めて気がつけばすっかり遅くなっていたなんていうこともある。きっと、心の奥の方で何か共鳴するものがあって、自分でも気づかないうちにその部分の感触を求めていたりするのだと思う。
 鷺沢さんはどの小説においても解説を試みず、何を定義づけることもなく、ただ出来事を語ってゆく。独特の少々乱暴な語り口とは裏腹に、登場人物の哀しみとか、熱い想いとか、漠然とした不安とか、そして著者自身の瑞々しい感性を描ききる。ことばで表わされた輪郭ではなく、出来事や行動から、ふわふわと、ぼんやりと、登場人物の心情や作品自体のテーマが浮かび上がってくる。それをどう受け止めるか、あるいは受け流すかは読者によって違うだろうけれど、確かに何かがずしりと重くのしかかってくる。ぼくたちが見過ごしがちな大切なもの、それは例えば家族であったり、自分の本当の気持ちだったり、そういったものを抱えながらできるだけ軽やかに毎日を過ごそうとしている登場人物に、読者は共感できる部分を見出すだろう。
 『葉桜の日』に出てくる人たちは年齢も性別もバラバラだけど、一つの家族のような関係を形成している。19歳のジョージをはじめ、みんながそれぞれに自分がホントは誰なのかという問いを常に胸の内に秘め、重ねてきた年や歩んできた人生の分だけ、その問いへの対処が微妙に違う。それでいて、互いの考えを尊重している。土足で上がりこむことはもちろんなく、むしろ、そっとしておいてやるという距離を保っている。誰もが触れられたくない痛みや傷を抱えていて、それは周りの人にしてみれば気にするようなことじゃないと思えても、本人にとっては大きな意味を持っているということがある。痛みや傷というものは、そういうものだと思う。だから、若者特有の気楽さで呑気に生きているようなジョージにも、嘘でぺたぺたと塗り固めたような暮らしをしている志賀さんにも、達観しているようなおじいにも、笑顔の奥に陰を隠しきれないロクさんにも、精一杯に強がっている弱い部分を覆う哀しみの膜のようなものが感じられる。
 読み終えて、心地の良い余韻がずっと残る作品だ。だけどどこかヒリヒリとしみるような感覚もある。ぼくたちがどこから来たのか、どこへ向かうのか、そんなことは誰も判っちゃいねぇのかもしれない。しかしそれは、それでも鷺沢さんの全作品の根っこの部分をなすテーマだったような気がする。鷺沢さんが大切に守ろうとしていたものだったような気がする。成長したジョージの物語を読んでみたかった。それも叶わない今となっては、ぼくたちはぼくたちの「めいっぱいに真実で生きていく」ことが、ジョージや志賀さん、そして鷺沢さんのメッセージに応えることになっていくんだと思う。
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