マミー
ブレンダン・オキャロル著 白水社 ISBN:4560047596; (2003/02)
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母の大きさ、子供たちの健気さ。陽だまりを吹き抜ける風のように爽やかで、誰もが胸の中に大切にしまっているはずの優しい気持ちがふっと甦る作品です。是非、ご一読ください!
                      jd
   
『マミー』 by ブレンダン・オキャロル

Copyright (c) The Mammy by Brendan O'Carroll, 1994

「人が何ほどの価値があるって言ったって、     
    その人自身ほど尊いものはないのよ」
"The worth of a person is more important than what a person is worth."
「この世には色んな人がいるが、           
みんなそれぞれ自分なりの基準で人生を見つめている」
"In all walks of life people measured their lives in different ways."
「子供たちは母を誇りに思い、          
  母もまた、子供たちを誇りに思っていた」
"She was proud of them as they of her."
「この混沌として悲しみに満ちた、哀しくも慌しい世界も、
時にその様相を変え、
突然時間を止めて誰かの夢を叶えてくれることがある……
夢見ることを諦めないで、アグネス・ブラウン!
わたしたちみんなのために、いつまでも夢見ることを!」
"Sometimes this turbulent, tragic, sad and busy world
turns on its head and comes to a sudden halt
just to accommodate somebody's dream...
Dream on, Agnes Browne!
For everyone's sake, dream on!!
【登場人物紹介】
アグネス・ブラウン: 夫を交通事故で亡くし、十四歳の長男を筆頭に七人の幼い子供たちを必死で育てる、バイタリティ溢れるアイスべき「マミー」。ムーア通りに店を構える仲間たちからも愛されている。歌手のクリフ・リチャードの大ファン。

マリオン・モンクス: アグネスの親友。毎朝、仕事に出かける途中、教会の玄関口から「神様、おはよう! あたし、マリオンよ」とお祈りしている。夢は車の運転。

マーク: 次から次へと弟たちが生まれたため、母に甘えたことはなく、父が亡くなってからは一家の大黒柱としての責任を自覚する。登校前には新聞配達、牛乳配達をしている。サッカーチームに所属するスポーツマン。

フランシス: 髄膜炎という大病を患ったことから、母に甘やかされて育ったわがまま次男。自分では働かず、周りの者を使う。大金持ちになるか、刑務所に入るかのどちらかだと言われている。

シモン: 吃音、弱視のため、友達と遊ぶのも、近所にお使いに行くのも一苦労。

ダーモット: 地元のトレーナーも大きな期待を寄せる小さなボクサー。町の事情に通じ、生き抜く知恵を身につけている一方で、正義感に溢れ、ブラウン家のムードメーカーでもある。

ローリー: スポーツをするよりも、部屋で人形遊びをすることを好む。

キャシー: 男兄弟に囲まれて育ったにも関わらず、上品で性格も気持ちよく、クラスメートからも慕われている。切り下げた前髪が自慢。親友のキャシー・ダウドールから大人びた情報を仕入れて、アグネスを困らせる一面も。

トレバー: いまだに自分で歩くよりもベビーカー、抱っこを好み、話すことばといえば口汚く罵ることばかり。ものの名前もきちんと覚えようとしない怠け者。

ワイズさん: マークが大工の見習いをさせてもらうことになる工場の経営者。マークを我が子のように可愛がっている。いつもカーディガンを何枚も重ね着している。
【from jd】
1967年 春 ダブリン、物語は市役所の社会福祉課待合室から始まる。主人公のアグネス・ブラウンは親友のマリオン・モンクスについてきてもらって、寡婦給付金の申請にきていた。その日の早朝、夫が交通事故で亡くなったのだ。順番を待ちながら、天井からぶら下がる照明器具に入りこんだまま死んでいる蠅を眺めて「ざまあみろ」とつぶやく。それがこの主人公の第一声だった。照明の中に自ら飛び込んでいって、やたら糞ばかりしながらぼやぼやしているうちに死んでしまうなんて、ざまあみろ、という理屈のようだ。このときのアグネスの心境は何物にも代え難く複雑と思われる。夫を亡くした深い悲しみ、哀れむ気持ち、七人の幼い子供たちをこれから一人で育てていくことへの強い決意、それらをアグネス流に表現すると、「ざまあみろ」ということになるのだろう。ぼやぼやしてるからあんたも車に轢かれるのよ、ったく、これからあたしに一人でどうしろっていうの!? 悲しい気持ちを胸にしまって、まず子供たちのためにも生活のことを考えている。失意のどん底に突き落とされてもおかしくない状況で、アグネスはへこたれず、逞しい。強く生きていこうとする母は、子供たちの眼にも大きく映っていたに違いない。事実、深夜にまで及ぶ弔問客への応対でくたくたに疲れたアグネスに、長男のマークがそっと声をかける場面がある――大丈夫だよ、ママ。ぼくがいるから。職を転々とし、挙句の果てには失業手当を受け取っていた夫のようにはなってほしくない、学問を身に付けてもらいたいと願う母の気持ちとは裏腹に、マークは一日でも早く本格的に働き始めて父に代わって一家の大黒柱となることを決心する。奮闘する母の心細さをその背中に見抜いていたのかもしれない。いつの時代も、親の背中は子供を育てるものなのだろう。
 現代でも活況を続けるムーア通りのマーケットが、アグネスの職場だった。仕事の合間にマリオンと交わす何気ないおしゃべりに喜びを見出し、給付金の申請手続きに伴う一連の質問・確認事項にあたふたし、個性よりも強引な規律を優先する「偉い人」に怒りを覚え、そしてそんな、社会の大勢には何の影響も及ぼし得ない、しかし本人たちにとっては嵐のような毎日を全てひっくるめて楽しんでいるのがアグネスであり、その仲間たち、そして彼女たちを見て成長していくブラウン家の子供たちである。
 この作品では、アグネスに代表されるようなダブリンの強い女性が描かれている。作者は、これまでに影響を受けてきたのは何といってもいつも周りにいた強い女性だったと告白している。強さとは、愛する者たちを守ろうとする意思、信じる力。彼女たちの全ての行動は、強さに裏付けられた思いやりに満ちていた。アグネスは学校を経営する厳格な修道女よりも、幼い娘のことばを信じた。癌に冒され余命いくばくもないと宣告された親友に何もしてやれない自分を歯がゆく思った。父の葬式の日、家を出る時間になってもトイレにこもっていたマークも、十四歳にして一家の大黒柱として一人前になる覚悟を決めた。口から出てくることばがどれだけ辛辣なものであっても、そこには愛情が込められており、たとえ内緒ごとがあったとしても、それは相手を想う気持ちの現れだった。彼女たちが活躍するムーア通り、露店が立ち並ぶこの舞台の活気は、そのまま彼女たちの息吹でもある。陽だまりを吹き抜ける気持ちのいい風のように、爽やかさを残す。
 年端もいかない長男のわずかな収入が家計にゆとりをもたらすほどに、アグネスたちの経済状況は芳しくなかった。しかし、悲壮感、嫉妬、欲望……といったものは、これっぽっちも見当たらない。果てしなく恵まれた環境を求め訴えてやまず、権利を主張することばかりを覚えた現代の我々にとって、本当の幸せとは一体何なのか、考えさせられる。忙しさに心を亡くすことなく、現状に満足できなくてもその中で自ら何ができるかを問い、互いに互いを必要とし、思いやる余裕を持って精一杯に生きている彼女たちは、何の矛盾もなく魅力的である。誰もが胸の中に大切にしまっているはずの優しい気持ち、大切にし過ぎるせいか忘れてしまいがちな優しい気持ちが、ふっと甦る作品である。
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