アイリスへの手紙

       "Anything is Possible."

1989年 米
監督:M.リット
出演:R.デ・ニーロ、J.フォンダ


カップケーキを作る工場で働きながら二人の子供と妹夫婦を養う女と、その工場の厨房で働く男の心の交流を静かに描いた作品。そこには地味だけど誠実で、恵まれてはいないけれど豊かな心を持ち、派手さはないけれど一生懸命な人たちが生きていた。厳しい現実を見せつけられてほのぼのしている場合でもないけれど、それでも静かに湧き上がる勇気のようなものを感じる。苦難の末に幸福をつかみ、無事に運転免許も取得したスタンリーがアイリスに言う「Anything Is Possible.」という三文字が、とても意味深く、全ての可能性や希望を込めた言葉として胸に響いた。決して明るく爽やかな映画ではないけれど、嬉しい気持ちにさせられる。
 デ・ニーロ扮するスタンリー・コックスは、移動する時にも車に乗らず(乗れず)、バスも利用せず、自転車を使う。だから生活範囲も限られてくるのだけど、自分の身の丈を知り、職場をクビになっては次の職場を求め、公園の便所掃除でも工事現場での重労働でも厭わずに働き、人に迷惑をかけないよう、限られた範囲の中で日々を過ごしていた。だけど大好きだった父の死が、外の世界に飛び出そうとしなかった自分のせいだと思った時から、自分自身に挑戦することを決心する。雨の降る中、知り合って間もないアイリス・キングに「字を教えてくれ」と頼むのだった。スタンリーは幼い頃から父の仕事の都合で一つ所に落ち着けず、50回以上も転校を重ね、モーテルに暮らし、友達もできず、勉強もできず、将来のことなど考えたこともなく、そうしていつの間にか大人になってしまった迷子のような男だった。人と話すのが苦手で、これまでで一番楽しかったのはグランドキャニオンの谷底で誰にも会わずにテントを張って過ごした六日間で、字を覚えたらまず読みたいものは野球のスコアボード、まず書きたいものは小切手(!)、そして人に笑われないようになることが望みだという。だけど「孤独の中で囚人が素晴らしい絵を描いたりする」ことがあるように、スタンリーにも一つだけ、新しい機械を発明するという特技があった。そして人知れずその特技に磨きをかけ、デトロイトの大きな会社に採用され、昇進し、アイリスを迎えに戻ってくる。その間ずっと、スタンリーはアイリスに手紙を書き続ける。それは情けない自分から誇れる自分へと変えてくれたアイリスへの感謝であり、愛だった。計算も何もなく、ただ自分の感情のままに今日を生き、人を愛し、慎ましくシンプルに明日を迎える二人の姿がいとおしかった。
 その他にもスタンリーと父の関係、アイリスと娘の関係、アイリスと妹の関係、アイリスの息子とスタンリーの関係など、感情の振り幅は小さいけれど質の高いエピソードが満載だった。生活に精一杯で、感情なんかに簡単に振り回されるわけにはいかないのだ。そんな中、普段は安っぽい格好をしているのに初めて図書館に足を踏み入れるという日にはスーツを着ていたり、いよいよ勉強が楽しくなってくると老眼鏡を新調していたり、字が読めるようになると図書館で手当たり次第に本を手に取っては大声で読み上げて図書館の人に注意されたり、アイリスへの手紙の結びの言葉が「風呂で転ばないように」だったり、何かとおかしいデ・ニーロも健在だった。

*こんなにいい映画なのにDVDになっていないので、タイトルからもAmazonへはリンクしていません。ぜひ、レンタルビデオでお楽しみください。
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