| 監視国家 東ドイツ秘密警察に引き裂かれた絆 | ||
| アナ・ファンダー著 白水社 ISBN:4560049734; (2005/10) | ||
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| かつて存在した見知らぬ国の話ではなく、ぼくたちの「身の回り」で実際に起きた事実として受け止めていただければと思います。個人の物語を、歴史に埋没させてしまわないために。 jd |
| Copyright (c) Anna Funder 2002 |
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| 【作品の背景】 | |
| 最近の研究で分かったことがある――内向的な人は、現実をより正しく認識できる。朗らかに生きられる人は、非現実的な世界で幸せに健康的な生活を送ることができる――。ただ、いくら正しく認識できたところでそれが自分の人生を狂わせた社会そのものだったとしたら、幸せで健康的に暮らしていると思っていた生活が現実ではないとしたら、それはどんなに皮肉なことだろう。 旧東ドイツ(German Democratic Republic: GDR)の人々は、時に現実を直視することを諦めることで、どうにか正常を保っていた。あるいは、現実と現実逃避、その狭間で揺れ続ける人生を送っていた。そうした生き方は、ベルリンの壁が崩壊した後も深い影となって人々の心に垂れ込めていた。歴史とは個人的物語の集積であるという信念の下、筆者は旧東ドイツが誇った秘密警察=シュタージをめぐる人々へのインタビューを繰り返し、シュタージの内外で人生を方向付けられた人々の過去・現在にスポットを当てる。 旧東ドイツは、ドイツ社会主義統一党(SED)による共産主義一党独裁国家だった。1980年代に入り他の東欧諸国は民主化の波にさらされ、変革か内戦か、といった「非日常的」事態を迎えていたが、東ドイツは(低いレベルながら)比較的安定した生活水準と、シュタージの徹底した任務遂行により、暴動が起こる環境になかった。ドイツ国民の体制への従順さという気質もあったかもしれない。 国民は虚構の世界観を信じるよう強制されていた――人間は未完成な生き物で、完成に向けて教育していくシステムが共産主義である。過去にナチスが行った行為は東ドイツとは何の関係もなく、東ドイツはあくまで貧富差のない平等な社会を目指し、私有財産を廃止する――。しかしこれらは「実験」であり、実験は失敗に終わったのである。たとえば街のビルディングを見ても、途中までは綺麗にペンキが塗られているのに、それより上方はペンキが剥がれ、コンクリートは崩れ落ちたまま放置されていた。政府高官が街に来たときにリムジンの後部座席の窓越しに見える高さの境界だったというわけである。貧しさの中で表面を取り繕うために嘘で固めた街づくりだったと言える。そして実験段階で人々は、体制や社会から身を守るべく自らの内に逃げ込むようにして生きることを学んでいた。 他国の秘密警察等と異なり国家権力の本体だったシュタージは、97,000人の局員を抱え、全学校、職場、地域、パブ……、あらゆるところに総勢173,000人の情報提供者を確保して国民を徹底的に監視していた。学校と太いパイプを持ち、従順な生徒をリクルートしていた。組織の一員だった弁護士や裁判官も多いという。ヒットラー政権下では国民2,000人に対して1人のゲシュタポ、スターリン時代のソ連では国民5,830人に対して1人のKGBであったが、旧東ドイツでは国民63人に対して1人のシュタージ、臨時の情報提供者を含めると6.5人に1人という計算も成り立っている。 シュタージ側から国民に接触してリクルートするのが基本ではあったのだが、 国民の側からもシュタージへの入局を希望する者がいたのは、「自分(たち)」と「連中」に分裂した社会において、特に活力のある若者は、内情に通じ周りから影響を受けないですむ側に所属したいという気持ちがあったからと思われる。そういう点で東ドイツ、あるいはシュタージは一種の宗教だったと言えるのかもしれない。 一方で自分たちの親の世代が導入した共産主義という思想に疑問を抱く若者たちもいて、若者たちなりの正義感でデモを繰り返しては政府に鎮圧され、それでも屈することなく社会の過ちに気づき、指摘し、抵抗を試みる者も絶えなかった。 1989年、いよいよ東ドイツでも暴動が起きるようになり、壁が一気に崩壊した時のデモの際、シュタージのメンバーは建物に篭城する。ベルリンにあった本部ではファイルの処分に追われていた。盗聴の記録、密告のあった情報、監視中に取っていたメモなど、シュタージが保管していたファイルは、並べると180kmもの長さになったという。それらを、シュレッダーが壊れるまで使って破棄し、シュレッダーが壊れると手で引き裂き、袋に詰めていった。その作業が終わった後で建物がデモ隊に開放されたのだが、その引き裂かれ破棄されたはずのファイルを回収し管理しているのが、「シュタージ・ファイル・オーソリティ」だった。かつてシュタージのオフィスだった建物を利用して1995年に開始されたプロジェクトの一環として、15,000の袋に詰められたファイルの切れ端が、18人の女性と13人の男性、合計31人のスタッフによって復元されようとしているのだ。1日に10ページのファイルを復元、40人で行うとして1日40ページ。年間250日作業をすれば1年で100,000ページ。1袋に約2,500ページ分だから、100,000ページ=40袋。全部で15,000袋あるから、全てのパズルが解き終わり、全てが明るみに出るのは早くて375年後! という計算になる。ファイル・オーソリティのスタッフたちは、この作業を通じて過去に起きたことを知ることができる、自分の人生を省みることができる、旧東ドイツは人々を敵か見方のどちらかに属させようとしたが人生はそんな単純な図式には表せない……、と先人たちの数奇な歴史を自分たちの時代の反省材料とすることに作業の意義を見出してはいるが、それでも「まるでシーシュポスの悲劇のよう」だとしている。東ドイツの象徴でもあるのかもしれない。 |
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| 【from jd】 | |
| 衝撃的だった。綴られている過去がフィクションでないということに、初めのうちはぴんと来なかった。コンクリートや厚い雲に覆われた空、時間の概念のなさが印象的で、灰色のイメージが全体を貫いている。歴史的に大きすぎる意味を持つドキュメントは、公開されるべき時宜を待つという判断がなされることがあるが、ここで扱われているシュタージのファイルも、一部は公開され、一部は保管され、そして一部は廃棄されている。公開することの危険性、公開せずに過去に目を背けることの危険性、その両面を考慮してのことだという。しかしそれは、社会的側面から眺めた場合の判断であって、社会を構成する個人個人が抱えてしまった事情は度外視されている。この本は、筆者がコンタクトを取りうる限りの個人から話を聞くことで、そうした個人の物語を歴史の中に埋没させてしまわたないための試みと言える。 シュタージの徹底した任務遂行ぶりは、最高責任者であったエーリッヒ・ミールケが死の直前にファイル・オーソリティに対して自身のファイルの有無を確認するよう依頼していることからも分かる。誰も、周りの人間を信じていなかったのだ。どこにシュタージの情報提供者が潜んでいるか分からなかった一般の市民はなおさら、誰を信じていいのか、何を信じていいのか分からなかっただろう。それは人格の形成にも大きく影響したはずで、生活の中にシュタージの存在を認めて以降は色んなことに積極的になれなくなったという証言もある。くじけずに生きていくには過去は忘れるしかないという健気な覚悟もあった。それでも、それにも関わらず、旧東ドイツが採った政策、共産主義を悪く思っていない人も少なからずいるようだ。「もしも壁が初めから存在しなければ、」「もしも今も壁が存在していれば、」という仮定にはまるで意味を見出さない人もいる。壁があった当時は壁がなくなるなんて誰も思っていなかったように、壁がなくなった今、壁が再び造られると思っている人間はいないかもしれない。それでも、次の瞬間には何が起こるか分からないという刹那的な考え方を、旧東ドイツを経験した人々は共通して身につけていた。それがいいことなのかどうかは分からないけれど、東の出身者は経験を踏まえて両方を比較することができる、ただ比較して物事を冷静に見つめることができればそれだけイヤな思いをするだけだ、という境地に達してしまっている人もいた。 最近では新しい博物館もでき、新しく建て直された1/1スケールの壁の模型などが観光客目当てに並んでいるという。それとは別に、市民団体が管理する当時のままの残骸、瓦礫、といったものを展示している博物館も、やはりある。どちらがリアルに歴史や記憶を留めていられるのかと思う。あるいは、ガラスの向こうに整然と並べて保存された「歴史」に意味はないのかもしれない。博物館とは整然と展示しておくところではあるが、それで旧東ドイツの何を保存できているわけでもないだろう。ガラスの向こうに整理されたところで、それで終わりではないのだ。壁が取り払われてからの人生をどう生きるかは、全て個人の気質によっている。積極的に前に進もうとしている人も、過去を清算しきれずにもがいている人も、個人の「物語」を抱えたまま、壁によって胸に深く刻まれた傷に抗いながら、必死に今を生きようとしているという点では同じなのだ。 |
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